学校の建築と最近のこと。

五味伸之です。

巨人の学校の日でした。

緊急事態宣言中、ということもありますので、人を招いてたくさんやるぞわ、という感じではなく、今月は準備期間みたいにしました。

学校のカリキュラムやスケジュールやどういう人と共に過ごすか、

また、そこで行われる演劇ってどういう営みになるのか

などなどを話しました

まだ目には見えないけど、心の中に学校が建築されていくように、ひとつずつやっていってます。


コロナになって人と会うのが難しくなったり、集まることが難しくなったり、予定が立たなくなったり、することで、時間の感じがこれまでと全然ちがうことになったなぁ。と感じてます。

5月なんかも、あっ、と気づけばすぎていて、あわわ、と慌てたり、「ま、そーいうこともあるよねー」となってます。

3月からオンラインでの本読み会をちょこちょこ開催していて、短い合間時間にしたり、夜にしたり、こんなことは今までなかったなぁ。とワクワクしてます。声に出して本を読むのは楽しいです。

イメージが広がったりつながったり。先日、リチャード・フォアマンの「エジプトロジー」という作品を読みました。散文的に書かれた日々の妄想や思考や想念を集積してコラージュされた言葉たちは役柄のあるセリフではなく、1人の人間の散らばった思念を形作っていて(実際テキストも誰が何を読むかの指定はない)、読んでいくと、あちこちの出来事・・・というか、現象と現象が衝突をしているようで、そういう運動を脳がすることの快楽がありました。

そのまま続けて別の作品でギィ・フォワシイの「相い寄る魂」という短編を読みました。カフェ・テアトルという運動(運動じゃなくてジャンルかも、、、)があったみたいで、カフェで観劇する作品として書かれた40分程度の短い内容でした。彼・彼女の2役だけ。くだらなーくておもしろーい作品でした。

対照的な2つの作品を読むことができてまたその無秩序な繋がりも自分の中で統合されて勇気的に結びついていくことが、心地よいです。

さて寝るかな、とする前に収集しているフリーペーパーを読んでたら「天神醜化計画」と書かれたのを見つけました。そのころ自転車を街から排除し、ホームレスを排除し、建物を潰して建ててを繰り返していたようで(今とおんなじ!)、そのことに対する苛立ちが書かれていました。(今とおんなじ!)何でもかんでも繰り返してるのか、、、。とガックゼンとしつつ、変わらんのか、、、とガックゼンとしつつ、同じ想いを持つ人がいるのだ。と希望にしよう。このことを希望にするのだ。と、ガックゼンとすることでできた穴から上を見上げるような気持ちで布団につきました。

おやすみなさい。