見に行けないけど応援チケットご購入の皆様限定ページです。
この度は観劇応援チケット、見に行けないけど応援チケットをご購入くださりありがとうございます!
空間再生事業 劇団GIGAは2026年8月12日からエディンバラ演劇祭参加へ向けて渡英いたします。
この特設サイトでは、応援していただいた方限定で、以下の内容をお届けします。
エディンバラスケジュール
エディンバラ滞在中のスケジュールをお知らせいたします。
① エディンバラ上演映像
エディンバラで上演した映像をご覧いただけます。
映像は記録映像の予定。
NO編集でエディンバラの空気そのまんまをお楽しみください。
②山田恵理香の演出プラン
エディンバラ公演への山田恵理香の演出プランをご覧いただけます。
③エディンバラ旅行記
エディンバラへの旅行記を石田聖也が書き下ろします。生活感あふれるエディンバラをお届けします。
④エディンバラ観劇作品レビュー
エディンバラ演劇祭の中で観劇した作品のレビューをお届けします。
⑤ライブ配信
滞在中のライブ配信を行います!
実施時間:2026年8月22日(土)
日本時間:17:30/エディンバラ時間:9:30
※そのほか予定していること
エディンバラでの様子をお届けしたり、滞在中の打ち上げや打ち合わせの様子をライブ配信したり…。
応援してくださる皆さまとつながれる企画を計画中です!

ご挨拶
山田恵理香から応援チケットをご購入いただいた皆様へご挨拶です。
応援いただいた皆様へ
私は、今エディンバラフリンジ本部の休憩室でこのメッセージを書いています。
エディンバラでの日々はとても充実していて、世界遺産の街並みが、演劇で埋め尽くされていて、高校生から演劇を続けてきた私にとって最高の空間です。
エディンバラへの挑戦は、仲間たちや応援してくださる皆さんなしではかないませんでした。本当にみんなに支えられて、この場にいます。
初日は、私たちの作品が、文化・言語をとびこえて届けることができて、幸せな体験をすることができました。
さて、今から4回目の4日目の上演です。楽しんできます。
2026年8月20日
山田恵理香
スケジュール
滞在中のスケジュールをご案内
日々変わっていくスケジュールをご覧ください!
8月11日(火)
15:30 福岡空港集合
17:00 福岡発[JL324] ➡︎ 19:00 羽田着
21:50 羽田発[JA6877] ➡︎ 04:40 ヘルシンキ着
8月12日(水)
06:50 ヘルシンキ発[BA6020] ➡︎ 07:40エディンバラ着
15:55 Vault下見観劇『Burn』(16:55終演)
8月13日(木)
09:00 朝食(担当:Fu&Mi/片づけ:五味)
10:00 出発
11:00 リハーサル:エディンバラカレッジ
18:00 移動
19:20 観劇『The Hollowed Man 5.0』
21:00 ゲストハウス帰宅
21:30 オノマトペワークショップ打ち合わせ
22:30 終了
夜 Rika,Aoiエンディンバラ到着
8月14日(金)
08:30 朝食(担当:山田&Mi)
09:30 出発
10:30 fringe交流会『世界フリンジ主催者プレゼン大会参加』
14:00 『オノマトペワークショップ』実施(17:00まで)
17:30 明日のスケジュール調整
18:00 出演者創作ミーティング
19:30 スコットランドダンス『Museum Late』参加
日本国内にて
16:40 真吉&二宮 福岡発[CX589] ➡︎ 19:25香港着
8月15日(土)
08:30 朝食(担当:Fu&五味/片づけ:石田&山田)
09:30 出発
10:00 リハーサル:エディンバラカレッジ
13:00 真吉&二宮合流!
13:30 昼食(手作りサンドイッチ)
14:00 リハーサル
14:30 真吉&二宮劇場下見観劇「BURN」
16:30 リハーサルチーム移動
17:00 ゲストハウス帰宅+休憩
18:00 創作ミーティング
19:30 全員合流食事会pizza
8月16日(日)
08:30 朝食(担当:RIKA&Aoi/片づけ:Mi&五味)
09:00 テクニカルスタッフ打ち合わせ
10:00 出発
10:30 劇場到着
11:00 会場セッティング+リハーサル+撮影
12:35 会場退館
13:00 昼食
14:00 テクニカルスタッフ打ち合わせ
15:00 制作チーム宣伝活動
16:00 スタッフ:全体説明会参加
17:00 スタッフ:全体説明会終了
18:00 夕食(担当:Fu&五味/片付け:RIKA&Aoi)+明日の確認
19:30 ツルマチリハーサル
21:30 終了
8月17日(月)
08:30 朝食
09:30 トラム集合(9:34出発)
10:00 稽古
13:00 ランチ
15:00 劇場集合
15:30 ステージ入場準備
15:35 劇場入場
15:55 上演初日(16:55終了)
16:55 終演 ➡︎ ゲストハウス戻り
19:00 夕食(全員協力スタイル)
20:00 ジャパンフリンジ準備ミーティング
21:00 終了予定
8月18日(火)
09:00 朝食
10:00 ゲストハウス内リハーサル
13:00 準備+昼食
13:20 出発
14:00 フリンジ・ジャパン出演(14:30終了)
15:20 劇場入り
15:55 上演2日目(16:55終了)
16:55 終演
17:30 『Asian Art Fund Scotland交流会』参加
18:00 夕食+ふりかえり
19:30 各自自由行動
8月19日(水)
10:30 真吉&Mi稽古場移動
11:00 ORU自主稽古
14:00 ゲストハウス集合+ツルマチ稽古
14:50 出発
15:20 劇場入場
15:55 上演3日目(16:55終了)
16:55 終演
17:00 出演者:五味インタビュー
18:30 夕食
19:30 野外パフォーマンス打ち合わせ
20:30 各自自由行動
8月20日(木)
08:30 朝食づくり(担当:Rika、Aoi/パンケーキ)
09:00 朝食(片付け:Mi&石田)
09:30 野外パフォーマンス抽選
10:00 ツルマチ稽古
10:45 出発
11:25 観劇『peregrine』(12:25終演)
13:30 ランチ、ウォームアップ
15:00 劇場入り
15:55 上演4日目(16:55終了)
17:00 劇場退館
18:30 野外パフォーマンス
19:30 野外パフォーマンス終了
21:00 ミリタリー・タトゥー(山田、Mi)
8月21日(金)
朝食各自準備
09:11 トラム出発(真吉&Mi/ORUカレッジウォーミングアップ)
09:30 野外パフォーマンス抽選(Rika、Aoi)
11:00 ツルマチ、衣装使い方確認(Fu &山田)
11:30 移動準備、ランチパック作成
12:30 出発
13:00 野外パフォーマンス実施※雨天中止
13:30 終了〜fringe central(休憩、ウォームアップ)
15:15 劇場集合
15:35 劇場入り
15:55 上演5日目(16:55終了)
17:30 フィードバック後、退館
18:00 観劇予定者未定、Mi来場者とディナー
20:00 Rika&Aoiラストディナータイム
21:30 ミリタリー・タトゥー(Rika&Aoi)
8月22日(土)
08:00 朝食作り(担当:Aoi&Mi&山田)
09:00 朝食
09:30 ライブ配信
10:00 伝達
10:30 片付け(担当:石田)
(各自自由時間)
15:00 劇場集合
15:35 会場入り
15:55 上演6日目(16:55終了)
17:00 Rika&Aoiエディンバラ出国
(各自自由時間)
22:45 Vault打ち上げ
8月23日(日)
自由行動
観光、舞台観劇など
20:00 ゲストハウスにて打ち上げ
8月24日(月)
05:30 ゲストハウスcheck out
08:25 エディンバラ発[JA6894] ➡︎ 13:00ヘルシンキ着
17:45 ヘルシンキ出発[JA6800] ➡︎ 13:00成田到着
8月25日(火)
15:25 成田発[JA6053] ➡︎ 17:40 福岡着
上演映像
上演日:2026年8月22日
エディンバラ旅行記
石田聖也書き下ろし!
最終更新日:2026年8月30日
episode 00 ~エジンバラへの前日譚~
2026.7.30|本格稽古開始
福岡に本格的な夏が到来していた。昼間に外を歩いているとアスファルトの照り返しで、体の表面がこんがりと焼かれ、内部はじっくりと蒸される。まるで自分がフライパンの上の食材かのように思えてしまうほどに。ただ夜間早朝は、涼しいとは言えないまでも、それなりに出歩けるような気温にはなっていて、それなりにご機嫌に外出できる。
そんなわけで、夜の稽古場までは自転車でゆったりと行こうと思い立つ。しかし、結局のところ上機嫌でいられたのは家を出て最初の方だけで、ものの数分で全身が汗ばみ、リュックと背中の接着面はすぐにべちょべちょ、キャップの中も同様で、中の髪の毛は茹ですぎたスパゲティのようになっていそうだ。
勿論、こんな執拗に食べ物の例えを出していることに大した理由はないのだけれど。ただ夏というのは、どうも強制的に自分の肉体、というものを意識させられてしまう。
2日前、7月28日の午後16時27分、熊本を震源とする震度7、マグニチュード7.1と推定される地震が発生した。自分はその時、福岡市内を車で走行中だった。交差点を曲がろうとした時、突然、スマートフォンのアラートが鳴り響いた。咄嗟に身構えはしたものの、正直私は車の揺れもあってか、これがどのくらいの規模の揺れなのかよくわからなかった。その後、福岡も結構な揺れだったのだと人から聞かされる。どうやらこれは只事ではないらしい。
SNSでは震源地である熊本の様子が投稿されていた。落ちた橋、崩れた家屋、爆発したイオンモールの映像などが目に飛び込んでくる。とりあえず、熊本にいる友人の生存確認はできたが、死傷者、行方不明者が出ていて、何よりこの暑さだ、気持ちがざわつく。
その日の夜、台湾の知人たちが心配して連絡をくれたりした。九州がこんな状況ではあるものの、明後日にはフーさんの来日。1週間後にはプレビュー公演。そして数日後にはエジンバラへと旅立つ。
汗だくになりながら、ようやく稽古場へ到着。すると既にロビーには、ベンチに腰掛けるフーさんの姿。今日の16時頃、福岡に到着していたのだとか。
符容(フーロン)は台湾の役者さんで、アジアを中心に精力的に活躍している。2022年に福岡で開催された国際交流プログラムEATI(East Asia Theater Interaction)で一緒の創作チームとなり、その後も様々な作品のクリエーションで関わっている。会うのは昨年の12月に福岡で開催されたダンスエクスチェンジ以来だ。
「福岡暑いですねぇ」とフーさん。
「でも台湾の方が暑いんじゃない?」
「う~ん、同じくらいかな」
フーさんは日本居酒屋でのバイト経験があるみたいで、出会ったころから日本語でコミュニケーションすることができる。他にも母国語は勿論、英語もいける。いつも思うが、台湾の方々の語学力はすごい。日本は、、、。本人曰く、しばらく喋ってないと忘れるらしいが、会うたびにスムーズというか、どんどんレベルが上がっている。
今日はフーさんも合流し、1週間後に行う福岡でのプレビュー公演に向け、改めて作品の方向性について話し合いが行われる。エジンバラには来れないが、餞別としてプレビュー公演のみ照明として出田さんが入ってくれることになり、この日は出田さんも参加。自分も一度照明で入ってもらったが、ハンドメイドでこだわりのある照明を作ってくださる方だ。
今回の創作では、昨年のダンスエクスチェンジでは言葉になっていなかったところや、詰め切れていなかったところに触れ、改めて共通言語を確かめ合っている。というのが私の現場感覚である。
舞台表現は一人では成立しない。共演者やスタッフとの共同作業、何より観客がいることで作品は成り立つ。その上で、最後に見える表層的な部分ではなく、自分たちがはどんなものを作って、誰に、どのように届けようとしているのか、それら目に見えないけれど確かにあるものに自覚的であることは重要だ。
個人的な話をすると、自分は演出家としては再演をするのが苦手で、過去の上演から今の上演へ、周波数を合わせていくような作業、作品を再定義していくような作業があまり上手じゃないと感じている。変に前の上演のイメージや自分の考えがこべり付き、邪魔くさいと感じることもしばしば。そんなこともあってか、これまであまり手応えが持てずにいる部分もある。だから、というわけではないが、これを機に学べることがあるんじゃないだろうかとも思っている。
今回創作に向けて用意されたモノは大きく分けて三つ。一つは演出プラン、そして俳優の主観で段取りや流れなどが書かれた上演記録(台本)、そしてスコアだ。このスコアが導入されるに至った経緯は色々あるものの、私自身としてはバラバラな言葉や認識、共有されていると思いきや意外と違ったことなどを顕在化させ、創作を前に進めるための共通言語を育てるためのものだと思っている。
そんなこんなで、今日から本格的に準備が進む。

2026.7.31~8.1|顔合わせ
7月最後の日、あすみんにてミーティング、そしてエディンバラに渡航するメンバーの顔合わせ。福岡のメンバーとオンラインでプロデューサーのリカさん、葵さん、ミナミさん。
思えばこのプロジェクト自体、数年前からスタートしてはいるものの、改めて本当にエディンバラ行きが現実のものになったのだなと感慨深い。勿論演劇人としては、一度は行ってみたいと思ったことがあるし、フリンジで自分の作品を上演することを夢みたりもする。ただ自分一人では一生夢物語で終わっていただけだろう。改めてGIGAをはじめ、プロジェクトメンバーの実行能力、企画実現力には脱帽しかない。
この期待と不安の入り混じったまま迎えるプレビュー公演、どうなるかなかなか想像できないではいるが、今は前に進むことだけを考える。
ミーティングを終え、いつも通りエレベーターを降りて解散。見慣れた夜の天神の街を歩いて地下鉄を向かう。心境や認識が変わると街の風景もどこか違ってみえる。自分は生まれも育ちも日本なわけだが、韓国に行くといつも言いようのない懐かしさに包まれる。
さて、ヨーロッパの街を初めて歩く自分を想像してみる。一体どんな気持ちになるのだろう。

2026.8.6|粘りの時間
2日後には日本でのプレビュー公演が迫っている。今日も今日とて、自転車で稽古場へ。昼間は仕事があるため、夜から稽古に合流。案の定到着した時点で汗だくである。この日は当日どうしても来れない関係者も入れて、二作品を通してみる。
「ツルマチ」の方は、直前まで話し合いが続いていた。作品の再構成に伴い、現状俳優が演じるための足場を失っている様子。自分は前日の昼稽古に参加できていないため、断片的な会話の情報を拾い集めて、何が問題となっているのか、全体的に推測するにとどまる。
そのまま通し稽古が始まる。冒頭の観客との掛け合い、あらすじの共有の時間。英語と日本が入り混じったスタンダップコメディ的な印象を受ける。その後、男が囲炉裏に集まった者(観客)たちに語り始める。
時間をかけて人から人へと語り継がれ、姿や形を変えて残り続ける発酵された物語。昔話とは、共同体の文学だと私は考えるようになった。共同体は国籍や戸籍など、手続き上の実証可能なものというより、自分はもっと感覚的なもので良いのではないかと思う。だからこそ、この作品がヨーロッパで上演されるということは非常に興味深いし、この冒頭のシーンが担っている役割は重要だ。
全体としては、直前でかなり構成に変更を入れているというのもあり、がちゃがちゃしているという印象。ただ、作品がある一定のまとまりを持っているかどうかや、全体としてよく構成されているかどうか、というのとは別の話として、最後のシーンで自分はこれまでにない感傷的な気持ちにさせられていた。
これまで何度も観てきた場面ではある。ただその日の時間、空間が内包しているものは別である。演劇はいつでもその場の関係によって成り立つ。だからあまり映像で演劇を観たところで本質的に意味があるとは言えないのではないか。こうして日々違った表情を見せるのだから。
「ORU」の方は、作っている音源の方の最終調整段階に入ってきている。ただ、ぽんプラザやダンスエクスチェンジでのパフォーマンスと違い、エディンバラでは舞台が非常に狭い。そのことが、鑑賞体験に大きな影響を及ぼしているように思う。特に空間の変化、観客とのコミュニケーションの質のようなものにそれが現れる。
そしてこの日は、「ツルマチ」の出演者である五味さんの誕生日。めでたい。思い起こせば、彼と出会ったのはもう十年以上も前になる。年齢もひと回り以上向こうの方が上だ。ただこれまで、彼から年上特有の上から目線とか、よくある先輩ズラ的なモノを感じたことがまるでない。勿論自分は演劇の先輩として、またある時は友人として、またある時は兄のように、そして何より芸術家として、私は彼の背中を追いかけてきたように思う。私にとって、彼はいつも新しかった。そのことが今の自分に多大な影響を及ぼしてきた。彼と出会っていなかったら今の自分は間違いなくいない。おめでとう。
稽古終わりにみんなでお祝いし、その後「ツルマチ」チームは近所のすき家で打ち合わせ。正直、すき家で打ち合わせなんてしたことがなかったが、この日は、たまたま近所で話せそうなところが空いていなかったのだ。とりあえず、先ほどの通し稽古のフィードバック、そして今、創作現場で起こっている問題について話す。
結局、演劇は家で一人で本を書いたり、考えたりしていれば出来上がるモノではない。勿論、想像力も必要だが、まず立ち向かうべき生きた現実が目の前にある。集団創作ほどそのことに直面することはない。
今の社会、個人のセンスだとか才能だとか、一人で楽しめる娯楽に溢れている。だからこそ演劇は人が人と生きるための芸術として、その真価が問われている。ここでスカしてはいけない。今は粘る時間だ。

2026.8.8|プレビュー
プレビュー当日。午前中は会場が使えず、横の和室で役者はウォーミングアップ。の予定だったが、一本のLINEが届く。
「大変だ、どうしたのかわからない。
時間を完全に間違えた。今すぐ行く。
10時前には着くかもしれない。本当にごめんなさい!」
どうやらフーさんが時間を勘違いしていたようだ。本人曰く、体調は大丈夫だけど、頭がおかしい、とのこと。みんなそれなりに向き合うことが多くなり、時間も迫り、余裕がなくなってきていると感じる。演劇の本番前の、このなんとも言えない切迫感というか、空気感のようなものは、なかなか説明のしようがないが、まあ避けては通れない、みんなでアクセルを踏む瞬間のようなものかもしれない。自分が和室に到着した時には、フーさんと五味さんが、既に二人でウォーミングアップを始めていた。
自分は役者より会場の入りが一時間遅かったので、家で前日の音のフィードバックを元に修正作業。今日は昼の12時からしか会場の仕込みが行えず、開演は15時半なのでかなりタイトだ。おそらくゲネプロもできないだろう。自分も直前までの音作りと会場仕込み、撮影など、とにかく時間内におさめたいところ。
そして、今日はこのプロジェクトのプロデューサーでもあるリカさんがわざわざ福岡まで足を運んでくれたり、ダンスクスチェンジや以前撮影の協力もしてくれた池浦さんもお手伝いに来てくれたりしていた。そして、今回の海外とのやりとりや渡航や宿の段取りなどを一手に引き受けてくれている美里さん、そしてエディンバラまでスタッフで来てくれる二宮さんなどこの日は勢揃い。これだけ、色んな人の力で動いているプロジェクトなのだということに改めて驚く。海外公演、ましてやエディンバラ演劇祭にフリンジで参加することのハードルの高さはお金の問題だけじゃない。様々な人が各所で動いてくれているからこそ、ここまで来れている。それは決して当たり前のことじゃない。
仕込みまでは、和室で今日の段取り確認や、「ツルマチ」の確認・修正作業。これも演劇
でよくある風景だ。作品の手直しは本番の直前まで延々続く。あと少しでも作品を前に進めるために、努力を皆厭わない。自分も演劇人として中に入って動いているはずが、時々ふとした拍子にそんな周りの人の姿に驚くことがある。
12時になった。会場入りして仕込みが始まる。鳥飼倶楽部の講堂は実際のエディンバラの劇場よりは広い。ただ、今回のプレビューでは応援のために来てくれるお客さんも多いため、あえて実際の劇場のサイズに舞台を区切って使用する。
自分はまずその舞台の場ミリ。先にやっておかないと照明さんも仕込めないし、客席設置もできない。その後舞台奥を会場に置いてある卓球台で隠し、暗幕を貼る作業。ここは池浦さん、二宮さんにお願いする。池浦さんの本職は道具製作なので、自分がやるより遥かに綺麗な仕上がり。さすが。
あとはスピーカー設置、ブースの設置、撮影機材の配置。リハーサルの撮影など。自分の作業を黙々と進めていたが、気がつけば、というかあっという間に照明さんの仕込みも終わり、シュート作業などに入っている。出田さん、さすがです。
自分は音や記録系の仕込みは終わり、直前の稽古で音の修正箇所が入ったため、そちらの作業。演出の山田さんと俳優たちが戻ってくると、照明の確認作業。「ツルマチ」「ORU」の順で。どちらも衣装が変更され、照明映えするようになった。再演、というより、リクリエーションということもあり、作品の再解釈、理解が深まった一つの現れのようにも思える。
池浦さんは照明の出田さんのサポートと撮影を、二宮さんリカさん美里さんは受付まわりの準備を進めてくれている。
ただ、エディンバラの本番では、これよりさらに人数は少なく、会場入りから本番まで20分しかなく、当然やれることが限られる。そして本番が終われば即撤収。次の団体の本番が行われる。そもそも劇場を何週間もひと団体がまるまる占有するということは価格的に難しく、ましてやフリンジの期間に町で上演されている演目やイベントは三千をゆうに超える。時間をかけて設置する舞台セットなどを必要とする演目よりは、大道芸など、身ひとつで成立させる作品が多いのもそういう背景があるだろう。いずれにせよ、毎年それだけの規模の演劇祭を開催し、演劇で栄えた町がこの地球上にあるのだから、演劇人として一回は行ってみたいと思うのは自然なことなのかもしれない。
思い返せば、自分が初めて海外に行ったのは韓国のテハンノという演劇の街だった。そしてその時もGIGAの「10月の風鈴」という山田さんの演出作品だった。あの頃は確かまだ20代の前半から中盤に差し掛かる頃で、大学演劇の延長でユニットをやっていた自分は、活動に行き詰まりを感じていた。そんな時、自分の作品を観に来てくれていた五味さんがその場で声をかけてくれて、演劇大学に参加したのだった。そして、そこでアドバイザーとして入ってもらうことになったのが山田さんだ。その後、自分のユニットの活動とは別に、勉強する場所が必要だと考えた自分は、山田さんの現場に演出助手で入らせてもらい、その一発目の作品がソウルのテハンノでの演劇祭だったのだ。
テハンノには、街に200を超える劇場が立ち並ぶ。道を歩けば右も左も劇場だ。この経験は、20代の自分の価値観を変えるには十分だった。それほどまでに、今も自分の記憶の中であの街の景色は鮮明に残っている。
あれから10年以上が過ぎ、今度は世界最大の演劇祭への参加が目前に迫っている。生きていると、時々自分の人生や価値観をガラッと変えてしまうような人物や、体験に出くわすことがある。
今回はどうだろう。
15時半開演。
これはいつも思うことだが、GIGAのお客さんというのはなかなかに個性的だ。言い方を変えると見る側と見せる側の距離が近く、親密な感じがするのだ。劇団によって、集まるお客さんの雰囲気や、顔ぶれは大きく変わる。それはそのカンパニーが長年、演劇を通してどのようなコミュニティを築いてきたのかの証明なのだと思う。高級ブランドショップのお客と、町の古本屋にいるお客の顔ぶれが違うように。だから演劇を観に行って、その劇団がどんな集団であるか、演劇で何を成してきたかを知りたいなら、客席の雰囲気を味わう、というのも一つの手ではないだろうか。まして今回はプレビューであり応援の意味合いが強いだけに、それは非常に顕著に現れているのだろう。
始めに山田さんよりご挨拶。そしてエディンバラ同様「ツルマチ」「ORU」を連続で上演。会場の都合上、エアコンの音や扇風機の音などノイズも多少あるものの、お客さんは概ね集中して観てくれている印象。俳優も高い集中力でパフォーマンスしているように思えた。
ただ一点、自分の音響操作に関しては「ORU」の方では機材トラブルで音出しのタイミングが遅れるといったことがあった。終わったあとに山田さんからは、
「ソウルを思い出したよ」と一言。
…確かに、テハンノでの公演も音響ソフトがフリーズするというトラブルでなかなか大変な目にあった。まさか同じアプリケーションを使って似たようなトラブルが起こるとは。とはいえ、あの頃と違うのは、トラブル耐性がついたせいか、自分でも驚くほど、ひどく冷静であった。いずれにせよ再発防止に努めたい。勿論、まさきちには平謝りである。予定より長く踊らせてしまった。
また、「ツルマチ」に関しても、会場のエアコンや扇風機のノイズや人が多く入ったことで、今目の前で起こっていることに対して音をどう置くか、どう関係させるかといった感覚的な部分で、事前に当たりを付けていたレベルや変化の仕方に疑問が生じた。計画はあるし、機材的な限界はあるものの、本番で違うと思ったらもう少し大胆に踏み込んでも良かったのかもしれない。いやむしろ、事前に深めておくべきポイントがあったことで、反応が遅れた、といった感覚が近いのかもしれない。
終演後は残れるお客さんとの交流会。各所で立ち話や、座って話し込んでいる様子。それを横目に黙々とバラし作業。会場の都合で18時までには和室に移動しなくてはならない。追加で応援チケットを買ってくれたお客さんもいるらしく、ありがたい。なるべく還元していきたい。
その後は、メンバーだけで懇親会。旅のしおりの配布。旅に向けた疑問の解消など。「ORU」はその場でフィードバックを済ませ、「ツルマチ」はガストに移動してフィードバック。そう旅はまだ始まっていない。ここから始まるのだ。

episode 01 ~旅の始まり~
2026.8.11|集合と出発
久しぶりの福岡空港は、記憶の中と対して変わっていないように思える。プレビュー終わりの懇親会で集合場所の話になった時、危うく国際線に行こうとしていた自分に気がついた。本当に危ない。海外に行くのだから国際線に行くのだと思い込んでいたが、よくよく考えたら一旦羽田まで行ってからヘルシンキ、そしてエジンバラという流れなのだから、国内線に決まっている。危うく国際線行きのバスに乗るところだった。出だしからつまずきたくない。
集合場所で待っていると、五味さん山田さんがやってきた。そして少し遅れて美里さんも合流。台風の影響で便がどうなるのかを直前まで調べてくれていたみたいだ。結果的に、台風の影響で予定より30分早い便に搭乗することになる。カウンターで手続きを進めると、各人の預け荷物が数キロオーバーしていることが発覚。しかたないので、スーツケースから機内持ち込みの荷物にいくつか移す。自分は持ち込む予定のなかった本を数冊とノートをリュックの方へ移し替える。この辺の荷物問題も、演劇旅公演あるあるだ。
その後検査場も問題なく通過し(ベルト外し忘れて止められたけど)、搭乗口付近へ。美里さんは荷物検査で毎回ベルトをつけ外しするのが面倒だから、つけてこないことにしているんだとか。自分も次回からそうしよう。ちなみに、山田さんは靴の金具かなんかで引っかかっていたようで、気持ちぐったりしている。
「今からエディンバラっていう、実感全然ない」と山田さん、
「単なる寝不足では」
「それだ」
聞くと、テープ類とか入れてたら気がつけば荷物がパンパンで、持ってこようと思ってた麺類とか全然入らず断念することになったんだとか。
まぁそんなこんなでちょっと落ち着き、安心し切っていた。
すると、羽田行きの搭乗直前、ふと自分が家の鍵を持っていないことに気がつく。一瞬にして血の気が引いていく、サーッという音が自分の中から、まさにオノマトオペ、そんな音が聞こえた。
ど、どこかで落としたのでは?と焦るも、もう搭乗の時間である。慌てて、記憶の中の自分の行動を振り返る。家を出る時、スーツケースのあまりの重さに気を取られ、鍵を持って出るのを忘れていたのだ。勿論、家自体は同居人が一緒に出る時に施錠してくれていたし、私の鍵一式は今も家の下駄箱の上にかかったままのはず。一応連絡だけして、とりあえず安堵。
前途多難。出だしからつまづきかける。…気持ち切り替えていこう。
羽田までは大体90分程度。本を読むか、寝るか、作業するか、過ごし方に少々悩む。目の前のディスプレイで映画が見れるけど一本丸々は時間的に厳しいかな?と思っていたら、ちょうどピアに入選した自主製作映画がいくつか観れるようになっていた。しかも60分以内で尺も丁度良い。というわけで、その中から「惑星イノウエ」という人形劇映画に興味が湧いたので、軽い気持ちで再生。
手作り感満載の美術。ニートのイノウエ人形や、惑星イノウエの建物など、造形が好きで楽しめた。あまりネタバレ的なことは言いたくないが、個人的には最後に人形のイノウエが自分自身の思い出の品などが展示してある美術館みたいなところを順路通り進んで、その先でカーテンの隙間から何かを発見し後戻りする、そんなシーンが印象的だった。正直、最後のエンドロールまで脚本・監督、声、美術など全てイノウエなる人物が一人で担っている作品なのだろうと思い込んでいたがどうやら違っていたようだ。
最初のシーンが実写的なイノウエの部屋から始まり、ゴロゴロする人形のイノウエを黒子が動かす場面だったので、てっきり最後は黒子の正体として実写のイノウエが出てくるのだと期待したりして観ていた。それだけに、終わり方をどう解釈して良いものか。観た人がいたら話してみたい。
映画を見終わると、なんだかんだ眠くなったりもしたので、そのまま羽田まで眠ることにする。ここからさらに羽田からヘルシンキ、そしてエディンバラへと長時間移動が続くので無理せず。
ウトウト。何度か目が冷めながらも、無事羽田に到着。そのままバスで荷物検査上のあるところまで移動。するとなんと、ミナミさんがお見送りに来てくれていた。
本当は、ミナミさんも一緒にエディンバラまで行って、公演のお手伝いをしに来てくれる予定だったのだけれど、パスポートの期限の問題で急遽これなくなってしまったのだ。とはいえ気持ちはもう切り替えているとのことで表情は晴れやかだ。パスポートも再申請を行なっているみたいで、我々がエディンバラから帰国する時期に発行される見込みのようだ。
「次は、いつ行きます?」
ミナミさんのお知り合いが、今回の公演のチケットも買ってくれているらしく、渡して欲しいらしい荷物を預かり、メッセージ動画もバッチリ撮影し、みんなで写真撮影。しっかり送り出してもらう。
保安検査場を通ると、みんなお腹が空いているということなので少し移動して、搭乗口の反対側のフードコードへ。自分は集合前に少し早く着いていて、福岡空港で牛丼を食べていたので荷物番。
ただ結局、山田さんの買ってきた、たこ焼きと焼きそばを半分もらうことになる。勿論ありがたくご馳走になる。それにしても、あんなにお腹空いたと言ってたのに…。なんだか、お腹一杯にならない方が良い気がする、とのこと。
羽田までの便が少し早まったことで、時間的にまだ余裕があったので、まあぼちぼち搭乗口まで向かっている。すると途中にセブンイレブンが輝いておりそこには長蛇の列が。山田さんはお菓子を買いに吸い込まれていく。自分と五味さんはその横にあるSORADONKIなる店へ。空港にあるドンキホーテということでこの名前なのだろう。それにしても…高い。ベリーエクスペンシブ!まだ日本だぞ。
「ドンキなのにこの値段!?」と五味さん。
そそくさと退散。すると山田さんも列に並ぶのをやめて合流。
すると、館内アナウンスが。
「石田様~。石田様~。」
「いや、空港内にどれだけの石田がいると思ってるんだ。俺じゃないでしょ。」と自分。
「石田と山田はねぇ。」と山田さん。
そしてもうしばらくすると、
「五味様~。五味様~。」
「、、、え。」
石田とかならともかく、五味となると…。これはもう呼ばれている。登場までは時間がまだあるのになぜ? とにかく搭乗口まで急ぐ。
結論、乗り換えに伴い先にパスポートとチケット荷物預かり書の確認が必要だったとのこと。一安心。美里さんも合流し4人とも確認を終え、各自しばしの休憩。そして搭乗。
今度はかなりの長丁場。朝まで10時間以上のフライト。先ほど仮眠して元気があるうちに作業か映画か。色々悩んだ結果、なぜか新作ではなくクリストファーノーランの「インセプション」を流す。が気がつけば睡魔に襲われ、まさにインセプションの映画ように眠りに落ちる。さらば日本。

2026.8.12|降り立った異国の地
目が覚めた。厳密にはまだ12日ではない。というか時差の関係で完全にここからは感覚がバグる。機内食の時間まで少々間があるため、寝起きの元気なうちに、旅行記を進めることにする。まだプレビューの前のエピソード0の途中。エディンバラに着いたらどのくらい作業時間が確保できるかわからない。今のうちに進めておきたい。
しばらく作業に集中していると、やがて機内食の時間。お米に鶏肉とブロッコリー、パスタとパン、それから謎にブラックサンダーが一つ。ついでにコカコーラーもありがたくいただく。あっちに着いたらいくらするかわからない。今のうちに飲んでおこうじゃあないか。自分はそんなに機内食を食べる機会が滅多にあるわけではないが、見ず知らずの他人と肩を寄せ合って同じ物を食べるというのは、なかなかに不思議な体験だなぁと毎度のことながら思う。なんにせよ楽しいイベントだ。
食後はあからさまに集中力が落ちるので、作業はまた朝にでも再開するとして、一旦トイレに立つ。しかしここで事件が起きた。
トイレは使用中のままだったので外で待つ。そうこうしていると、自分の後ろに歯磨きしながら並ぶお姉さんが、そしてその後ろに別の男性が列を作っていた。そこから20分経過。一向に出てくる気配がない。あまりに出てこないので、一度自分でノックをしてみる。しかし無反応。困った。正直自分はそこまで切迫した状況ではないが、人はどんどん溜まっていく。そこから5分後、そんな状況に気がついた客室乗務員の女性が一人、
「長い時間待ってる?」的な意味の英語で話しかけてきた。
「Yes,long time,waitng」とカタコトの英語で自分。
すると、乗務員さんが割と強めの圧でノックしてから立ち去っていく。ふう、これで出てくるかな?と思いきや、さらにそこから数分間、全く出てくる気配がない。すると再び戻ってきた乗務員さんが、さらに強めに何度かノックし、中の人に声をかける。しかし応答がない。
ここまでくると流石にこちらとしても心配になってきた。中で倒れているのでは?など嫌な想像が膨らむ。そしてもう一人乗務員さんが増え、二人で再度声をかけ何度もノック。すると、おそらくベテランの乗務員さんがおもむろに、鍵の部分に手をかけると、外側から鍵をあっという間に開けてしまった。
緊張の一瞬。
恐る恐る扉が開かれる。しかしそこには、誰の姿もなかった。そして乗務員さんが一言、
「Ghost!」
そう言うとそそくさと仕事に戻って行ったのだった。か、カッコいい…。けどちょっとこのトイレ使うの怖いなぁ。これがこの飛行機の僕のハイライトである。
ヘルシンキまでの残り時間は、旅行記の執筆を進めたり、時より「インセプション」の続きをぼんやり観たり、ウトウトとしてみたりを繰り返す。すると明け方、ぼんやりしていると後ろからやって来た山田さんが一言、
「後ろでドリンクバーが楽しめるよ」
そう言うとまた後ろに消えて行ってしまった。ちょっと何を言ってるのか、一瞬わからなかったが、思えばもう何時間も座りっぱなしで、トイレにもしばらく行けていなかったので、運動とトイレがてら機内の後ろの方に歩いてみることにした。
すると後ろには、そのドリンクバー的なモノを楽しむ、山田さんと美里さんの姿。客席乗務員のブースの手前に、簡易的なトレーがあり、コーヒーやお茶、ミルクなどをセルフで紙コップに入れて飲むことができるらしい。二人はしばらくそこでお茶していたようだ。せっかくなので自分もコーヒーをいただきホッと一息。
その後、朝の機内食の時間がやってきて、ハッシュポテトとスクランブルエッグ、そしてブロッコリー。再びコーヒーをいただく。そういえば、「インセプション」最後まで観終わらなかったなぁ。
やがて、飛行機はフィンランド、ヘルシンキ空港へと降り立った。明け方のヘルシンキの気温は9度。飛行機を降りた瞬間のひんやりとした肌触りが、夏服の自分には不思議な異国の風のようにも感じて嬉しい。
そもそも、ヨーロッパ自体が初めてなので、当然フィンランドもお初なわけだが、個人的には自分の周辺、親兄弟やそめごころメンバーにムーミン大好き人間が非常に多いので、写真を撮ったりして一応自慢しておく。まあ、空港から出ることはないわけだが。
明け方ということもあり、人は極端に少なく、空港は静まり返っていた。もしかしたら飛行機に長時間揺られていたことで、急な静寂を意識が新鮮に感じているだけかもしれない。窓から見える外の風景は澄んでいて遠くまで見渡せる。いつか自分でも来てみたい。空港にはフィンランド式コテージの模型のようなものが置いてあり、みんなで入ってみたりしてみる。美里さんいわく、みんながみんなコテージを持っているわけではないけど、公務員の人とかでもまいコテージを持っている人とかいるんじゃないかな、とのこと。よし、将来の夢はフィンランドの公務員で決まりだ。
エジンバラ行きに乗るまでは、各自自由時間。各々調べ物や個人作業などを進める。ふと自動販売機で売っているコーラを発見。機内サービスで無料ならと飲んでいたあのコカコーラ。果たして何ユーロなのか。
ヘルシンキ空港に自動販売機のコカコーラ、その表記は3.00ユーロ。
その時点で1ユーロが184円ぐらいだとすると、単純に3倍で約552円。自販機の、しかもちょっとほっそりとしたコカコーラが552円だなんて…。これがヨーロッパか。今日本の一般的な場所に設置されている自販機コーラでも180円とかで高い高い言っていたのに。これでは近所のラーメン屋のラーメンと同じである。もしラーメンも3倍なら1500円とかするのだろうか。ふぅ。エジンバラでは金銭感覚をしっかり保ったまま暮らさねば。とんでもないことになりそうだ。
その後、搭乗まで五味さんと旅行記の打ち合わせなどを軽く行い、再び空へ。この短時間で三度目の飛行機。だいぶ慣れてきた。エジンバラに着いたら、今日はかなりハードな一日になりそうなので、眠れる時に眠っておく。目が覚めて少々作業も進める。窓の外に、写真や動画でしか見たことのなかったスコットランドの風景が広がっている。いよいよだ。
と、到着を前にテンションが上がってきたところに、着陸時の急なブレーキが襲う。引っ張られる体と一瞬足に何かが当たる感触。視線を下に向けると、もの凄いスピードで滑り落ちていきながら、バッコンバッコンと座席の足に当たって視界から消えていく誰かのiPad。うわぁ…。そういえば、ヘルシンキ行きの便の離陸時にも誰かのペンが滑り落ちてきて、他の乗客とリレーで持ち主までお戻ししたりしていた。同じようなことがこの短期間で二度もあるとは。帰りの飛行機では自分がそうならないように気をつけよう。
とにもかくにも、無事に体を運ぶことには成功。あとは荷物が無事一緒に来てくれていたら第一関門突破というわけだ。
しばらくすると、全員の荷物が無事届く。よかった。ひとまず空港のカフェで席を取り、食事しつつ今日明日の段取りの打ち合わせをしながら、別便で台湾からこちらに向かっているふーさんとの合流を待つ。
値段に怯えながら注文用タッチパネルでパンとカフェラテを注文。日本円で1200円くらい。まあまあ。カフェラテは迷ってSサイズにする。英語圏のサイズならSでもデカいのでは?と勝手に思ったのだが、SはSだったようだ。パンの方はハムが挟んであって、しょっぱくて脳に染みる美味しさ。また、空港のスーパーに売っているパン屋さんで五味さんが買ってきたパンも一口もらう。美味すぎる。しかもそっちの方は値段も安い。待ち時間の間、自分もその辺をぶらぶらしてみる。コンビニの横にお花の無人販売機のような物が設置されていて面白い。ちょっと外に出てみると、一瞬海の匂いがしたような気がした。巨大なバスに人々が乗り込んでいく様子。気温は暑すぎず、寒すぎず、ちょうど良い。
今日の予定は、ここからエジンバラ演劇祭が開催されている地域へバスで移動し、チラシ5千部を回収。荷物を預けて本部へ行ったり、劇場で観劇のち、「ツルマチ」の打ち合わせなどなど。割と予定詰め詰めだ。そうこうしていると、10時50頃にフーさんが無事到着。合流。そのまま先ほどの巨大なバスにみんなで乗り込む。
窓から見える景色は、これまで行ってきたアジアの国とは違っている。ただ、意外と違和感を感じなかったのは、右ハンドル左車線ということも関係してるのかもしれない。過ぎていく住宅街があまりにも素敵で気持ち浮かれる。よし、将来の夢はエジンバラであんな家に住むで決まりだ。すると前の座席に座っているフーさんが目をつむっていた。
「飛行機であまり寝なかった?」
「いや、風景を逆から見てると、はい。ちょっと。」
フーさんは進行方向を背にして座っているため、景色を見続けていると乗り物酔いしてしまうようだ。
「席変わる?」
「ううん、大丈夫大丈夫。」
そう言うと、再びそっと目を閉じた。
住宅街を過ぎると、次第に街は賑わいを増していく。古い建物の中に、喫茶店やBar、美容室、自転車屋、車屋、雑貨屋、いろんな店が入れ込まれている。日本だと建物の外観もお店も目まぐるしく変わっていく。建物は次々と潰されては新しくなり、それ延々と繰り返す。この違いは一体なんなのだろうか。歴史や文化に対する価値観だろうか?その辺を歩いている人のファッション、体型、雰囲気からも、自分の持つ精神性とは大きく異なるナニカを感じぜずにはいられない。これまで韓国や台湾などアジアの国では感じなかった、自分は日本人なのだという自意識の強調。これはまさに初めての感覚だった。
バスを降りると、ひとまず二手に分かれる作戦。山田、五味、符の3人はカフェで明日からの「ツルマチ」の創作の打ち合わせを先に進め、石田、美里チームでアウトオブハンズへチラシを5千部受け取りに行く。よくはわかっていないが、チラシやポスターなどイベントのプリント会社のようなものなのか。
とりあえず、スーツケースなど重めの荷物を打ち合わせのカフェに置かせてもらい、美里さんにアイスコーヒーをご馳走になる。ドロンとした体に染み渡り生き返る。飲みながらバス停へと移動し、再びバスに乗り込む。Apple Payのおかげで移動の決済はスムーズで助かる。バスはさらに演劇祭の中心部へと移動していく。あっというまに人通りが多くなり、路上パフォーマンスや合唱なども街中で行われている。中心部には建物の外観はそのままに、マクドナルやケンタッキー、スターバックスにH&Mなどチェーン店も立ち並んでいた。
中でも驚いたのは、路上の電柱や壁など、至る所に、演劇のチラシやポスターが貼りまくられており、すれ違うバスにも演劇の広告が貼られ、演劇公演の宣伝カーとなっているところだ。また、外の気候は涼しく、路上のテラス席では昼間から大人たちがビールやワイン、ピザなどを楽しんでいた。自分は日本でそんな心の余裕を持って暮らしていける自信がない…。
そうして、20分程度で最寄駅へと到着。外の風は冷たく、8月とは思えないほど過ごしやすい。一方バスの中は、エンジンを停止するたびにエアコンが止まるのか、とにかく蒸し暑い。噂にはきいていたが、やはりヨーロッパでエアコンに期待するのはやめた方が良いのかもしれない。
グーグルマップの指示に従い歩いていくと、銀行の敷地内に到着。そのまま進んでいると、喫煙所でタバコを吸っていたお兄さんに止められる。どうやらあっちサイドを通らないといけないらしい。敷地内に、そのチラシを受け取る予定の建物はあった。中に入ると、おじさんから、どこの団体だ?みたいな感じで聞かれ、
「TSURU!」と美里さんが応えると、
「OK!」と言って、
チラシの束が入った段ボールを二つ、それからポスターを持ってきてくれた。ここは撮影してもいい?と聞くと、SNSとかじゃなく個人用なら問題ないとのことだったので撮影。気さくというか、ユニークでおおらかな方だった。その場で、段ボールからある程度チラシを取り出し、スーツケースとリュックに移した。帰りがけににはその男性はいなくなっていたので、事務所のお姉さんに段ボールの処分をお願いし、なぜかお姉さんと記念撮影。
それにしてもかなりの重さ。ここから先ほどのカフェまで。なかなかの気合いが必要になる。とりあえず先ほど降りたバス停の反対車線でバスを待つ。バスに乗り込み来た道を戻りつつ、外の風景を眺める。全然飽きないが、街そのもの情報量が多いのとバスの暑さで頭がぼんやりとしている。そして気がつけばバスの中は我々二人だけになっていた。
すると、突然バスの運転手が、
「Finish!」とこちらに喋りかけてきて、目的地到着までにバスを降ろされる羽目に。
乗り込む前に確認した感じ、確かにこのバスだったはず。頭に??マークが浮かびながらとりあえずお礼を言って下車。さて困った。ここから先ほどのカフェまでは徒歩で30分ほど。このチラシの山のことを考えるとあまり現実的ではないだろう。さて、バスに乗り直すか、あきらめてタクシーにするか。結局美里さんがアプリで読んでくれたタクシーを待つことにする。というか重さとバスの暑さでかなり体力を削られていたので、そうする他仕方ない。
二人でしばらく待っていると、思いの外早く、巨大なベンツが到着。中も広くて快適。そうして、カフェまで運んでもらっている中、美里さんが運転手と話していてわかったことがある。
あちらの大きな通りで2週間前に火事起こり、通行止めが続いているためバスのルートなどが変わったり、渋滞したりしているようだ。そういうことだったのか。
目的地近くで降ろしてもらい、カフェで3人と無事合流。そのまま予約していた荷物預け所へ移動することに。長時間使わせてもらい、荷物まで置かせてもらっていたカフェだが、さらに店員さんが、公演チラシまで置かせてくれた。…優し過ぎる。さあ、荷物を預けていよいよ演劇祭の本部へ移動開始。
何度も移動しながら気になっていたバスの2階へ。少し上から街を見下ろしながらエジンバラの街を進む。路上パフォーマンスで、おそらくサンドアート?でラクダを作っているアーティストの元に人だかり。それとエジンバラは海が近いからか、街中を結構頻繁にかもめが飛んでいて、鳴き声もよく聞こえる。相変わらずバスの中は蒸し暑いが景色は最高。行ってみたい場所、歩いてみたい道が沢山ある。それはこれからのお楽しみだ。
バスが到着。本部に反対側にあるアジアンフードショップをのぞく。サーモンやカリフォルニアロールなど、寿司や海藻などが冷蔵庫に並んでいる。中には虹色の海鮮丼のような商品も置いてあったが、日本円で3000円を超える金額であった。それにまだ初日、日本食が恋しくなるにはまだ早い。
というわけで自分は何も買わずそのままみんなで本部に。QRで登録して名札は手書きで作成。演劇祭のフリーペーパーというか、分厚いプログラムが無料でもらえたので一冊もらう。改めて凄まじい上演作品数。これが世界最大級のフリンジかと改めて驚く。建物外のテラスでしばし小休止。美里さんにカリフォルニアロールを分けてもらう。普通に日本と変わらず美味しい。五味さん山田さんはポスター貼りへ。
そしてついに、自分たちの作品を上演する劇場へと徒歩で移動。事務室に挨拶してお土産のめんべいを手渡す。そしてこちらでも名札をもらう。この名札があれば、この劇場で上演される作品は基本的に無料で観劇可能になるらしい。太っ腹。ただし、有料でチケットを購入しているお客さんが優先なので、その後の案内になるルール。我々が上演するスペースはその建物の下だ。
劇場では、すでにチケット購入したお客さんの列ができ始めている。今日観劇するのは、「Burn」というタイトルの作品で、おそらくダンスや音楽系というより、いわゆるストレートプレイ的な演劇ではないかという話だ(後々聞くとシェイクスピアのヘンリー8世?か何かのアレンジだったらしい)。
並んでいるとかなりの満席の様子で、ギリギリまで今日観られるかはわからなかったが、結果、ギリギリ四名なら入れるとのことで、美里さん以外の4人で観劇。なんとか最後に滑り込みで座席に自分が着席すると、前の座席の下に微かに動く影が。よーく観察してみると、介助犬らしき犬がおとなしく寝転んでいた。こっちにきてたびたび散歩中の犬などを見かけるが、どれも日本で散歩されている犬種よりもやたらとでかい。これもお国柄なのか、よくわからないが、いずれにせよデカい犬、可愛い。
芝居が始まる。作品は男女の二人芝居。舞台奥には黒板が置かれ文字が書かれている。その周りや劇場の壁には紙がランダムに貼り付けられ、ツラ側には蝋燭LEDの灯りが揺らめいている。舞台中央にはテーブルを挟んで椅子が二脚。テーブルの上には本とチェス盤。
最初に女優のモノローグ、途中からもう一人の男のモノローグもそこに加わり、やがて二人のシーンへ。男の方は時より帽子を被り役を演じ分けていると推測。それは女も同様なのかは、それは定かではない。男と同じように記号的な仕掛けもなく、自分が聞き取れる英語だけでは物語の筋を理解するのはやはりというべきか、なかなかに難しい。俳優の演技もいわゆるストレートというか、終始オーソドックスな印象で、物語を伝達し、感情をシェアするのが俳優の仕事といった具合。それだけに言語が理解できない人間には、俳優が舞台でやっている仕事量の少なさが気になる。また演出の工夫的な面でも、ミザンス一つをとってもなかなかに厳しいと感じてしまう。もちろん英語能力があること前提なのだから、しょうがない。ただ、いち演劇人としては、世界演劇的なモノをこの街に期待するので、そういった言語や文化、イデオロギーも超えて肉体的に、あるいは想像的に迫ってくる演劇的な可能性を観てみたいと思う。
劇場の方は割と想像と大きくずれたりはしていない印象。ただエアコンが付いていないのか、なかなかに暑い。それと外の受付まわりにいる人の声が漏れ聞こえてきていたり。スピーカーと舞台上の世界の分裂感などが気にはなる。けれども、しっかり創造性を持って劇場を利用すれば良い空間だとも思うし、なんら問題はないと思う。良い参考になって。
そして何より、エジンバラに演劇を観にくるお客さんの、楽しもうという姿勢を強く感じ、それが嬉しかった。早く自分たちも作品を見せたいという気持ち。
上演時間は60分。終演後の拍手は力強かった。ちょこっと演出家らしき人物の挨拶もあり。とりあえず外へ。自分は劇場の暑さもあってか、移動の疲れがここに来てドッと押し寄せてきてしまう。劇場向かい側の歩道で座り込み、ちょこっと涼んでおく。とはいえ、時間的にはちょうど宿のチェックインが可能な時間になったので、このままみんなで預けた荷物を回収し、宿へと向かう。宿への道のりは、表の通りより人通りも少なく、裏道的な感じというか、古い道という感じがする。今は問題ないけど、夜は一人で歩くのはやめた方が良いかもしれない。今のところそこまで治安が悪いとまでは思わないけれど、バスから外を眺めた時に、何やら座り込んだり、遠くに向かって叫ぶ人がチラチラといたりもして、多少の警戒は必要かもしれない。
通りの壁にはさまざまな公演のポスターが貼ってあり、それは何十メートルにも及んでいた。また、そのまま歩いていくと、遠くからジャズの音が聴こえてくる。途中トンネルの中で、サックスを演奏する人の姿が。その人が演奏していたのだ。そうして、しばらく歩いていくとまた騒がしい大通りの方へ出てきたようだ。
そして、そのまま荷物を受け取り、ようやく宿へ。宿は街の路地を一本行ったところの戸建てで、大通りに比べると静かで過ごしやすそう。一階にリビング、トイレ、庭、二階にはシャワールームにベッドルームが二つ、そして作業机が置かれた少し狭めの部屋一室。事前にベッドが足りないということは知らされていたので、寝袋を持参し最悪リビングの床か廊下での生活も考えていたが、これはデカい。旅行記の執筆や映像編集など宿での朝晩はPC作業が多いので、かなり助かる。しかも個室。逆になんだか他の人に申し訳ない気がする。
飛行機で多少は眠ったとはいえ、福岡からの長時間フライトからの街中の移動、そして観劇と横になることなく約40時間、体力はかなり限界に近い。とりあえず、みんなが近くのスーパーで買い物をしている間に、シャワーを使わせてもらい荷解きなどを行う。
そのまま夜は宿で食事。持ってきたひやむぎを麺つゆにつけて食べて明日の予定を確認。部屋に戻って横になると、そのままあまりにもスムーズに眠りに落ちた。

episode 02 ~街の表情~
2026.8.13|同時に存在する世界
目が覚める。スマホで時間を確認すると朝の4時半。思いのほか早めに目が覚めた。シャワーは昨日浴びたので歯磨きして、そのまま朝食まで自室で作業することに。日々の旅行記も、記憶が新しいうちに書き進めておきたい。
今日の朝食当番はフーさんと美里さん。スーパーのパンとマッシュルーム、サラダなど。こっちにきてどんな食生活になるか多少の不安もあったのだけれど、むしろ日本にいる時よりしっかり健康的。みんなで今日の予定を確認。片付けて出発。
エディンバラの朝はとても空気が澄んでいて、風が気持ち良い。徒歩でこの旅初めての路面電車(トラム)乗り場へ。基本的にバスも電車も、その他のお店などでの清算も、今のところ全てカード決済である。昨日空港でどのくらいエクスチェンジしておくべきか悩んでたけど、そんなに現金を持っておく必要はなかった。路面電車には乗車する前のホームにタッチ決済できる場所があり、乗った後に乗務員の方が手続きできているかチェックに来てくれるスタイルのようだ。
これから向かうのは、エディンバラカレッジという学校の練習室。リカさんが以前エディンバラを訪れた際知り合った方がそこで働いていて、場所を貸してもらえることになったんだとか。
電車は段々と市街から離れ、田舎の方へと移動していく。途中、大きな犬を連れた男性が乗車してきて、その犬が荷物置き場の中に入り込んで横になってしまった。なかなかに微笑ましい光景。後から乗ってきた人たちも荷物を置こうとして、その光景を目にして思わず笑っている。なんだかみんなせかせかしていないというか、こっちの人はアクシンデントに対して、おおらかな印象を受ける。日本の公共交通機関は、どちらかというか時間通り、正確に、キビキビという感じだろうか。まあ、それで助かってる部分は大いにあるのだけれど。ただ、このがらがらで、緩やかな車内の空気感が自分は好きだ。
途中、みんなで駅を間違えて降りてしまった際、とてものどかな田舎の風景が広がっていた。優しい風が通り抜けていく。たったこれだけ、たったこれだけのことだけれど、自分は本当に嬉しくなってしまう。行ったこともない、映像や写真でしか知らなかったヨーロッパの、別に観光地というわけでもない、何か特別なイベントがあってるわけでもないこの場所では、自然が息をしている。
再び乗り込んだ電車の中で、五味さんが何やら子供連れの女性と仲良くなっている。少し日本語が通じたようで、チラシを手渡して下車。今回の公演用のチラシはA6サイズと小さめで、それはウチだけでもなく、ビラ配りしている人や劇場の置きチラシ、どれもそのサイズがスタンダードなようだ。日本だとやはりA4サイズが多い印象だが、フリンジでは、これだけ街中で多くの演目が上演され、ビラ配りを前提としているからだろう。こうして、たまたま電車の中や街中で知り合った人、すれ違った人に気軽にチラシを渡せるのはこれだけ巨大な演劇祭ならではだ。聞いた話では、このビラ配りも、お金さえ払えれば代わりにやってくれる人を雇えるようだ。演劇祭が雇用も生み出しているのだ。
そこから練習室まで歩いていく。途中、歩道に何か植物の殻のような物が沢山落ちていて、ふと見上げてみると、見たことのない白い花の蕾なのか?実?のようなものがなっている。
おそらくあの建物だろうと思われる建物を目指して歩いていると、向こうから一人の女性が歩いてきた。彼女がこの練習室を使わせてくれるよう手配してくれた、ジェスさんだ。一通り挨拶を交わすと、鼻をつまむジェスチャーをしながら、
「良い匂いでしょ。すぐそこにゴミのリサイクル場があるの」と冗談混じりに言った。
言われるまではあまり意識していなかったが、確かに風にのって、若干臭ってくる。中の練習室や劇場は普段はこの学校の学生さんが利用している設備だが、今は夏休みのようだ。練習室の中は片面の壁が鏡張りになっていて、バレーなどで使うバーも設置されている。また、椅子や机、エアコンも完備されていて、非常に快適に過ごせそうだ。ありがたい。
俳優たちのウォーミングアップの間、自分は隅っこの机で旅行記の作業を進めることにする。稽古場入りの時間が、お昼に近かったというのもあり、しばらくすると自分と美里さんは、別の建物にある学校のカフェのようなところにみんなのお昼になりそうな物を探しに。そこまでは、また別の職員の男性が連れて行ってくれた。校内をずんずんと進んでいく。スコットランドの学校の校舎を歩くというのは中々にない経験でなんだか学生になったような、留学生気分でワクワクする。途中映画なので時々みる、回転扉があり流れに逆らわず通過する。すると、校舎の中に椅子と机が沢山あるスペースがあり、そこに小さな売店もあった。みんなそこで買い物をして、人と喋ったり、作業したりしているようだ。ただ、思ったよりみんなのお昼になりそうなラインナップにはなっておらず、とにかくコーヒーだけ買って稽古場へと戻ることにする。会計を済ませ、コーヒーを受け取ると、美里さんが店員さんにチラシを置かせてくれないかと交渉。快くレジの横に置かせてもらえた。優しい。そしてすごい行動力。
その後、コーヒをこぼさないように、慎重に来た道を戻る。
稽古場自体は、今日はこの後に他の利用者もいないらしく、夕方までみっちり稽古。プレビューから、本番に向けて。演出プランや作品が持っている中心的な部分はそのままに、外国での上演に向けてさらに細かな箇所の微調整に時間を使う。
とはいえ、みんな何も食べていなかったので、美里さんが先ほどの売店で、何やらすごい油に包まれたソーセージをパイ生地で包んだ何かしらを買ってきてくれた。これはこっちでポピュラーな食べ物なのだろうか。外国に行くと毎回そうだが、まず見た目で味を想像して、実際に食べる。そしてそのギャップに戸惑う。これも異国旅の醍醐味のような気がする。
稽古を終える。この後の予定としては、フーさんのお友達の舞踏家がフリンジで別の劇場に来ているとのことなので、そちらを観にバスで移動することになる。バス停まで再び校内を歩いていると、コンビニを発見。時間的に微妙な感じだが、お昼はあのパイ生地に包まれたソーセージしかみんな食べていないというのもあり、寄ることになる。コンビニの前に子供がたむろしていて、我々がコンビニに入ろうとすると、
「コンニチハ」と喋りかけてきてくれた。
おお、日本語!とみんな驚きつつ、よく日本人とわかったものだ。なんだか嬉しい。
コンビニのラインナップはそこまで日本と変わらないかな、と思いつつも、全体的にはやはり割高な印象。興味本位でキョロキョロと見て回るも、何を買って良いかわからず、それに思ったより先ほどのソーセージがお腹を満たしていたため、買うのをやめる。すると、自分があまりにキョロキョロしていたからか、レジの男性が、
「なにかお探しですか?」みたいなニュアンスのことを英語で語りかけてくる。
そして、恥ずかしながら一言もそれを聞き取れなかった自分。しどろもどろしていると、向こうまで戸惑っている様子で。なんだか情けないやら申し訳ないやら。日本人を見つけなんの躊躇もなく日本語で声をかけてくれる子供たちと、せっかく声をかけてくれた店員さんにキョドル自分。とほほ。それにしても、そんなに難しい単語は使っていないはずなのに、ここまで聞き取れないものか。
その後のバスの中でchatGPTに、こんなことがあったんだよって相談してみると、
「あぁ、それは外国に行って一度は経験することですね。でも大丈夫!」
と謎に励まされ、今後の勉強プランなどを提示され、気がつけば眠りに落ちる。
バスを降り、上演される劇場へと向かう。一つの建物の中に、三つほど劇場が入っている。とはいえ、劇場と言ってもこの期間だけで、8月以外は普通に会議室だったりするようだ。建物の前は、これからの観劇のために列に並んでいる人、ちょうど上演を終えて建物から出てくるカンパニー、外で円陣を組んで何やら盛り上がっている人などでごった返している。外に仮設されたビアガーデンでくつろぎ、ビールを飲んでいる人の姿なんかもある。
中から女性が出てきて、紙のチケットを受け取る。これまでオンラインで公演情報や予約方法などを色々眺めていたが、やっぱり紙でチケットをもらうと安心する。
中に入ると、真ん中のアクティングエリアを囲むように、コの字に客席が設置され、照明やプロジェクターなどはトラスに仕込まれている。下手の端には、人一人、すっぽり入りそうな模造紙が転がる。おそらくパフォーマーが中に入っているのだろう。その紙の塊がやがて動き出し、客席の方に移動、観客の足に突き当たったりしながら絡み出した。
なんだか繭のような、ダンゴムシのような生き物を思わせるが、その模造紙の表面には中国語の新聞の切れ端が張られていて、あまりポジティブなニュース内容ではないだろう。すると、紙の隙間に空けられた穴から、白い手がにゅっと出てきて、また引っ込んでいく。社会に捨て置かれ死に行く者と、これから誕生する、或いは脱皮していく命、それらが同時に存在しているような感触。ところが、中から姿を現したのは赤い風船を咥えた、全身白塗りで前張りをした、かの半分が赤色の一人の男だった。
俳優が舞台上で風船を持ち出してきた時の客席の、
「あれ絶対割れるよね」といった無言の緊張感。このお決まりの展開は万国共通だなぁとぼんやり思う。ただ、これから破裂するであろう赤い風船、というのは意味がありすぎる。そして当然その風船は破裂したわけだが。作品のその後の流れとしては、俳優がずるずると引きずる半透明な袋の中に沢山の風船を抱え、それを取り出し観客に手渡しては割ったり割らなかったり、といった具合だ。
また、ボロを纏った男の衣服であり殻でありレッテルであるその模造紙をひっくり返すと、一転、美しいドレスを思わせる。現に男はその髪をドレスのように着こなしていたように思う。突然始まったランウェイに笑ってしまいそうに思いながらも、社会における汚さと美しというのは表裏一体だよなぁと思うし、大衆が臭くて蓋をしたくなるものに、社会の真実が潜んでいることもあるだろう。
正直映像なども使われてはいたものの、座る位置の問題か、あまり咀嚼できなかった。ラストにかけて、花火のような音が聴こえてくるが、その先を見つめる男の瞳にミサイルが、核が、戦争の行末が、映っていたことだろう。
自分はこの作品を、赤い風船が膨れ上がって破裂した瞬間から、この作品を反体制的な作品だとしか思えなくなった。果たして、これは中国で上演できるのだろうか。まあ、だからこそのエジンバラフリンジ、ということなのかもしれない。
集客のこともあり、コメディが多いとされるフリンジ作品、その奥には個人が抱えきれなくなった問題が潜んでいる。もっと色々見てまわりたいものだ。
その後劇場から宿までは、みんなでぼちぼちと宣伝しながら歩きつつ帰ることにする。外はまだまだ明るく、路上にはビラ配り人や、パフォーマー、大道芸人で溢れている。しかし、時計を見てみると、もう夜の21時になろうとしていた。よくよく考えれば、ここまで日が長い場所を歩くのは初めてで、本当に不思議な気持ちにさせられる。夜がやってこない。あるいは昼でもあり夜でもある時間。そんな時間が、一見ごちゃごちゃとして、無秩序に見える世界の美しさを教えてくれているようだ。この気持ちを何か形にしたいと思い、しきりに一眼レフのシャッターを押す。写真は記憶や感覚そのものではないかもしれないが、自分はこの瞬間を永遠にしたいと思う。
この日は、プロデューサーのリカさん、そしてサポートのクワイが無事合流。宿で明日のオノマトペWSのテストプレイをみんなで行い、泥のように眠る。

2026.8.14|入り混じるものたち
朝はフリンジの本部へ。会場では、様々な国の演劇祭のプロデューサーたちが自分たちのフェスティバルや取り組みについてのプレゼンを行なっている。当然全て英語なので、chatGPTに音声を読み込ませながら、要約してもらいつつ内容をざっくりと把握していく。
確かに、ここは自分たちが主催するイベントのアピール、そして交流の場としては絶好の機会となっているのだろう。一人一人登壇しながら様々なトピックについてしゃべっている。
いくつか、この場で語られたトピックを紹介すると
(AIの翻訳なので厳密な情報であるかは定かではないが)、
〈オーストラリアのAdelaide Fringeを中心としたツアー/フェスティバル展開について〉
このフェスティバルはアデレード中心部を舞台にかなり広い範囲で行われていて、前後の時期に地域を回るツアーを組む人が多いこと。時期はだいたい1~3月末、4月頃までを視野に入れられる。他のフェスと組み合わせやすく、特にコメディ作品なら連続して回れる。9月8日に公式登録が開始され、約1,500公演があり、世界で二番目に多いフリンジという位置付け。チケットマーケティング関連の助成金や、もう一つ助成金制度があり、まだ応募が間に合うものもある。
〈Liverpoolを拠点に活動する障害のあるアーティストのための芸術団体の紹介〉
この団体は、障害のあるアーティストが演劇やダンス、美術、映像などの芸術活動に参加し、作品を作り、発表できる環境を作る団体で、ブラジルやインドネシアの団体とのパートナーシップもある。この団体の特徴は、障害を医学モデルではなく、社会モデルから考えること。例えば車椅子の人が劇場に入れない場合、「車椅子だから入れない」のではなく、「階段しかない劇場という環境が障壁になっている」と考え、障害者向けのイベントを作るというより、芸術そのもののアクセシビリティを変えていくことを目指している。支援だけが目的なのではなく、アーティストとして育て、仕事を発生させるというところまで踏み込んでいるようだ。
〈Perth Fringe Worldを運営するArtist Producerの紹介〉
Perth Fringe Worldはオーストラリア最大級のフリンジで、今年は600以上のイベント、約50万人の観客、100以上の会場、西オーストラリアを中心とした多数の独立系アーティストが参加。開催は1月20~2月14日頃なので、公演が終わって飛行機で移動し、Adelaide Fringe(2~3月)という国際ツアーの流れが作れる。つまり、単独で公演するのではなく、複数フェスを一つのツアーとして組める。
最後の方のプレゼンで印象に残ったのは、
「fringeは単に作品を上演する場所ではなく、アーティストが成長し、世界中のフェスやディレクターと繋がるためのジムだ」といった趣旨の発言だった。
他にも色々あるのだが、ひとまずこの辺で。とにかく、ここでしか聞けないような話が聞けてとても勉強になった。思い起こせば、自分が初めて国際交流事業に携わったのは、福岡の久留米シティプラザで開催した「アジア青空劇場フェスティバル」だった。当時は、福岡で街頭演劇を中心としたアジアの新しい演劇祭を目指して開催したのだが、予算や運営など様々な現実問題に直面し、結局思うように続けることができなくなってしまった。
こうして海外のフェスティバルに参加し、様々な話に触れると、当時の気持ちがまたムクムクと自分の中に沸き起こってくるような気がする。いずれにせよ、世界には演劇が根付いた、演劇によって栄えた街がまだまだあるのだ。
今日の午後は、日本に関心があり、日本語を学んだりしている方々向けの「オノマトペWS」をエジンバラ大学で開催する。道中、売店が立ち並び、大道芸人の方、パフォーマーの方々が道行く人々と戯れている様子が微笑ましい。そして道ですれ違いざまに、制作チームが次々と公演のチラシを渡している。なんとなく既視感があるのは、自分も大学演劇部時代、お昼休みに公演のチラシ配りを行なっていたからだろう。それにしても、今回のビラ配りのために発注した鶴の被り物の効果は絶大だ。しかしこの街はいつもこんなに賑やかというか、騒々しいのだろうか?と疑問に思うが、街がこのような表情を見せるのは8月だけで、他の時期にきたことのある美里さん曰く、ぜんぜん雰囲気が違うというのだから驚きだ。そうこうしていると、会場の建物に到着。建物の入り口扉が二つに分かれたタイプで、どちらかを手で押すのだろうと思い近づくと、なんと自動ドアで、両扉がスーッと自然に開かれた。日本の自動ドアは十中八九横スライド式なだけに、無駄にテンションが上がった。まるで魔法だ。
さて、「ツルマチ」ではオノマトペをかなり活用して作品を立ち上げている。このWSでは少しでも日本語表現の面白さ、個性を味わってもらえるような内容となっていると思う。参加者の人の話を聞いても、やはり日本のオノマトペ表現には独特の味わいがある。進行の五味さん曰く、オノマトペには音で絵を描くという意味があるようだ。ぐっとくる。音声言語を使いながらも、言葉の意味だけではなく、文字にした時のフォントの質感や空間、感覚、情景を伝えられるなど様々な機能を備えている表現形態だ。
日本でオノマトペといえば、宮沢賢治をまず最初にイメージする人も多いだろう。彼の小説を読むと、言葉が自然との関係の中で用いられていて、まさに言葉で、音で、絵を描いているのだとよくわかる。
参加者は10人ちょっと、終始積極的にトライしてくれていたように思う。最後のグループワークも活発で、その後の発表もグループごとに全く異なる質感の情景を描いていた。これで興味を持って公演の方に来てくれる方もいらっしゃるようだ。嬉しい。
日本語というのは、自分が思ってるよりもユニークなのかもしれない。
WSが終わると、「ツルマチ」俳優の二人は作品の打ち合わせで別移動、他のメンバーは宣伝へ。リカさんが劇場に寄るというのでそっち方面へと向かいながらチラシ配り。それにしても、リカさんがチラシを渡した人はかなりの高確率で受け取ってくれている印象。一体どんなマジックを使っているのだろうか。
すると途中、大学のメディアなのかインタビュワーに声をかけられる。自分はGoProを持って撮影し、相手も小型のカメラを持っていたので、
「あら、同じね」みたいなノリで軽く挨拶。
リカさん、美里さんが鶴の被り物でインタビューに応じる。そしてしっかり公演の宣伝。その後は劇場で用事を済ませ、前の通りの坂道にチラシ配りを続ける。するとリカさんから、
「あのチラシを配ってるおじさんがいるでしょ?彼のチラシを受け取った人ならきっとチラシを受け取ってくれるよ」
とアドバイスをもらう。そしてそのアドバイスは効果覿面。途端に自分もチラシを受け取ってもらえるようになる。さすがっす。
今日のこの後の予定は、夜の博物館でスコットランドの民俗舞踊を観に行く。と思いきや、まさかの体験するらしい。踊りは自分が人生で最も苦手とするものの一つ。震える。
とはいえ、少し間があるため、打ち合わせをしている俳優たちのいる店に合流して、食事をするということになる。お店はPepe’s Piri Piriというチキン系のファストフード店で、なんだかカヲスな雰囲気。調べてみるとこのチェーン店、イギリスの若者文化や移民文化、ファストフード文化が混ざった感じのお店のようだ。
とりあえず地下に降りて席を取ると、上へ注文に戻る。山田さんが、
「聖也、ここはご馳走するよー」と言ってくれて、ありがたくご馳走になることに。
まず最初に驚いたのは値段。勝手にマックとかケンタッキーみたいなもんだろうと思い、メニューを見てみると、スタンダードなハンバーガーが単品で約10ポンド。セットにすれば13ポンド、日本円で2,600円にもなる。日本でダブルチーズバーガーのセットを頼む感覚で、3倍の値段がしているような感じかもしれない。怖すぎる。ハンバーガーの肉の種類をラムかビーフか選べるということで、とりあえずビーフにしてみる。そのあと辛さも選べるらしく、ピリピリですか?パリパリですか?みたいな感じで聞かれたり、ソースの種類を聞かれたりして正直よくわからない。横に美里さんがいてくれて本当によかった。それにしても二人でセットを二つ頼んだだけで5,000円になるとは。改めて円安でヨーロッパにくることの過酷さを痛感する。そういえば、関係者とか以外で、まだ観光客的な日本人を見かけない。
注文を終え、下に降りてお手洗いに。独特な香り。山田さんがトイレに行ったら、若い女の子に通りすがりに悪態つかれたらしい。まわりを見渡してみると、隣の席では白人の若い男の子たちがなぜかマリオとルイージの被り物をして、ゲラゲラ笑いながらも、チラチラこちらの様子を伺っているような気もする。考えすぎか。他にも客層はかなり多様で、ヨーロッパ系の人たちだけではなく、南アジア系、アフリカ系、中東系などかなり入り混じっている。おそらくこの店のコンセプトやメニューの幅広さに関係しているのだろう。ただ、日本のファストフードとはかなり違う。
呼び出し音が鳴り、上で商品を受け取る。食べようとしたらドリンクが付いていないことに気がついて、山田さんが取りに行ってくれる。山田さんがペプシMAXで自分がペプシだが、どっちがどっちか飲み比べても正直わからん。ポテトはどちらかというと太めでスパイシー。ソースはガーリックマヨ。ハンバーガーの紙袋を開けてみると、サイズは普通くらい。中のビーフは肉肉しい感じで、時よりゴロっとした何か歯ごたえのあるものが挟まっている気もするが気にしない。どちらかというと、マックやモスより、バーガーキングの方に近いのかなと思う。
ちなみに、山田さん、リカさんクワイの食べている物はビジュアル的になんなのか、もはや自分にはよくわからない。山田さんはポテト、二人は黄色い米のような麺のような物にゴロっとしたチーズが混ざったナニカ。美里さんは、おそらくサラダとチキンだろう。ともかく、自分としてはかなり衝撃的な体験だった。
しかしこれは序の口で、本日のハイライトはこれからだった。
しばらくして、上の席で打ち合わせ作業していた五味さんとフーさんも合流。明日の予定などの確認。そこから時間となったので、博物館へと向かう。
スコットランド国立博物館について、AIに聞いてみると、ここは単なるスコットランドの歴史博物館なのではなく、自然史→科学技術→世界の文化→スコットランド史→現代文化までが一気に入っていて、エディンバラという都市が世界とどう接続してきたのかが見える場所なのだそう。何を展示するかというより、どういう物語としてスコットランドを世界に見せるか、これはある意味で演劇的な施設でもあるんだよ、とAIが教えてくれるが、そもそもなんでも演劇に結びつけて語ろうとしてくるこのAI様はだいぶ自分に毒されているのでは?むしろ自分がAIに毒されているのか?まぁいいや。
ただ今回のこのイベントは夜に開催されるということもあり、展示のほとんどは終わってしまっており、一階に常設されている一部の展示だけが閲覧可能となっていた。中に入り受付を済ませると印として手の甲にスタンプが押された。洒落ている。みんなは荷物を預けて階段を上がる。正直この後何が待っているのかわからないが、鞄に撮影機材一式入っているので預けるのはやめておこう。
階段を登っていくと、割と爆音でスピーカー越しに賑やかな音楽が聴こえてくる。吹き抜けのホールにガラス張りの天井。すごい人混みだ。まさかみんな踊りに来ているのか。どうやら本当に盆踊りみたいなものなのかもしれない。民俗衣装のレンタルコーナー、ドリンク配布コーナーなども設置され、中央の演題には3人組のバンドの姿。みんな恋人や友人と参加しに来ている雰囲気。まあ流石に自分もここに単独で乗り込む勇気はない。
とりあえず、ホールの奥に生き物の剥製などが数多く展示してあるコーナーがあり、そこに吸い込まれてみる。するとホールの方から、何やらバンドマンの声が音楽に乗って聴こえてくる。引き返してのぞいてみると、人々がグループを作り小さな輪になって、今にも踊り出しそうだ。とりあえずみんなを探すと、知らない人たちと愉快に踊る俳優たちの姿を発見。すごいエネルギーだ。言わずもがな、自分はというと、若干このノリに引いている…。とりあえず、みんなが踊っている姿を動画に収める。楽しそうでなにより。さて、先ほどの展示室に避難するか。
全然話は変わるが、自分は剥製が大好きだ。自分の演出する時に俳優に剥製になってもらうくらいには好きだ。勿論動く生き物を眺めるのも好きだが、人工と自然の狭間で、動かなくなった物の中に動いている物を探すことに惹かれる。そこに内在する人間の暴力性も含めて。だからというわけではないが、美術館や博物館をゆっくりと回るのが自分にとっては、自分の中の何かを調律する時間となっている。
というわけで、ゆっくりと展示室を楽しんだ後、再びホールに戻ると、みんなまだ踊っていた。だ、大丈夫なのか…。横の階段から二階に上がってみられということで、横の階段から二階へ。次々と踊る人を入れ替えながらはしゃぐ人々の姿。ただ音楽自体は割と現代的だったりして、不思議な感じ。というか、ここ国立博物館だよな。夏に福岡の市役所前広場でビール飲みながら、真ん中で盆踊りを踊ってる人を眺めている気分だ。ただ、これだけ大勢の、様々な人種の人が、ホールで一緒になってごった返しながら踊る姿を上から眺める機会なんて、そうそうあるものでもないだろう。まるで蜷川幸雄の舞台演出のようだなぁと思いながら、ぼんやりと眺める。
それにしても、延々と続くこのダンスは一体いつ終わりを迎えるのだろう。それにしてもみんな本当に元気だ。カメラを回していると、僕を見つけたリカさんが寄ってきて、
「一緒に踊りますか?せっかくのスコットランドの文化を体験できた方が」と誘ってくれた。ついにきたか。
自分は非常に素早く、そして明確に首を振った。
流石に21時を回っている。
「盆踊りみたいなもんだよー」と聞かされていた割に、かなりハードなその様子にとても元気に踊れる気がしない。数日石畳の上をあちこち歩き続けて、ふくらはぎと足の裏が修羅場を迎えている。おそらくここで踊っていたら、色々な場所にトドメを刺すことになっていたかもしれない。と、とってつけたような言い訳をしておくことにしよう。
そして、まだまだ続く夜を横目に、床に座り込んで壁にもたれかかっていると、クワイ(葵さん)からマッシュルームと言われる。そう、私は今国立博物館の壁に生えるキノコとなったのだ。
ベンチで瞼を閉じる。これだけ騒々しい場所でも眠れるとは、我ながら呆れる。一応みんなの荷物番なのだが、自分が意識を失っている間にみんなの荷物が取られては大変なので気合いで目を開けようとするが、やはり瞼が重い。結局山田さんから一緒に先に帰ろうと言われ、お言葉に甘え離脱することにした。
8月の夜のエディンバラは肌寒い。日本だと秋といった感じだろう。もう22時になろうというのに、多くの人が行き交っている。途中、不動産屋さんのガラスに物件情報が貼り出されていて、円で計算してみる。建物の外観自体はそのままに、中をリノベーションしているのだろう。値段としては日本の新築戸建てよりちょっと高い印象だ。
帰りがけに近所のスーパーに山田さんと寄り、食材の買い物。色々気になる物も多い。こちらではこの時間になるとお酒類は販売されてないらしい。だからというわけではないが、毎晩遅くまでそこらでビールを飲んでいる人たちを見かける。そういえばこちらにきて、あまりお酒を飲んでいない気がする。というかそこまでまだ余裕がない。本番が落ち着いてきたら、ゆっくりエディンバラの夜を楽しむ余裕もうまれるのかもしれない。
今日のところは体も神経も疲労でキーキー言っている。宿に戻るとすぐに自室へと吸い込まれ、眠りに落ちた。

2026.8.15|旅の醍醐味
目が覚める。やっぱり体が重い。まあわかっていたことだけれど。昨日踊りまくっていたみんなは大丈夫か?
今日も宿で朝食。この旅では基本的に、食事は宿での自炊を心がける。そのためみんなで日本から食材を持ち寄ったり、食事当番を決めたりする。この日の朝食当番は五味さん、フーさんだ。サラダとスープ。ウインナーとあまった麺で作ったおかずなど。美味しい。料理をてんでできない自分がいかにこの共同生活を乗り切るか、ここがいつも悩ましいポイントだ。
そして今日もトラムでエジンバラカレッジへと向かう。今度は降りる駅を間違えない。途中、空港へと向かうお兄さんが話しかけてきて、美里さんに通訳してもらう。どうやらアイルランドの方らしく、山田さんがアイルランドの詩人・イェイツや音楽が好きだと語りかけ、昨日の舞踊の話しなどで盛り上がる。降りる前に記念写真を撮ってお別れ。一期一会とはこのことだ。きっとこれまでも、演劇をしていなければ出会えていなかった人たちが沢山いたのだ。そんな人たちのことをほんの少し、思い浮かべてみる。
今日の稽古場はエジンバラカレッジの劇場を使わせてもらう。20分遅れてしまったせいで、職員さんを心配させてしまった。
ホールの中はブラックボックスで、おそらく客席はロールバック。かなりの急勾配で、後ろの席からだと役者の表情というより、頭を見るみたいな感じになりそうだ。この施設の名前はmusic box。上を見上げて歌い上げる、音楽系のイベントにはちょうど良いのかもしれない。
まずは俳優のウォーミングアップ。その後引き続き調整作業に入る。そして途中、今朝空港に到着したまさきちと二宮さんが遂に合流。これでメンバーが全員揃う。
「ORU」の出だしの音源の確認、修正箇所を把握して終了。
宿に戻って、そろそろ洗濯をしようということになる。乾燥までついているのが本当に助かる。ただ自分の家には乾燥機付きのドラム式洗濯機がないので、よくわからなかったのだけれど、乾燥はめちゃめちゃ時間がかかるようだ。
今日の夜はみんなが揃ったということで、宿の近所のお店でピザパーティの予定。昨日の「オノマトペWS」でもらった謝金でご馳走になる。ただスコットランドには独自に発行している通貨があるようで、ここでしか使えないんだとか。というか今日の今日までポンドも現金で使った試しがない。
そういえば、韓国に3週間ほど滞在していた時もほとんど現金は使わなかった気がする。やはりどこの国もキャッシュレスが進んでいるようだ。
お店ではピッチャーでビールを頼んで、それ以外の飲み物の人は各自選ぶ。それにしてもビールのピッチャーしかり、グラスしかり、デザインが本当に可愛い。ちなみに、お通し的な感じで運ばれてきたものはチキン以外は結構苦手な味だった。とはいえ、食べてみないとわからないことも多いのでこれも旅の醍醐味と言える(昨日踊らなかった奴の言うことか笑)。
ピザは厚みのある生地。切り分けると上の具がこぼれ落ちそうである。食事中、こちらとアメリカのチップ文化について色々と教えてもらう。その辺がやっぱり決定的に違う。チップに関してはアメリカの方がかなり強制力が強くて厳しいようだ。時給の低さなども関係しているのだとか。生まれてこの方、チップなんて払ったこともないだけに不思議な文化だなぁと他人事のように思うけれど、その国で生まれ育った人にとっては当たり前なのだろう。それと、これは人に寄るのだろうけれど、日本人同士は割と注文したものを分け合ったり、一口ください、みたいなことを当たり前のように言う人も多い。これは国によっては全然なしなのだそうだ。かくいう私も、演劇人とかと関わるまではあまりやっていた記憶がない。
ビールの次は、なんだかよくわからないけれどオランジーナみたいな炭酸ジュースを注文してみる。これまたグラスが可愛い。缶で持ってきてくれて、自分でグラスに注ぐスタイル。うーん不味くはないけど、ちょっと全部は飲みきれず。中心から少しだけ外れているからか、お店の雰囲気は暗くて多少の落ち着きもあり、客層も中心の方とは違う印象。
今日はここで、明日の予定の確認をしてこのまま解散となる。スーパーに寄って買い物する人、自分の宿に戻る人など。そのまま解散。明日はいよいよ劇場でのリハーサルである。

episode 03 ~本当の始まり~
2026.8.16|リハーサル
朝食に制作チームが作ってくれたホットケーキ。ホットケーキの素は日本から持ってきてくれていたものだ。それにしても海外に中長期で滞在する時にはいつも食べ物どうするか問題が発生するのだが、今回はかなりみんなで食べたい物を持ち寄ってきただけあって潤沢である。ホットケーキは有無を言わさず安心する味だった。機会があればこっちのホットケーキも食べてみたい。
今日はいよいよ劇場でのリハーサルの日だ。ただ日本で公演する時のように丸一日劇場を押さえておき、時間をかけてしっかり確認できるわけじゃない。劇場は本番も含めた時間で借りていて、この日我々に許された時間は90分だ。二作品一時間のリハを90分でやるのが短いか、充分であるかは意見が分かれるところかもしれないが、今回の音響に関して言えば、スピーカーの仕込みとレベルチェック、照明はまずどんな共通仕込みがされているかの把握とシーン作り、細かなシュート作業までをこの時間で行う。当然ゲネプロは難しいだろう。今回「ツルマチ」に関しては衣装が舞台セットも兼ねているので、何かを建て込む必要はないが、いずれにせよタイトなスケジュールで動かなければならないことに違いはない。
ここからが本当の始まりだ。
自分はまず最初に持ち込みのスピーカーの仕込み、そして劇場のスピーカーのチェックから入る。事前にこの劇場で観劇をしていた時、劇場のスピーカーを使うと作品世界と分断されたところで鳴っている印象が強く、作品世界、観客の想像力の中で鳴っていないのではないか?と言う意見を演出と確認し合っていた。そのため、今回は劇場のスピーカーと待ち込みのスピーカーを併用する形で検討しようということとなった。
ところが予定していた位置にスピーカーを設置すると、それはそれで舞台の中でかなり音がこもってしまい、効果としてあまり有効に響かないような印象を持つ。このリハの短い時間で結論を完全に出す必要はないが、それでも明日からの本番でどのように音をデザインするかの当たりをつけなくてはならない。
また劇場のスピーカーの方でも問題が発生しており、レフトサイドのスピーカーがどうも鳴っていないようだ。劇場スタッフに相談すると、どうもケーブルが悪いらしい。そこは、とりあえず新しいケーブルに交換してもらい解決。とはいえ、自分が音の作業をしている間、照明の確認作業も同時進行で進んでいるため、時間的にもなかなか全ての音のレベルや出所を時間をかけてチェックする余裕はなさそうである。
とにもかくにも、あっという間にタイムリミットとなり、バタバタと劇場を出る。
その後、自分は作業をしに一人宿へと戻ることに。ここまでは常に集団行動だったので、一人で街を歩くのは初めてかもしれない。とはいえ、毎日歩いている道なので違和感はない。海外であってもその辺はあまり変わらないなぁと思う。どんなにはじめての街でも、毎日通うと習慣化され、どんどん慣れてきてしまうものだ。
荷物がやたら重くて肩やら腰やら足に非常に負担がいっている。日本に帰ったら温泉に入りたい。一旦宿に帰って荷物を置く。お昼ご飯を食べていないので、宿で適当に食べれそうな物を探すか、スーパーに行くか悩み、結局外に出てみることにする。
スーパーにはサンドイッチや寿司など、すぐにサッと食べれそうな物もある。ただ値段は日本だとまず買わないであろう金額。そしてそんなに心惹かれない自分もいる。カップ麺・袋麺コーナーにはなぜか辛ラーメンが置かれていて、それ以外はこっちのメーカーの物が並んでいる。カップスターのようなパッケージの焼きそばだとか、めっちゃ安い日本のドラッグストアなどに売ってそうなラーメンだとか。確かにお腹は空いている、しかし食べたい物は見つからない。困った。
そして、交差点の向こう側にマクドナルがあることを思い出す。ゴクリ。ついに行ってしまうのか…。海外にいると、なぜか無性にマクドナルドに行きたくなってしまう。なんて人はきっと自分だけじゃないはず。なんだか知っている看板、馴染みのメニューに安心感を求めて吸い込まれてしまうのだ(厳密にはメニューや味は微妙に違う)。そう、自分は韓国にいた時も、台湾にいた時も、毎日マクドナルドで作業をしていた。ただこっちにきてからは、みんなで自炊生活だったことや値段が高いことなども考慮して行くことがなかったのだ。
そして気がつけば、私はまっすぐマクドナルドに吸い込まれていった。
タッチパネルであることを願いながら入店。…よし、タッチパネルである。恐る恐るタッチパネルでメニューをみてみる。値段的にはまぁ確かに日本より割高ではあるものの、ピリピリほどではない。少し注文に手間取ったが、悩んだ挙句ダブルチーズバーガーのセットの注文に成功する。値段は日本円にして1,400円といったところだ。自分の注文番号は000、ところが日本で注文したら出てくるレシート的な紙が出てこない。まあなんとかなるか。
客層はやはり若者が多い。ただ、白髪のご婦人が一人、隣のテーブルに座っていらっしゃってお店の様子を眺めている。番号が呼ばれるとスマホアプリで翻訳した文章を見せる、
「注文番号の紙が出てないけど、問題ない?」
カウンターの男性は笑顔で、
「大丈夫だよ」と商品を渡してくれた。
味としては、まあそこまで日本との違いは感じない。それがマクドナルドの良いところだと私は思う。とはいえ海外まで行ってマックばかり行っていると話すと、大体は怪訝な顔をされるものだ。
そんなこんなで、自分も店の様子をぼんやりと眺めつつ、ポテトをつまみながらしばらくぼーっとしていると、店の入り口から上半身裸の若い男性が謎にノリノリで入ってくるのが見える。ん? 他の人たちはそちらを見ようともしない。なるほど、きっとこれはスコットランドの日常的な風景なのだろう。男性の胸の辺りにはタトゥーが見える。こっちの人はやたらタトゥーを入れる人が多い。歩いていると日本とは比べ物にならないくらいタトゥーのお店があるのだ。
そして、自分の横で同じくぼんやりと店の様子を眺めていた白髪のご婦人が、その男性を見て私に、やれやれといった感じで笑いかけてきた。ああ、なるほど。これはこれでおかしな出来事なのだ。その笑いの意図は、最近の若者は困ったものねぇみたいなニュアンスかもしれない。その辺は正直よくわからない。
するとそのノリノリ上裸の男性は、タッチパネルで注文中のカップルの男性に絡み始めた。ご婦人はまだ笑っている。しかし、その話しかけられた男性の表情はかなりの戸惑いと不愉快さで満ちている様子だった。会話はあまり聞き取れなかったが、上裸男性の口からチップという単語が聞こえたような気がする。
それを聞いて、これは話しかけられる前に退散した方が良さそうだと判断するや否や、私はコーラを一気に飲み干し、さっとゴミを捨て店を逃げるように後にするのだった。
この日の夜は、宿で「ツルマチ」の稽古の続き。どうしても詰めきれないシーンが1シーンある。男が落下しながら落ちていく場面だ。表面的にはそこまで決定的に問題があるシーンではないが、パフォーマンスを観た演出家の解釈と、演じる上での俳優の中の肉体的なイメージ、繋がり、それを理解する言葉のズレがここにきて大きな障壁となっている。
この日は夜も遅くなり、健全に思考できる状態をキープできそうにないため切り上げる。続きはまた明日の朝。そしていよいよ初日の幕が開く。
2026.8.17|初日
この日も朝からトラムでエディンバラカレッジへ移動。トラムの中で、またしても大きな犬に遭遇。電車で普通に犬が乗り込んでくる、日本では滅多にお目にかかれない光景だ。
自分は幼稚園の頃から高校生までゴールデンレトリーバーを実家で飼っていて、その後は昨年までコーギーも飼っていたりしたので、人生の結構な時間を犬と共に過ごしてきた。日本ではマンションでもペット可は増えてきてはいるが、ただし小型犬に限る、みたいなのが多い気がする。エディンバラでは割と大きめの犬をたびたび見かけるので羨ましい。
こっちでは、犬と同じかそれ以上によく見かける生き物がいる。それがかもめだ。海が近いというのもあるのだろうが、日本だとカラスや土鳩みたいな感じでそこらじゅうにいる。そして鳴き声がそこそこうるさい。朝は自分の目覚ましより、大体奴らの鳴き声で目が覚めるくらいだ。今日もカレッジを歩いていると、すごい近距離をかもめが歩いていて、全然人間を警戒するそぶりを見せない。街中でもかなり低空飛行している。初めこそ、わぁかもめじゃん、チェーホフじゃん(チェーホフはロシアだろ)、くらいの新鮮さがあったが今や日常になりつつある。
稽古場に到着。俳優たちのウォーミングアップ。「ORU」の方の効果音の合わせ。ギリギリまで調整を進めていたが、これで行けそうな雰囲気。
その後「ツルマチ」の昨日の続き。調整作業。途中から一回通して、最後にもう一度今度は「ツルマチ」~「ORU」の流れで通す。美里さんがコーヒーを買ってきてくれる。ありがたい。バタバタと撤収して、一旦宿に戻り、劇場へと向かう。荷物が重い。さあ、準備も調整も20分しかない。間に合うか。
バタバタと仕込みを終わらせ、時間が許す限りレベルチェック。実は、上手袖のオペブースと客席とではかなりのギャップがある。正直自分は観客と別空間で音響操作をするのがあまり得意ではない。というか好きではない。劇は日々違っていて、俳優と観客は空間を共有することでイメージを膨らませていく。そしてそのイメージ(現象)も含めて演劇と呼んでいる。自分だけ隔離され、分断された空間で、そちらの空間で何が起こっているのかをキャッチするのは自分には難しい。ましてやこの日、袖幕の隙間からは俳優のきっかけとなっている動きすらまともに捉えることができなかった。こんな時、結局頼るべきは自分の、あっちの空間ではこんなことが今起こっているのかもしれない、といったほとんど妄想に近い想像、みたいなことにならざるをえない。とにかく今の自分の仕事は、大きく破綻しないように、日々演出家のフィードバックを頼りに進んでいくこと以外になさそうだ。
とはいえ、初日の幕は無事に開いた。そして観客の拍手はとても力強く、俳優たちの表情にもどこか安堵の色が見える。よかった。観客が全員いなくなって、とりあえずスピーカーをバラしつつ今日大きな問題が起こっていないか悶々としていると、五味さんが袖に行きながら、
「聖也くん、spacの宮城さんきてるよ」と教えてくれた。一瞬、えっと自分の知り合いに宮城さんって苗字の方がいたんだっけ?とよくわからない遠回りをするも、すぐに静岡の演出家、宮城聰さんだということに気がつく。面識は勿論ないが、まあ演劇やってて、ましてや演出家を名乗っていてその名前を知らぬわけでもない。GIGAは利賀のコンクールで出会っていたのだとか。
それにしても、こんなことがあるのかと驚き。今日エディンバラに来て公演を見つけてくれて、来てくださったんだとか。初日からなかなかに情報過多。
その後、宿に戻って問題点のシェア。明日からもっと良くなるように。まだ見ぬ瞬間に立ち会えますように。手を緩めず進む。
episode 04 ~想像力という魔法~
2026.8.18|二日目
今日はお昼に、エディンバラ大学の方で Japan Fringeに参加する予定。劇場でやっている作品の短縮verを作って15分以内のプレゼンテーションを行う。まずは朝食を取り、昨日の本番の修正作業、擦り合わせを先に終わらせる。
これまで、なかなか噛み合わなかった問題点が言葉になって出てくる。これまでは言葉を尽くしつつも、どこかですれ違うような、うまく本質的な相互理解に着地できない不安定さがあった。それが昨日の本番を経て、確認し合うことで上手く着地できたのかもしれない。俳優も演出家も言語化し続け、理解し続けようとする胆力。自分に足りないものだ。
時間が迫ってきてしまったが、Japan Fringeの準備もギリギリなんとかなりそう。構成段取りの大枠を決めて。宿を後にする。大学の方は劇場よりさらに向こうにあるので、みんなでバスに乗り込み移動。ハラハラ。
会場はこのあいだの「オノマトペWS」の場所だ。到着してスピーカーを仕込む。WSの参加者の方も観に来てくれている。最初に領事の挨拶、そこから自分たちの出番。と思いきや何やらサプライズ的なゲストが来ているようだ。とりあえず待機していると、入り口からひときわ大きな声量で三人の男がはっぴを来て登場。日本のお笑い芸能事務所、よしもと興業から芸人が来ているようだ。光の当たり方的に顔が良く見えないがよく見ると、一人はあの、とにかくあかるい安村のようだ。服を来てるとわからなかった。安村の世界進出は止まらない。三人のうち二人は裸芸をメインにやっているらしく、領事館イベントということで、自分の芸はNG食らってできないんだとか。
そして、横にいた五味さんがボソッと
「声おっきいね」と一言。
確かに。めちゃくちゃ声がデカい。テレビやネットで見てるとなかなかその辺の迫力なんかはわからないものだ。結局、ストッキングを顔に被って、上にのせたグラスを落とさず外す、テーブルクロス引き的なことを披露。海外だと話芸というよりこういう原始的な笑いが伝わりやすいのだろう。それにしてもどうすんだこの雰囲気…。
その後は謎の嵐の後の静けさが会場を包む。まぁそれはそれでよかった。山田さんが前に出て行き、自分たちの自己紹介、プロジェクトのこと、今回の作品のことをざっと喋りパフォーマンススタート。お客さんが集中して見てくれているのがわかる。どんな環境の中でも、ブレずに、ここまでパフォーマンスを高めてやれる俳優たちに脱帽。
終わってから劇場での本番まで少し間が空くため、下の控室にて休憩。山田さんとニノさんが外にみんなの飲み物や食べ物を買いに行ってくれるようだ。建物の下の入り口は、内側からしか鍵が開けられず外からは入れないため、自分は下で二人が帰ってくるまで待機することにする。入り口では女の子たちが写真を撮り合ったりしている。しばらくすると、先に山田さんだけ戻ってきて、その手にはフィッシュアンドチップスが。一旦受け取り控え室に持って行く。山田さんはニノさんと合流するため再び外へ。すると玄関のところからこちら側を見ながら入れずにいる二人組を発見。ただ、防犯のため施錠しているんだろうし、自分が勝手に入れてしまって良いのだろうか…、と迷っているとその二人はドアをノックしてきた。すると女の子たちが事情を聞いて中に入れてあげる。どうやら上のJapan Fringeの出演者のようだ。すぐに入れてあげればよかった、すみません。
しばらくして、コーヒーを持った二人が戻ってくる。
「ホットコーヒーしかなかったごめん」と山田さん。いやいや、本当にありがたいっす。
控え室に戻ると、先ほど自分は中に入れて良いのか迷ってしまった二人組と談笑するメンバーたち。一人がカナダ人、もう一人の女性が日本人の夫婦なんだとか。日本から来ていてエディンバラフリンジへの参加は五年目なんだそう。すごい…。子供向けのものや、大人まで楽しめる、紙芝居というか影絵というか、切り絵のようなものを使うパフォーマンスのようだ。五味さんが興味津々に話を聞いている様子。日本では一口の演劇といっても、ジャンルが異なれば、なかなか繋がりが薄い。少し道具を見せてもらいみんなで関心する。
時間が迫ってきたので退出。そのまま劇場へと向かい、バタバタ準備し本番へ。
俳優たちのパフォーマンスも日毎に精度が増していく。観客は今日もリアクションが良い。とはいえ、音の問題は相変わらずなので、まだまだ修正。
今日の夜はついに、エディンバラ演劇祭の総本山、Edinburgh Theatreにてダンス作品の観劇。この時期、エディンバラで行われている演劇祭にはいくつか種類がある。一つはEdinburgh International Festival。いわゆる世界から招聘された一流の舞台芸術作品が観れる演劇祭だ。そして我々が参加しているFringe Festival。これは世界中から誰でもエントリーして参加することができる演劇祭。エディンバラの中で三千演目以上が参加する。これはinternationalの方に対抗して、自分たちにもやらせろ、といった具合で始まったのだそうだ。そしてもう一つが、フリーと呼ばれるもの。これはさらに、フリンジへの参加ハードルが高まったことで生まれたものらしい。カウンター的に始まった演劇祭へのさらなるカウンターとして始まった演劇祭があるというのも、かなり興味深い。
というわけで、その中で恐らくもっとも注目されているであろう演目の一つ、「IHSANE」をこれから観劇。振付はSidi Larbi Cherkaoui、北アフリカ・中東の世界観をベースに、ベルギーで殺害されたゲイのモロッコ人男性の実話を元に、暴力と迫害の連鎖に立ち向かう繋がりの物語を、ダンスと生演奏で立ち上げる。
当然劇場は超満員。伝統と格式の高さを感じさせる劇場空間。入り口では持ち物チェックも入る徹底ぶり。これほどの期待感を持って客席に座るのはいつぶりだろうか。影アナが入り、客電が落ちていく。やがて緞帳が上がり開演。
OPはこちらの高まった期待感とは裏腹に、とある学校での外国語のリラックスした授業風景から始まる。適度に観客との絡みもありながら、時より笑いに包まれる。ダンサーたちは文字を振付とした踊り踊っている。それにしても訓練された身体表現、無駄がなくしなやかだ。その後セットは解体され、世界は奥行きを持ち広がっていく。
本作全体として印象に残ったのは、演出的な道具の捌き、スタッフワークのなめらかさであった。モチーフ(或いは象徴物)として登場する銀の皿、絨毯、砂、花、映像、白幕など、どれをとっても無駄が少なく、見事空間的なイメージの広がりを持っている。しかもそれらに頑張って見せようとしている感がまるでない。日本でこのキャパの商業作品を見る時に感じる、なんとか風景を変えようとしている演出家の手つきをまるで感じないのだ。勿論これは良い意味だ。やたら忙しくなくセットを転換させ、映像を多様し、音楽を鳴らし、技術を魅せんと体は騒々しく動き続ける。そういった努力は時に、かえって劇場という箱の存在感を強調していることがあるように思う。しかしこの作品は違う。劇場の壁は透過し、境界が溶け、空間はどこまでも奥行きを持って広がって行く。世界はいつの間にかそこにある。作り手のエゴが消え、観客とのシンプルな関係が想像力という魔法を持つ。
初めの具象的かつ局所的な場面から、気がつけば、現実空間と精神世界があまりにも当たり前に共存する秩序を目の当たりにし、異国の風景と死後の世界の中で、観客はお決まりのヒューマニズム、疲れ切ったリベラリズムにはない、世界の本当の姿を発見するのである。
あえて言葉にしておくならば、この舞台は論理と感性の先にある真の世界の姿を表現する、傑作である。
観劇が終わり、近所のパブでフィードバックと明日の予定の確認。店の中では皆思い思いの場所で楽しくお酒を飲んでいる。店の奥のソファベットが並ぶなんとも猥雑で騒々しい空間。友人たちと楽しくおしゃべりをする人、恋人同士イチャイチャするカップル、一人でゆっくり本を読むお兄さん、なんとも言えない空間。
店を出て、みんなでいつもとは違う道を歩きながら宿へと戻る。橋を渡っているとエディンバラ城から花火が上がる。なんとも不思議な夜である。閉店間際のスーパーでラーメンでも食べようかとカップ麺のコーナーへと向かう。辛ラーメンをカゴに入れるとフーさんが宿にあるよ、と教えてくれたので買うのをやめる。すると山田さんから、
「こういう時は一番安いやつを買うんだよ」と謎の助言を受け、それを鵜呑みにする。
宿に戻ってカップ麺を作っていると、リカさんがそれを見て、
「あ、それすごいまずいやつだよね」と一言。
…それ、今言う?笑
まあいい。今日はジャンキーな気分だから。ペプシコーラとカップ麺で今日を終えるのだ。ちなみにカップ麺の味は、汁はそうでもなかったけど麺がダメだった。こんなに汁と絡まない麺も珍しい。素晴らしい舞台を観て、一番安いカップ麺をコーラで流し込む。良い夜だ。
カップ麺を食べた山田さんの感想は、
「成立してないね」だそうだ。それ演出のフィードバック以外でも言うんだ。と少しおかしかった。さて、寝るか。
2026.8.19|三日目
朝は宿で旅行記の作業を進める。今日は集合が遅いので、午前中は割とフリーである。朝食にリカさん葵(クワイ)さんが用意してくれていた、たまごサンドを頬張る。
この旅に来て、一度は行っておかなければならない場所がある。本屋だ。海外に来てまで読めもしないペーパーバッグを買わなくてもいいじゃないか、というセルフつっこみが聞こえてくるが、これはチャンスなのだ。この情報化社会、どこの国にいようと情報なら自分次第でいくらでも見つけることができるのかもしれない。ただ、不思議とイギリスの現代演劇の声や情報は届いてこない。勿論AIに聞いて、今同時代の演劇人で読んでおいたほうが良い重要な作家は? とかなんとか聞いたこともあった。するとツラツラと物知り顔で、作家の名前、国籍、作品タイトル、どのようなスタイルかなどまで説明してくれる。ただ、そのどれもが翻訳されておらず、しかもネットで手に入らない物も多い。ならば、せっかく演劇の街に来たのだから、街で最も大きな本屋の演劇やら戯曲のコーナーに行って自らの足で探すしかないではないか。
というわけで、今日の集合までの時間はそのように使うことになった。リカさんいわく、今は大学の方でブックフェスまで開催されているとのこと。演劇祭とブックフェスも同時とは恐れ入る。一体他にはいくつのフェスが並行して開催されているのだろか。リカさんたちは後から追ってくるということで、とりあえず山田さんと先に宿を出発。別の宿からニノさんもそちらへ向かっているという。
まずはブックフェスの会場に到着。建物の中を彷徨うとそれらしきフェスを発見できない。どうやら外のテントで開催されているようだ。会場には売店が立ち並び、人々はお酒やコーヒーを飲みながら優雅に過ごしている。そして奥の白いテント、あそこがメインの店舗なのだろう。
店舗の中の印象としては、日本で言う古本市というよりは、新刊本が立ち並ぶ普通の書店が出張してきているといった感じだ。最新作の平積み、ジャンルごとの棚、グッズ、サイン会スペースなどが設置されている。
当たり前だが日本で出版されている書籍と、英語圏の書籍では装丁が違う。特にこのペーパーバックにはなかなか馴染みがないものだ。勿論日本の店頭でも販売はされていて、子供の頃、ハリーポッターを英語原作で読む人もまわりにいたような気がする。ただ、英語が読めない人間からするとなかなか手に取る機会も少ないのだ。だからというわけではないが、表紙のデザインを見て回ったり、実際に手に取ってパラパラと開いてみるだけでも楽しい。
山田さんが店員さんに戯曲の場所を聞いてみる。店員さんは半信半疑で、あるとしたらここかな、と詩集のコーナーへと案内してくれる。当然ほとんどが詩なのだが、ほんの一部、イギリスの作家の戯曲が置かれていた。パラパラとめくりながら、スマホで調べてみる。どうやら戯曲だけでなく、様々なジャンルで活躍されている人物のようだ。寺山修司みたいな感じの人かな?と山田さんがつぶやく。
ニノさんたちも合流すると、リカさんがここから徒歩10分圏内に大型書店があるよ、と教えてくれる。いつも行ってるfringe本部の近くだ。青い看板のそのお店は、外観の印象ではそこまで大きく見えなかった。ところが、中に入ってみると横の建物と実は繋がっていて、思いの外奥行きも広く、なんだか迷路のようになっていた。リカさんに演劇・戯曲のコーナーに案内してもらう。そのコーナーには、だいたい棚三つ分が戯曲や演劇の専門書となっていて、その横の二棚が全てシェイクスピアのコーナーとなっていた。さすがはイギリス。
さて、何を買って帰るか。一応事前調べで興味のある戯曲をいくつかリストアップしてはいたのだが、見当たらない。時間的にはそこまで長居はできないので、一旦今日は出直して、後日考えて再訪するのが良いだろう。最近の新しい本は表紙だけではなかなか判断が難しいが、世界的に有名な作家の名前ならわかる。サミュエル・ベケット、アーサーミラー、ピーターブルックなど。中でもピーターブルックの「なにもない空間」の英語版は少し欲しいなとか思ってみたり。まあ今じゃなくても良いよね。
一旦演劇のコーナーから離れ、他のコーナーも見て回る。山田さんはお土産に栞を購入している。窓際には本を読みながら腰掛けられるソファのような場所もあり、そこに腰をかけていると一人の紳士が「横に座ってもいい?」と聞いてくる。本屋と外にいる演劇系の人たちだと、それはそれで客層が違うような感じ。人々は各々立ち読みしたり、腰掛けたり、それぞれの想像の世界に向かっている。一旦宿に機材を取りに戻ることにしよう。
今日で本番は折り返し。この上演までの流れにもだんだん慣れてきた。そして作品も徐々に、少しずつ形を変えながら変容しているように思う。演劇において、同じモノが完全に再現されることなど理屈上ありえない。演劇における再現性と即興性は表裏一体。再現できないことを前提に再現性を追い求めるのだ。そのために演出や脚本、物語などが仕事をしていく。さあ、残すはあと三回、どんな結果になるか。
本番を終えて劇場の外へ出ると、外では大雨が降っている。
エディンバラにきて1週間とちょっと、何度かパラパラと小雨のようなものは降っていたが、ここまでのものは初めてだ。入国して三日目の早朝に雨が降っていて、それをきっかけに気温がグッと低くなった。たった1週間で夏から秋に、そして冬になろうとしている。
とりあえず次の公演が始まってしまうので、いつまでもロビーにいるわけにはいかない。自分たちの劇場から、上のParadise Greenまでは楽屋の階段から上がることができるので、上へと移動し、そのまま通りにあるレストランにみんなで避難することになった。チキンやガーリックトースト、ライスにポテト、野菜まで色々食べれそうだ。
すると、入り口のところで席に案内されるのを待っていると、とある男性の日本語が聞こえてくる。その男性はこのお店の店員さんで、二階の席へと案内してくれた。名前はカイさん。日本人とイギリス人のハーフで、今はこっちの大学で学んでいる学生さんだ。両親は今名古屋に住んでいて、自分も定期的に日本へと帰っているんだそうだ。普段あまり日本人がこないみたいで、久しぶりに日本語で喋れるチャンスとばかりに、めちゃくちゃ良くしてくれた。お店のメニューについて、注文の仕方、ソース、エディンバラの観光スポットに至るまで。またまた素晴らしい出会いに巡り会えた。
結局カイさんは、料理が来るまでの間、チラチラこちらのテーブルに来ては色々サポートしてくれて、最後に自分の勤務時間はこれまでなので帰りますと挨拶するも、それでも後ろ髪を引かれるように、ずっと喋り続けてくれた。
料理は先日の「オノマトペWS」と「Japan Fringe」の謝金でちょうど支払えたと美里さんが教えてくれた。ありがたい。料理は非常に味の濃ゆい、今、まさにこれを求めています!といった疲れた体と脳みそに直接語りかけてくるような、そんな味がして、みんなで夢中で食べあげた。
そのまま今日のフィードバックと、明日の路上パフォーマンスの打ち合わせを済ませる。店を出る頃、雨はすっかり止んでいた。
episode 05 ~終わりの気配~
2026.8.20|四日目
朝は宿で少し稽古。
お昼からは、昨日チケットセンターで購入しておいた劇の観劇を予定している。この演目は日本にいる時から、五味さんが気になると言っていた演目で、自分もfringeのサイトを探していて、興味があった演目の一つだ。人形劇のような、仮面劇のような、オブジェクトシアターのような、フィジカルシアターのような。とにかく、こちらでは言葉で物語を理解することができないので、何かしら共通の記号的のもの、あるいは感覚的に迫ってくるものを選んでしまう。
劇場に到着するとすでに列ができており、まさきちが既に並んでいる。自分も後ろに並ぶと、スタッフのお姉さんがQRコードを読み取ってくれる。QRは購入した段階でfringeのHPでも表示できるし、登録したメールアドレスにも送られてくるシステムになっていて、慣れれば便利。体感として、福岡の小劇場などでは未だにフォームに予約を入れて当日精算現金のみ、みたいなのが多い。かくいう自分のカンパニーもそうである。これを機にシステムを見直すのも良いだろう。
中はやはり横に広いというよりは、縦に長い空間となっていて、客席がずっと後ろまで続いている。客席は前方の方に集中している。こちらの劇場が縦に長いのが多いのは、おそらく普段は協会として使用されているからだと思う。現にここの劇場の後方にも、大きな絵画が飾られていたりもする。舞台上手の奥にはオペブースが剥き出しの状態で置かれていて、おそらく音響の女性が一人座っていた。
開演。パフォーマーたちが白い紙を鳥に見立てて登場する。鳥たちは隊列をなして飛んでいる。本作では基本的な美術は白い紙や板である。それらを鳥に見立てたり、鞄として使ったり、折り紙にしてみたり、文字を書いたり、人形にしたりと、様々な表現を展開していく。良い意味で手作り感のある演出。疑問点としては、なぜ演出家はこのようなスタイルを選んだのか今一つ見えてこないところかもしれない。ツアーや旅公演であることも考えると、当然の選択なのだろうし、そういった表現の可能性を信じているのだとも思う。
後でみんなの感想を聞く限り、どうも物語の主題は移民問題のようである。アメリカから来たカンパニーなので、そういった問題と近距離で接しているのもわかる。勿論、台詞はなくサイレントなので、観客はそこから言葉や感情を読み取ろうとする。ただ、この作品の方法意識と作品が内包する思想性、そのどれもが密接であるとはあまり思わない、というのが私の正直な感想だった。演劇を総合芸術として考えた時、一つの音、一つの明かり、一つの体、それらを関係性の中で舞台上に置く時、そこには必然性や着地するための足並みのようなものが必要だ。そういった劇全体の、表現全体に対する無自覚な領域がまだ残されていると思った。厳しい言い方をすれば、パフォーマーの身体も、ダンサーとしては弱く、俳優としては内面や関係に希薄だったと感じる。
とはいえ、決して退屈だったというわけでもなく、終始観客を楽しませる工夫に満ちており、最後までしっかり鑑賞することができたように思う。
この後は、自分たちの本番まで少し間があるため、fringe本部で待機したり、休憩する人は休憩して、俳優はウォーミングアップなどをおこなった。到着した時、なにやらイベントが終わったばかりだったようで、すごい人だったが、間も無く撤収された。イベントの残り物のフルーツや、提供されているコーヒーなどもあるが、一旦、自分は美里さんが用意してくれたおにぎりをありがたくいただくことにする。…美味すぎる。
こっちにきて1週間ちょっと、ぼちぼち日本での食事に飢えてき始めたそんなとき、塩むすびが染み渡る。その後ソファでうとうと。気がつけば寝落ちていた。
劇場へと向かい、四回目の本番。20分でのバタバタ準備にもだいぶ慣れてきた感がある。
そして今日の朝、リカさんが野外パフォーマンスの抽選に行ってくれていて、見事お目当ての場所を確保する子に成功したので、このあとみんなでそちらに向かう。
我々が会場に到着すると、そこで既にパフォーマンスをしていたのは、なんとまたしても、とにかく明るい安村であった。いったいどんな縁なのか。そして今度は領事館イベントではないので、ついにあの伝家の宝刀を披露していた。ただ、野外パフォーマンスであの芸はどのくらいの成立度があるのだろう。声や音の環境も悪く、そして何より対面というより扇形に見物人がいる。そんな環境で安心してくださいの前に、ハラハラできるのだろうか。
というわけで、ちょっとしたミーハー心で見物してみる。すると、正面のお客さんは大爆笑、特に一見上品に見えるご婦人なんかも大喜びしていて、観客からはネイキッドポーズのリクエストまで飛び出す始末。さすがは世界で活躍するジャパニーズコメディアン。完全に国境を超えていた。
そして我々の出番になろうとした時、パラパラと雨が降ってくる。これが私が雨男と呼ばれる所以である。それにしても寒い。日本に帰ったとき、あまりの温度差で体調を壊しそうだ。とりあえず屋根がある場所で震えていると、五味さんが駆け寄ってきて、これからやるパフォーマンスの詳細を教えてくれた。
まさきちが盆踊りをしている間、二人が鶴の被り物をして、ツル~と言いながら彷徨い、やがてはぐれた二人が合流して抱き合うのだとか。その話を聞いて、やばっ…本当にパフォーマーという生き物はすごいなぁと、ゾッとしつつ若干引いていると、何がやばい?どうやったら良くなる?教えて!と五味さん。アイハブノーアイデア、ソーリー。。。
時間になって、とりあえず昨日山田さんから送られてきた音源を、編集ソフトでなるべくレベルをマックスにまでイジってスピーカーから流す。しかし、あまり聞こえない。
「これでマックス?」と山田さんとリカさん。はい、残念ながらマックスです…。
まさきちが盆踊りの振り付けを英語で説明しながら踊り始める。
「シャルウィーダンス!?ジャパニーズダンス!ジャパニーズボンオドリ~!!」と叫びながら通行人のまわりを歩き始める山田さん。五味さん、フーさんは結局輪になって踊っている。時より、五味さん(鶴)が通行人のもとまで飛んでいって盆踊りに参加する通行人を拉致(連れてくる)してくる。盆踊りの輪の人数が次第に多くなる。たまたま近くを通りがかった留学中の日本人大学生たち、通りすがりのカップル、スコットランドの子供達、それを外から微笑ましく見つめる人たち。
雨が再び激しく降り出す。続く盆踊り。これは雨乞いか? 踊り終わると、向こうの空から鮮やかな虹がかかっていた。ここにもドラマがある。
その後は、各自自由時間。自分は大荷物の山田さんと一足先に宿へと戻り、福岡から持ってきたなけなしのマルタイラーメンを食す。全身に染み渡るラーメンの汁。ラーメンは二人前しかない。証拠隠滅して就寝。
2026.8.21|五日目
朝はフリー。というわけで、たまには一人で近所のカフェに作業にでも繰り出そう。まずは初日の空港で入ったブラックシープというチェーン店へ。この店を選んだ理由は当然、タッチパネルで注文できるからである。そして初日と同じセットを注文。黙々と旅行記の執筆を進める。しばらく集中していて、ハッとして顔を上げると、かなり店内が混雑してきた。トイレにも行きたいし、なんとなく居心地が悪くなり始めたので撤収。その後、また向かい側のカフェ・ネロに入る。先にお手洗いをお借りし、注文へ。ブラックコーヒーを無事注文成功。ほっ。ここでも集中力が続く限り書き続ける。
旅行記はできるだけ、その時の記憶が新しく、鮮明なうちに書き進めておきたい、という気持ちはあるのだが、体力的に本番や観劇、移動などで余裕がなく、なかなか時間が確保できない日もある。そうなると、自分の中で他の日と出来事が前後したり、記憶が曖昧になってわからなくなったりするのは想像に難しくない。だから自分のXで日々、プチ日記的に写真と出来事を投稿するようにしている。これは釜山での滞在制作の時にもやっていて、発信するためというより半分以上は自分の日記的な機能の方が強い。
とはいえ、知り合いから投稿をリプライで繋ぐようにせず独立したポストにした方が、インプレッションが稼げるし読んでもらってなんぼでは?と指摘されたりもしている。個人的にはインプレッションとかイイネとかリツイートとかを全然欲さずやっていたことだったので、そっかみんなそういうことを気にしながらSNSを使っているのかと関心したり。やっぱりその辺に興味がわかなかったり。でも、自分は人に何かを発信してそれを多くの人に認知してもらう、といったことにあまりにも無頓着なのかもしれない(だが自分ではそんなふうに思ってはいなくてちゃんと人に見てもらいたいとは思ってる…こともある)。
気がつけば時間が迫ってきたので作業を切り上げ、宿へ戻ることにする。今日も昼から路上パフォーマンスだ。
路上パフォーマンスでは、相変わらずスピーカーの音量は寂しいものの、それなりに輪に加わってくれる人も多くて嬉しい。というか微笑ましい。こうして路上パフォーマンスをしていると、かつてのGIGAの姿を想像する。
今日は投げ銭用の箱も用意。本当はこの路上パフォーマンスで公演の宣伝やチラシ配りなどはしてはダメらしく、チラシを貼りまくった投げ銭箱などはグレーゾーンかもしれないが、プロデューサーのリカさんの怯まなさはすごい。勿論、20~30年前とは時代もメンバーも作品も違うのだろうけど、ふとした瞬間に、空間再生事業劇団GIGAの根底に流れる血のようなものを感じるのである。
路上パフォーマンスも終わり、近くにあるというFringeショップへ。今回のフリンジのグッズが色々と並んでいて、思わず買ってしまう。ステッカーや、これまで開催されてきた演劇祭の年毎のポストカード。こうして見てみると、改めて歴史ある祭りなんだなと思い知る。街をぶらぶら歩いていると、古さと新しさが奇妙なバランスで共存しているので、なんだかよくわからなくなってくるが、途中五味さんが教えてくれたショーケースには、かつての立ち上げ当初の演劇祭パンフなんかも展示してあり、この持続の先に自分も立っているのだと実感して嬉しい気持ちにもなったりした。
買い物を終え店の外を出ると山田さんが、
「店と俺を引きで撮ってくれー」と言うので、スマホで撮影。五味さんは迷っていたFringe Tシャツを買っている。自分は買ったステッカーをスマホカバーの内側とiPadケースの中に入れてしばらく飾っておくことにする。ポストカードも今年のだけじゃなく、思い出に自分の生まれ年や、自分が演劇を始めた年のもの、あとはお土産に好きなデザインのものをいくつか購入。満足。
というわけで、例のごとく劇場入りは本番の20分前なので休憩と準備で本部へと移動。山田さんがスーパーで適当に買ってきてくれた食材、宿から持ち寄った食べ物をみんなで外の現地でつまむ。
すると、向こうに何やら見知った顔を発見。向こうもおや?といった様子で近づいてくる。こんなところで知り合いに会うわけないと思っていたので、かなり不意打ちを食らった形だが、結局本当に知り合いだった。
ニッタさんは、二年前に自分が脚本演出で参加した韓国・釜山で開催されたEATIで、台湾チームに参加していたプロデューサーだ。日本と台湾のハーフで、日本語/台湾語/英語が喋れる。今回エディンバラには、豊岡の大学生の引率的な形で来ていたようだ。しかも今日到着したんだとか。ちょっと学生達を呼んでくるといって、ぞろぞろと大学生達がやってきた。みんな今大学で演劇を学んでいるんだそうだ。羨ましい。他にも先生がいらっしゃったりで、今回のエディンバラでのことなど山田さんが喋ったりする。気がつけば大学生たちは何やら熱心にメモを取っている様子。真面目だ。来週まで1週間の滞在らしく、我々はあと数日なのでほんとに偶然すれ違った形。
自分たちがエディンバラにきた時のことを思えば、みんな体力的にはヘロヘロの状態でしょ?というと、学生達は全然平気そうな眼差し。若いって素晴らしい。ニッタさんとは来月のEATIでまた日本で会えるとのことだったので、ひとまずお別れ。大学生のうちにこういった体験ができるというのはとてもいいことだ。
これからエディンバラでの生活が始まる彼らと、もうすぐ終わりの自分たち。いよいよ終わりの気配がしてきた。
そしてそんな気配を感じながら、四回目の本番。紆余曲折あって作品が成熟してきているのを感じる。客層も日々のレビューや口コミ、人とのつながりによって変化していく。あと1週間あればどうなっていたのだろう。それはみんなも思っていることだ。
本番が終わり、山田さんは外でお客さんにつかまっている模様。一応今日はこれで解散フリーの予定だが、みんななんとなく溜まっていたり、観にいく人は行ったりする様子。
自分は特に予定はないが、残り期間も短くなってきて、もうちょっと色々観たほうが良いのではないか?という思いから、そのまま劇場でやってる芝居に潜り込んでみることにする。楽屋の方から上に上がる途中に、本当に小さなスペースがあり、そこで何やら本番が予定されているとのことなので、後先考えずノリで入ってみる。そして、これが地獄の始まりだった。
入ったのはルーシーショーなるもので、女性コメディアンが一人で50分以上喋り続けるという、英語がわからない自分にはかなり厳しい内容だったのだ。しかもコメディということもあり、当然ことあるごとにまわりのお客さんがクスクスしたり、爆笑したりする。かくいう自分は90%が聞き取れず、一人作り笑いすら作れず、かといってこの近距離で50分真顔でいるというのはあまりに迷惑だよなぁと思いながら、ただ居心地の悪さを感じていた。いったい自分はどんな顔をしていたのだろうか。時々コメディアンがこちらを一瞥したりもしてくるが、ドギマギしてしまう。完全に場違いな場所に来てしまった。
途中退出すれば良かったのだろうが、それはそれでこの狭いスペースでは逆に目立ってしまい、まるであなたのトークは面白くありませんよ、と言っているようなものだ。結局、トータルで55分以上はわからない英語のリスニングを聴いているような状態で、下手なリアクションなども混ぜつつ、この時間を乗り切ることになった。
ショーが終わると、ルーシーが来てくれたお礼にオリジナルのステッカーを配り始めた。自分はテンキューと一言絞り出すと、足早に劇場を後にした。
宿に戻って部屋でぼんやりしていると、山田さんが持参したサバ缶でみんなのためにパエリアを作ってくれていた。ここ数日、完全に米に飢えている。そんな自分にはまさに救いの一品だった。
2026.8.22|六日目
いよいよ本番最終日。この長いようであっという間の旅の終わりが近づいてきた。
旅の終わりが、よりリアリティを持ってやってきたことで、自分の中に、とある感情が生まれる。
「こんな機会は二度とないのに、本当は観るべき作品がまだあるんじゃないのか?」
それは、観ないで後悔するよりは観て後悔した方が良いのではないか、という焦りに似た感情だった。
実は昨日の晩からそれは始まっていて、スマホで今日の午前中に観られる芝居やイベントをしきりに探していたのだ。ただ夜も遅くスマホを見てるのも大変疲れたので、結局眠ってしまった。
というわけで、朝になっても諦めきれず、色々と探し回っている。
エディンバラで一日のうち上演されている作品は2000演目を超える。正直これだけの数がある中で自分が観たい作品を選び抜くのは意外と困難だ。劇場の場所、ジャンル、値段、作風などチェックしなければならない情報も多い。もうまともには探しきれない。
それで結局直感に頼るしかなくなったというわけだ。
お昼に予約したのは、「Good enough?」というダンス作品で、男性二人、女性一人の作品だ。
この作品、実は毎日劇場に通う道の途中にポスターが貼り出されていて、ずっと視界に入っていたのだ。存在は知っていたがどんなダンス作品を踊るのかは良く知らなかったので、予約サイトからインスタグラムへと飛んでみる。
なるほど、どうやらコンテンポラリーダンスなのかもわからないが、どうにもユニークというか、他にはない個性の主張の仕方をしている。当たるか外れるかわからないけれど、もうここは直感で観にいくことにしよう(ちなみにこの公演のチラシは、三名のダンサーが下着姿で踊っている写真である)。
ただ、これはチケット購入後に発覚したことだが、この作品、サブジャンルとして観客参加的な要素が含まれるとのこと。ちょっと、どういうタイプの観客参加になるのかはわからないが、流石に英語がわからない人間にとっては恐怖しかない。なので、ちょうど朝一緒に宿にいた美里さんを道連れ(実際には一緒に行こうか?と快く言ってくれた)に劇場へと向かうこととなった。
会場となるSUMMER HALLは、いつも拠点としているfringe本部よりもさらに向こうへと進まなければならない。そのため、今日は余裕を持ってバスで向かう。途中日本語で「焼き肉」と書かれた看板を見つけた。久しく観ていなかった文字。日本に帰ってから最初に食べる食事は何にしようかとここ数日考えている。
宿を早めに出て、近所で美里さんがコーヒーを買ってから行くというのでついていく。ただお目当てのカフェは定休日で、代わりにいつものコーヒーショップに立ち寄ることになる。
バスの中で、美里さんがカナダに留学に行っていた頃の話などを聞きつつ、毎日アプリにログインだけはする割に、まるで成長の兆しを見せない己が英語力に想いをはせる。こうして実際に英語が必要なシュチュエーションに身を置くと、一時的にモチベーションが上がるものの、日本で普通に暮らしていると、みるみるうちにモチベーションが下がってしまう。そういう生活をもう何年も続けている。
劇場の近くでバスを降りて歩く。いつもと違うバス停で降りると、違った街の表情が見えてくる。この辺りは、ちょうどエディンバラ大学の裏側に位置し、少し静かな印象だ。歩いているとおそらく個人でやっているような、リサイクルショップを発見。開演まではまだ時間があるので寄ってみることにする。
店内には、雑貨や本、家具、衣服などが雑多に並べられている。まあセカストみたいなものだろう。途中1.9ポンドで売っていた羊の置物をお土産で買うか少し迷ったがやめておく。古着コーナーにはちょいお高めのジャケットや、クラシックなカバンも置いてあり、心惹かれたが、もうこれ以上荷物を増やしてはどうしようもないので見なかったこととする。
そうこうしている間に、開演10分前。会場には既に列ができている。コーヒーのコップをゴミ箱に入れて、お手洗いに向かう。お手洗いはまさかの男女兼用でそこにも列ができていて、なかなか進まない。
開演5分前。だんだん焦ってくる。余裕を持って出た時に限って、思わぬ道草でギリギリになってしまったりする。バタバタと用を済ませてスタッフの人にQRを提示する。後から追ってきた美里さんを、自分の後ろに並んでいた女性が入れてくれる。優しい。そして階段を上がりいよいよ会場へと足を踏み入れる。
舞台床面には白のリノリウム。奥には白幕が吊ってあり、その手前には少し大きめのパネルが何枚も並べられ、プリントされた人の顔が貼り付けてある。客席は舞台正面、上手、下手と三方向に組まれていて、そこそこお客さんが入っている印象。
そこでは稽古着のようなラフな服装の出演者たちが歩きまわりながら、客席の方にまでやってきては一人一人と握手して挨拶を交わす。座っていると、結構客席の奥の方までズンズンやってきていて、これはかなり客席とのコンタクトがありそうだなと勝手に警戒心を強くする。だが大丈夫、こちらには美里さんがいる。
やがて開演。出演者三人はそれぞれ椅子とスタンドマイクを持ってきて舞台上に配置、腰掛けると何やら喋り始める。いや、喋り始めたかのように見えたが実は、これはスピーカーから流れている事前録音された音声で、本人たちはどうやら口パクで喋ってる風である。何を喋っているのかはわからないが、どうやらこれから始まるパフォーマンスについて、そして自己紹介、あるいは他己紹介的な内容のようだ。やがて音楽が流れ、三人は舞台上を音に合わせて動き回りながら並べられたパネルを持ち出して、ラウンドガールのようにそれを観客に見せびらかす。踊っているといえば踊っている。そのパネルにプリントされた顔は本人たちの子供時代、若い頃とかだったりしている。音声もおそらくそういった生い立ちや、ダンスを始めるようになった経緯のようなものだろう。時折笑いも起こる。おそらく絶妙に今とギャップがある写真をチョイスしていたり、ナレーションもユニークな内容なのだろう。
全体としてはユニークというか、滑稽な形で進行していくが、肉体と精神は消費していくような方向性で使われていく印象。確かに事前告知でもあった通り、美しく洗練されたダンスが見れるというわけではなく、どちらかというとコンセプチュアルアートとして、構造そのものが作品として提示される。自分たちのこれまでの生い立ちなどを話す流れで、何度もカーテンコールをリフレインしたり、マイクパフォーマンスでは各自が椅子の上に立ち、競うように観客へアピールを繰り返したり。
そして大体予想はついていたが、三人は稽古着のような衣装を脱ぎ、下着姿になって舞台を動きまわっていた。しかしここからは予想外、マイクパフォーマンス中に、一人の男性が下着まで脱ぎ出して開脚までしだした。すると他の二人も全裸になっていき、そのままパフォーマンスを続けるのだった。なかなか目のやり場に困りはする。横で美里さんが拍手をしながら、すごーいと呟く。確かにすごい。もちろん脱ぐから凄いとかそういう話ではないし、脱ごうが一発芸できようが、舞台上で嘔吐しようが、覚悟のない人間は覚悟がないことに代わりはない。脱ぐことがその表現者の覚悟の現れでも何かの指標でも、本物の証明になりはしないだろう。ただ変わった人たち、ってことで片付けてしまえることだってある。
ただ、今回の作品はある意味でセルフポートレート。真っ白の舞台に今の自分たちの自画像を描く、或いはフィルムには映らない歴史を内包した今の自分たちを写真的に表現しようとする。まさにヌードなのだ。さらけ出すというのはただ脱ぐということではない、自分の精神まで含めての話である。だから美里さんのいう通り凄いのだ。
後で聞いた話、三人はそれぞれセクシャリティの問題や、生まれ育った家庭の宗教上の厳しさなどで、表現者として本来の自分として生きられなかったという過去を吐露していたようだ。
最後は演者が観客席までやってきて、一人、また一人と舞台上に観客を連れていく。舞台上に上げられた観客たち、演者、スタッフ、そして観客席に座っている自分たちも含め、全員が互いに拍手し合い、祝福し合い、幕。
ふと、前の席の男性二人に目をやると、終演後に一人がもう一人の頬にキスをしているのが見える。おそらくそういう作品だったのだろう。
劇場を出て、美里さんと感想を話しながら劇場までの道を行く。美里さんはチケットセンターにチケットを買いに行くというので途中で分かれ、自分は何か食べれる物を調達して劇場の前でみんなが来るのを待つことにした。
とりあえず劇場近くのコンビニへ。パンやクッキーはもういいかなという気分。そして、こっちの寿司的なものもそれなりに値が張るのでできれば避けたい。あまり過度な期待をせずに店内をぶらついていると、懐かしい物が目に入る。おにぎりだ。しかも日本のコンビニやスーパーで売っているタイプで、三角形のあれである。思わず値段も確認せずに手に取る。これだ。これを買うしかない。具はシーチキン。他にはあまり深く考えず小さなポテチも購入。
意気揚々と劇場の前へと移動。すると、観劇終わりの山田さんとニノさんが降りてくる。なんともいえない表情。おそらく観た芝居がそんな感じだったのだろう。自分は今おにぎりをゲットして大変機嫌が良い。二人におにぎりを見せびらかし、ついに一口。
これは…酢飯だ。塩むすびを期待して食べたので、一瞬混乱。この形で酢飯とは。これは日本文化に対する誤解だ。そりゃ酢飯じゃないと売れないのかもしれないが、ジャパニーズおにぎりの美味しさ、素晴らしさを是非とも伝えたい。という脈絡のない気持ちに襲われながらも、おにぎりだと期待した物がまさかのシーチキン巻き寿司だったことへのガッカリ感でちょっとだけテンションが下がる。
ただ貴重なお米なのでしっかりといただき、ついでに買ったポテチを食べながら自分たちの劇場入りの時間を待つ。
今日で最後の公演。あまり実感はない。浮かれる気持ちも、寂しい気持ちも特にない。ただこれまで日々積み重ねてきたことの上に、いつも通り積み上げるだけ。いつも通りスピーカーを仕込み、いつも通り時間が許す限り音の聴こえ方をチェックする。
そして開演。観客のリアクションがこれまでで一番良い。というか早い。これが六日間公演を続けてきて、我々が獲得した時間であり空間である。俳優の演技や踊りにもこれまでなかった微妙な機微、装飾があるように感じる。相変わらず音に関しては、空間の断絶で劇場の空気を察知するのは難しい。でも自分にやれることは精一杯やれたように思う。
公演が無事に終わり、外へ出る。リカさん葵(クワイ)さんとはもうここでお別れ。二人はそのまま東京へ。公演の運営や集客、こっちでの私生活に至るまで、本当に二人には全面的サポートしてもらった。二人がいなかったら、自分の人生でエディンバラにこうしてくることは一生なかったかもしれない。そして何より、ただ旅行で来るのではなく、自分たちもアーティストの一人として、作品を持ってこれたことがよかった。本当にお世話になりました。勿論、他のメンバー一人一人にも大変感謝している。私の人生を豊かにしてくれた。エディンバラに行ってみたいという妄想のような夢を、現実に変えてくれた。ありがとう。
そして、エディンバラにいられるのは今日と明日だ。後悔のないように過ごしたい。まさきちとニノさんが、このまま残って我々の次に劇場で上演される演目を観劇するというので、迷った結果自分もそうすることにする。予算的にはあまり潤沢ではないが、ここなら無料で見られるからだ。
観た芝居は「Mr Bergmann of Deadman’s Point」という演劇作品。正直駆け込みで入ったため、事前にあらすじなどもろくに確認していなかった。ただなんとなく気になっていたのは、いつも自分たちの公演が終わってバラしている時に、次の仕込みのために反対側の出入り口で出演俳優さんが待機していて、目が合うと微笑み返してくれていて、この人はどんな芝居をするのかな? と心の片隅で気になっていたからだと思う。
席に着くと、上手で仮面(或いは御面)を被った男がぬるぬると動いている。下手にはベットにシーツが被せられていて、膨らみから察するに人間の遺体だろう。その他にも、上手の机の上やベッドの上に劇中に使用する小道具らしき物がチラチラ置かれていた。
開演。役者は面の人物と、それを外した素顔の人物で二役を兼ねる、一人芝居。序盤にベッドの方のシーツを外すと、そこにも同じ面を被った人物が横たわっていたことから、遺体と会話する男と、その遺体となった人物、という過去と現在を往復しているのではなかろうかと思う。遺体の男の方は、誰かと話すわけではなく一人で放浪しているように見える。一方素顔の男はひたすら喜怒哀楽を表出しながら、この遺体との関係の中で言葉を喋る。
とまあ、上演中自分にわかったのはこの程度のことで、実際この作品がスコットランドで起こった実在の事件、人物を下敷きに作られたということは後で知った。
それにしても、これは初日に劇場で観た芝居の時にも思ったことだが、日本語で上演されているストレートプレイの演劇を観た時には気にならないことが、言語がわからない状況で同じようにストレートプレイで観た時にすごく気になる。
それは、その演劇が成立するためのパラメーターのようなものだ。例えば〈意味(物語)〉〈肉体〉〈音〉〈灯り〉〈感覚〉〈印象〉みたいなグラフがあったとして、このうち言葉がわからない場合、意味の部分が削られて音の方にその役割の配分が移ったとする。すると意味を補完するために、その他の感覚的な部分やビジュアルや印象などといったものに何かを求める。すると、いかに演劇というものが、言語情報に、意味に依存しているのかがよくわかるというわけだ。つまりこの意味を剥ぎ取られた時点で、その他の要素が薄いと、あっという間に作品の成立度が落ちる。ここでいう成立度というのは、観客と共に演劇を作るということが前提である。
つまり何が言いたいのかというと、言語がわからない、字幕もない、音声ガイドもないとなると、その他の要素がより際立っていないと、自分はこの作品の観客として想定されていない存在であるということになってしまう。もし世界演劇なるものがあるのだとしたら、やはりその作品がどのような観客を想定しているのか、というところに重要なポイントがあるのではないだろうか。少なくとも今回の体験で自分はそのような想いをより強くした。どこで上演するか、何人動員できたか、よりも先にそこが自分にとってはセンターピンなのかもしれない。勿論、これは誰が観ても意味がわかる必要があると言いたいわけではない。俳優の役割が、意味の伝達のみには終始していては、やっている仕事の量が少なすぎる、といった話だ。
終演間近、時間が気になりだす。予定では1時間5分の予定だがすでに5分オーバーしている。まずい。自分は次にチャペルでのピアノコンサートのチケットを取ってしまっている。しかも劇場からチャペルまでの徒歩での所要時間を事前に調べていなかった。というか、この上演が予定通り終われば問題ないだろうとたかを括っていた。
結果、この作品の上演が終わったのは、予定終演時刻を10分オーバーしたところからだった。とりあえずカーテンコールが終わると即劇場を出る。次の目的地の方角は大体把握しているので早歩きで向かう。スマホで検索するが、劇場近辺は上手く電波が入らない。
やがて電波が入る。今はコンサート開始の30分前。そしてグーグルマップがはじき出した劇場までの所要時間は、なんと30分。これは本当にまずいことになった。勿論、fringe全体の傾向として、時間ジャストに始まることはないだろうとは思う。ただ焦る。荷物はリュックにスピーカー、カメラにマイク。腰と肩が異様に重く走れない。リュックとの設置面である背中はすでに汗でべちゃべちゃだ。しかしそんなことは気にしている余裕もない。
そうこうしている間に、到着時間が1分、また1分と短縮されていく。よしこの調子で行けばもしかしたら5分前には会場に到着できるかもしれない。公園の中を抜けるために中を進んでいくと、子供たちがブランコをして遊んでいたり、大人たちは芝生に寝転んだりしている。街中ではスコットランド人たちが優雅にテラスでビールやワインを楽しんでいる。その横を大荷物で早歩きの日本人男性が血相変えて進んでいる。
そうして無事、全身汗だく、ふらはぎは攣りかけの状態でなんとか5分前に到着を果たす。自分があまりにもくたくたの状態で列に並んでいるせいか、前に並んでいたスコットランド紳士が微かに微笑みかけてくる。いやもしかしたら苦笑いだったのかもしれないが。そんなことはどうでもいい。とにかく間に合った。日本円にして4千円のチケット、無駄にせずに済んで本当に良かった。
やがて列は進み出した。チャペルの中へ案内されると、運よく通路側のピアノが見える席を確保することに成功。通路の先にはピアノが一台、その奥にスクリーン。三名の奏者が登場すると、男性が演台に立ち挨拶を済ませる。コンサートの始まりである。
基本的な選曲は西洋音楽を中心とされている。バッハやモーツァルト、ベートーヴェンといったクラシックである。ただ少しこのコンサートがユニークなのが、三人の奏者による連弾であることだ。実は私自身、これまで2人の奏者による連弾は聴いたことも弾いたこともあったが、三名による演奏は見たことがなかった。しかも今回は、その手元の様子が後ろのスクリーンに映像としても映し出されている。
ただ、なぜこの選曲で、三人の奏者なのかについては正直わからない。もしかしたらトークやWEB上のイベント紹介ページで説明されていたのかもしれない。
バタバタと来てしまったことで、コンサートに集中できないかもしれないなぁと、多少の不安を抱きつつも、始まる頃にはすっかりと落ち着きを取り戻していた。基本的に、三名の奏者は一曲終わるごとに変わるがわる演台でスピーチを行い、そして席へ戻り、演奏を始めるという流れだ。時折一定時間カメラの操作をしないとスクリーンの画面が設定画面に切り替わってしまい、客席の笑いを誘う。本人たちはそれを知ってか知らずか演奏を続け、毎度直しに行く(変わらないように設定できなかったのだろうか)。
また途中、奏者が颯爽と手前に被さった布を取ると、そこにはトイピアノの姿。その後演奏中にトイピアノで演奏する場面もあった。その時の勿体ぶった様子というか、ドヤと言わんばかりの所作に思わず笑いが込み上げる。本気でやっているのか笑いを誘っているのか、はたまたそういう演出なのか、よくわからない。その男性奏者の衣装も含めて謎である。
そして肝心の演奏がどうだったのかについて書かなければ、さすがにこの話題は終われないだろう。正直なところ、自分にとってはあまり満足の行く演奏会にはならなかった。勿論、私は音楽の素人であるし、三人の奏者が個々にコンサートを開催できるだけのある一定の技術を持ち合わせていることを疑うつもりもない。ただ、三人で一つの音楽を成立させ、聴衆の心を惹きつけるような関係がここに生まれていたのかと問われると疑問が残るものであった。細かな音抜けのような断続的な違和、チャペルの音の響き方や観客への音の届き方の失速感(音響)、ガチャガチャとした余白のなさ、曲の解釈、奏者同士の関係性の薄さ、など気になるポイントを挙げていくとかなり出てきてしまう。
個々では練習していても、三人での合わせての時間や深さ、コミュニケーションが不足しているのでは? と素人ながらも生意気にも思ってしまう。そんな感じであった。ただ物静かで、響きが消えるのをゆっくりと味わうような感覚にさせる曲も中にはあって、そういった曲の時には、聴衆がついつい天井を見上げたり、目を瞑ったりしながら音を味わおうとしてしまう。そんな時間も確かにあり、曲の終わりには、横の紳士が思わず唸るといった場面もあったのだった。
チャペルを出ると、外はまだ明るい。けれども時間的にはすっかり夜なのである。既にくたくたなわけだが、今日はこの後さらに予定がある。エディンバラ城で行われているミリタリータトゥの楽器隊が外に出てくるところを見学に行くこと、そして自分たちの劇場でスタッフさんや他のカンパニーとのパーティだ。今の全身の疲労感と眠気から考えると恐ろしいく、全然行けるテンションではないが、とにかく宿に戻らないことにはしょうがないので、トボトボと先ほど汗だくで駆け抜けた道を今度は登っていく。
宿に到着。当然誰もいない。各自観劇などで外に出っ放しなのだろう。演劇人の底なしの体力にはいつもながらついていけない。階段を上がる気力もないので、一旦ソファに横になる。このままでは即意識を失いかねないと思いきや、意外と眠気は襲ってこなかった。しばらくすると、フーさんと山田さんが宿に戻ってくる。まだ時間があるのでゆっくりする。
ぼちぼち、マーチングが外に出てくる時間ということで、三人で外へ。外はようやく暗くなったところで、エディンバラ城への坂道を登っていると、歩道には楽器隊が行進してくるのを今か今かと待ち侘びている人たちが、ずらっと並んでいる。とりあえず自分も空いたスペースを見つけて陣取ることにする。
すると遠くから、体に響くような楽器の音が聴こえてくる。何十人もの楽器を抱えた軍人たちが隊列を成し、一糸乱れず、こちらに行進してくるのが見える。力、秩序、美、誉、そこには一言では言い表せない魅力が、人間を突き動かすナニカがある。とにかくその短い間、肉眼は彼らの一挙手一投足を見逃すまいと強張り、両手はなんとかしがみつくようにカメラを回した。あっという間だった。確かにこれはなかなかお目にかかれるものではない。しかもこの近距離で。
最後の隊が通り過ぎると、その後ろをついていく民衆の姿がある。本来、国家というものは目に見えた形を持って、目の前に出現するものではないのかもしれない。ただこの時は、ある種あからさまな、あるいは剥き出しなままのナニカが目の前を通り過ぎていったように思われたのである。
行進が終わり、別々の場所で観ていたフーさんと山田さんと合流。すると先ほど行進していた女性のバグパイプ奏者が、観にきていたおそらく親族の方?と記念撮影をする光景を目撃する。すると山田さんが、
「いいなぁ!私も一緒に写真撮りたい」と言いながら、咄嗟になんとか自分の自撮りの先にその人が映らないかと、何やらゴニョゴニョ努力し始めていた。そういえば、自分はあまりそういう欲求はないものだなぁとぼんやり思う。この風景を撮りたい、とかはあっても、人を写真で撮りたいとか、人と写真撮りたいみたいな気持ちになったことがないのである。
そして話は変わるが、我々はスマホのおかげで、今や当たり前に、そして気軽に写真や動画でその時の様子を記録で残し、後で見返したり、すぐに人とシェアできる、そんな時代を生きている。ただそのおかげで、自分は最近、あまり昔のことを事細かに思い出したりしなくなってきているように思う。そういえば自分がまだ小中学生の頃、カメラはおろかスマホすら持っていなかった時代、旅行や部活の合宿など、遠出したり楽しかったことなどがあると、その後何日も何日も、そして何度も何度も、その時の出来事を一から自分の頭(心)の中で再生し続ける、なんてことをしていた。
今ではすっかりそんなことはしなくなったが、今回この旅行記を書いている時は、あの時の感覚に近いように思う。
批評家の小林秀雄が「本居宣長」を書き上げる中で、人間は文字を発明したことで記録力が低下したと語っている。彼は記憶を呼び覚ますことは精神の働きによるものだと考えていた。人間は本来持っているはずの力を別のものに託すと、その力を次第に使わなくなり、その力は衰えていく。今はなんでも自分でやらずアウトソーシングする時代だ。スマホやPC、人工知能がその典型だ。もしかしたらこの文明の中で暮らしている中で忘れている人間としての感覚や機能のようなものが、まだまだあるのかもしれない。
それに、このニューニチブキカクというのは、まさにそういう取り組みなのである。
というわけで、話を戻すと。我々はそのまま劇場へと向かっている。自分はもうこのまま行進だけみて帰ろうとも思ったが、観念してついていくことにした。
劇場に到着する直前、フーさんが、あっ、と声をあげる。どうしたの?と聞くと劇場の名札を忘れたのだそうだ。まあ…大丈夫でしょう。自分はというと、正直パーティと聞いて怯えていた。異国の言葉も通じないパーティ。どんな雰囲気なのか、何が起こるのか、下手したら何かをさせられるまである。恐ろしい。ただまぁ、プロデューサーのリカさんが是非行って欲しいと言い残し去っていったので、来てはみた。
開始まではまだ時間があるので、ロビーのベンチで座って待つことにする。既にまさきちやニノさん、美里さんが到着していて、みんな待機している様子。劇場の壁を公園チラシがびっしりと覆い尽くしている。我々の作品のレビューも貼ってある。
すると、おもむろにフーさんがスマホの画面を見せてきた。このエディンバラ公演の特設サイトである。下にスクロールすると、プロフィールと共になかなかパンチのある顔をしたフーさんの写真がプロフィールとして使われている。
「のぶおさんの写真はカッコいいやつなのに、私のは、これ!!」
どうやら一言物申したいらしい。すると犯人登場。このページの写真を五味さんに見せながら何やらクレームを入れ始めた。というか、今気がついたのね…。クレームを入れながら自分でも笑ってしまっている。確かにすごいインパクトのある写真ではあるけれど、まあ、そんなところも、ステキダトオモウヨ。
そうこうしている間に会場の準備ができたらしいので、中に入ってみる。
……まじか。真っ暗な劇場内には、イケイケな音楽が爆音で流れ、LEDにムービングライトが回り、スモークマシーンまであるではないか。やっ、やられた。
すると五味さんが、
「これはあそこのステージで踊ろうぜ、とかってことになる展開なのでは!?」
とかなんとか、すかさず脅してくるのであった。
まずい、、、なんとか回避せねば。と思っていると、既に見知らぬスタッフなのか別のカンパニーの人なのかわからない人たちが円になりトークを始めつつ、体はもう音楽にノっている様子。
そして気がつくと、先ほど一緒にいたニノさんとまさきちが、劇場の中をウロウロと見て回ったまま、行方をくらましていた。山田さんに聞くとバスの時間があるから帰ったと知らされる。
撤退早っ!!
やられた、というか自分も今すぐ帰りたい。とにかくこの空間にいたのでは身がもたないので、五味さんとフーさんを尻目にロビーに避難。すると山田さんに、
「そんな長居しないから、フィオナさんとかに挨拶したら帰るし、ビール飲む?奢るよ」
と言われ、そ、それなら、、、ってことでまんまとビールに釣られ、もう少しいることとなる。そしてここで飲んだビールが、おそらくこの旅で口にしたどの飲み物よりも一番美味しかった。お酒は体調によって味が全然変わるが、この時のビールは人生で飲んだ中で上位に入ってもおかしくない味、そんな味だった。このビールの味を覚えていようと思う。
ロビーでは、ビール片手にフィオナさんの話を聞く。この劇場のスタッフさんのこと、普段の仕事のこと、演劇祭そのもののことなど、ここでしか聞けない話ばかりで、結果的にとても勉強になった。そしてもっと英語を勉強して喋れるようになれば、自分もボランティアでスタッフとしてこれるのかもしれない、なんて今の自分からすればあまり現実的ではない未来を想像したりなんかもして。
しばらくして、五味さんがロビーに戻ってくる。今や劇場の中はダンスホールと化しているとの情報をキャッチ。ロビーに逃げてきて良かったと心から安堵。帰る時には声をかけるから、と山田さん。五味さんは再び劇場へと吸い込まれていった。とはいえ、こちらはもう少し話して切り上げる雰囲気。山田さんが飲み切れなくなったビールを代わりに飲む。
というわけで、二人に声をかけるために劇場の中に足を踏み入れる。すると、そこにはノリノリな役者二人の姿。その元気は一体どこから湧いてくるのか…。二人共とっても楽しそうである。その後は、みんなで帰り際にお世話になった劇場のテクニカルスタッフのベンさんに感謝を伝え写真撮影。劇場を出る時、すっかり日付を超えていた。
夜のエディンバラ。いつもと違う帰り道。役者二人の体にはまだ音楽とダンスの余韻が残されている。夜風がちょうど良く、何やらみんな憑き物が落ちたみたいに心が身軽な様子。公演を終え、あとは観光を残すのみとなった旅。演劇をしていると、時々訪れることのある、こんな夜が自分はたまらなく好きだ。
episode 06 ~エピローグ~
観劇レビュー
エディンバラで観劇した作品のレビューを投稿します
最終更新日:2026年8月26日
2026.8.12|BURN/演劇|五味伸之
●作品情報
作品名:BURN
観劇日時:2026年8月12日(水)15:55
会場:PARADISE IN THE VAULT
料金:13£(同劇場利用のため無料)
ジャンル:演劇
制作団体:Burnt Flamingo Productions
制作国:England
上演時間:1時間

一番最初にエディンバラで観劇した作品『BURN』
会場はParadise in The Vault。アーチ型の石造りの空間。自分たちが公演する会場なので、一体どんな場所なんだろう。とワクワクしながら、そして少しの不安も持ちながら入場しました。
事前の情報で、客席の一番後ろからは観にくいのではないか、とか、前後のスペースが少ないから、足元の演技は見えないのではないか。さまざまな不安がありました。
劇を見て、どんな風に見えるか確認しようと思いました。どうやら、中央は見やすい。なにより石造りの会場の雰囲気がすごく良い。上品で、シックな雰囲気。こんな場所でできるのはいいなぁ。と楽しみになりました。
しかし、、、暑い!
到着した8月中旬(11日〜12日頃)のエディンバラは、まだまだ夏の暑さが残る気候。しかもこの会場、なんとエアコンがなし!狭い空間で満席。ムンムンと暑さが充満してきました。
汗をかきつつ「ここで自分たちが演じるんだ」と、作品そのもの以上に「自分たちの公演」への期待とそわそわした気持ちで胸がいっぱいになりました。
作品自体は、『血まみれのマリア』をベースに、新しい物語として再構築された会話劇らしいです。終演後に調べて知りました。
舞台中央にはチェス盤のある机、アーチ型の壁や黒板にはびっしりとテキストが貼られていました。
登場人物は2人。
1人は脚本家と思われる男性。帽子を脱ぎ着して何役も演じ分けていました。もう1人はおそらく脚本家が書いた物語に関連しているだろう女性。会話を通して激しいやり取りが行われます。
言葉の壁もあり、物語の流れやニュアンスはほとんど理解できませんでした。言葉を超えて伝え合うことについてよくよく考えさせられました。「言葉を超えて伝えるには何が必要なのか?」「言葉が分からなくても体感してもらうためにはどうすべきか?」
後から英語が分かるメンバーに聞いたところ、興味深いストーリーだったようです。
狭い中に所狭しと小道具や美術があったので、人物の構図変化を作ることが難しかったのかな。と感じました。内容に合わせた行為と構図などで作り出すイメージがあれば、もっと内容に飛び込めたんだろうな。と、言葉の壁の向こうにあった物語を知りたい気持ちになりました。
2026.8.12|BURN/演劇|石田聖也
●作品情報
作品名:BURN
観劇日時:2026年8月12日(水)15:55
会場:PARADISE IN THE VAULT
料金:13£(同劇場利用のため無料)
ジャンル:演劇
制作団体:Burnt Flamingo Productions
制作国:England
上演時間:1時間

2026年8月12日の旅行記より抜粋
自分たちの作品を上演する劇場へと徒歩で移動。事務室に挨拶してお土産のめんべいを手渡す。そしてこちらでも名札をもらう。この名札があれば、この劇場で上演される作品は基本的に無料で観劇可能になるらしい。太っ腹。ただし、有料でチケットを購入しているお客さんが優先なので、その後の案内になるルール。我々が上演するスペースはその建物の下だ。
劇場では、すでにチケット購入したお客さんの列ができ始めている。今日観劇するのは、「BURN」というタイトルの作品で、おそらくダンスや音楽系というより、いわゆるストレートプレイ的な演劇ではないかという話だ(後々聞くとシェイクスピアのヘンリー8世?か何かのアレンジだったらしい)。
並んでいるとかなりの満席の様子で、ギリギリまで今日観られるかはわからなかったが、結果、ギリギリ四名なら入れるとのことで、美里さん以外の4人で観劇。なんとか最後に滑り込みで座席に自分が着席すると、前の座席の下に微かに動く影が。よーく観察してみると、介助犬らしき犬がおとなしく寝転んでいた。こっちにきてたびたび散歩中の犬などを見かけるが、どれも日本で散歩されている犬種よりもやたらとでかい。これもお国柄なのか、よくわからないが、いずれにせよデカい犬、可愛い。
芝居が始まる。作品は男女の二人芝居。舞台奥には黒板が置かれ文字が書かれている。その周りや劇場の壁には紙がランダムに貼り付けられ、ツラ側には蝋燭LEDの灯りが揺らめいている。舞台中央にはテーブルを挟んで椅子が二脚。テーブルの上には本とチェス盤。
最初に女優のモノローグ、途中からもう一人の男のモノローグもそこに加わり、やがて二人のシーンへ。男の方は時より帽子を被り役を演じ分けていると推測。それは女も同様なのかは、それは定かではない。男と同じように記号的な仕掛けもなく、自分が聞き取れる英語だけでは物語の筋を理解するのはやはりというべきか、なかなかに難しい。俳優の演技もいわゆるストレートというか、終始オーソドックスな印象で、物語を伝達し、感情をシェアするのが俳優の仕事といった具合。それだけに言語が理解できない人間には、俳優が舞台でやっている仕事量の少なさが気になる。また演出の工夫的な面でも、ミザンス一つをとってもなかなかに厳しいと感じてしまう。もちろん英語能力があること前提なのだから、しょうがない。ただ、いち演劇人としては、世界演劇的なモノをこの街に期待するので、そういった言語や文化、イデオロギーも超えて肉体的に、あるいは想像的に迫ってくる演劇的な可能性を観てみたいと思う。
劇場の方は割と想像と大きくずれたりはしていない印象。ただエアコンが付いていないのか、なかなかに暑い。それと外の受付まわりにいる人の声が漏れ聞こえてきていたり。スピーカーと舞台上の世界の分裂感などが気にはなる。けれども、しっかり創造性を持って劇場を利用すれば良い空間だとも思うし、なんら問題はないと思う。良い参考になって。
そして何より、エジンバラに演劇を観にくるお客さんの、楽しもうという姿勢を強く感じ、それが嬉しかった。早く自分たちも作品を見せたいという気持ち。
上演時間は60分。終演後の拍手は力強かった。ちょこっと演出家らしき人物の挨拶もあり。とりあえず外へ。自分は劇場の暑さもあってか、移動の疲れがここに来てドッと押し寄せてきてしまう。劇場向かい側の歩道で座り込み、ちょこっと涼んでおく。
2026.8.13|The Hollowed Man 5.0/舞踏|石田聖也
●作品情報
作品名:The Hollowed Man 5.0
観劇日時:2026年8月13日(木)19:25 – 20:05
会場:エディンバラ国立博物館
料金:12£
ジャンル:舞踏
制作団体:Grad LEUNG Wai Kit(個人)
制作国:香港
上演時間:40分

(2026年8月13日の旅行記より抜粋)
フーさんのお友達の舞踏家がフリンジで別の劇場に来ているとのことなので、そちらを観にバスで移動することになる。・・・
バスを降り、上演される劇場へと向かう。一つの建物の中に、三つほど劇場が入っている。とはいえ、劇場と言ってもこの期間だけで、8月以外は普通に会議室だったりするようだ。建物の前は、これからの観劇のために列に並んでいる人、ちょうど上演を終えて建物から出てくるカンパニー、外で円陣を組んで何やら盛り上がっている人などでごった返している。外に仮設されたビアガーデンでくつろぎ、ビールを飲んでいる人の姿なんかもある。
中から女性が出てきて、紙のチケットを受け取る。これまでオンラインで公演情報や予約方法などを色々眺めていたが、やっぱり紙でチケットをもらうと安心する。
中に入ると、真ん中のアクティングエリアを囲むように、コの字に客席が設置され、照明やプロジェクターなどはトラスに仕込まれている。下手の端には、人一人、すっぽり入りそうな模造紙が転がる。おそらくパフォーマーが中に入っているのだろう。その紙の塊がやがて動き出し、客席の方に移動、観客の足に突き当たったりしながら絡み出した。
なんだか繭のような、ダンゴムシのような生き物を思わせるが、その模造紙の表面には中国語の新聞の切れ端が張られていて、あまりポジティブなニュース内容ではないだろう。すると、紙の隙間に空けられた穴から、白い手がにゅっと出てきて、また引っ込んでいく。社会に捨て置かれ死に行く者と、これから誕生する、或いは脱皮していく命、それらが同時に存在しているような感触。ところが、中から姿を現したのは赤い風船を咥えた、全身白塗りで前張りをした、かの半分が赤色の一人の男だった。
俳優が舞台上で風船を持ち出してきた時の客席の、
「あれ絶対割れるよね」といった無言の緊張感。このお決まりの展開は万国共通だなぁとぼんやり思う。ただ、これから破裂するであろう赤い風船、というのは意味がありすぎる。そして当然その風船は破裂したわけだが。作品のその後の流れとしては、俳優がずるずると引きずる半透明な袋の中に沢山の風船を抱え、それを取り出し観客に手渡しては割ったり割らなかったり、といった具合だ。
また、ボロを纏った男の衣服であり殻でありレッテルであるその模造紙をひっくり返すと、一転、美しいドレスを思わせる。現に男はその髪をドレスのように着こなしていたように思う。突然始まったランウェイに笑ってしまいそうに思いながらも、社会における汚さと美しというのは表裏一体だよなぁと思うし、大衆が臭くて蓋をしたくなるものに、社会の真実が潜んでいることもあるだろう。
正直映像なども使われてはいたものの、座る位置の問題か、あまり咀嚼できなかった。ラストにかけて、花火のような音が聴こえてくるが、その先を見つめる男の瞳にミサイルが、核が、戦争の行末が、映っていたことだろう。
自分はこの作品を、赤い風船が膨れ上がって破裂した瞬間から、この作品を反体制的な作品だとしか思えなくなった。果たして、これは中国で上演できるのだろうか。まあ、だからこそのエジンバラフリンジ、ということなのかもしれない。
集客のこともあり、コメディが多いとされるフリンジ作品、その奥には個人が抱えきれなくなった問題が潜んでいる。もっと色々見てまわりたいものだ。
その後劇場から宿までは、みんなでぼちぼちと宣伝しながら歩きつつ帰ることにする。外はまだまだ明るく、路上にはビラ配り人や、パフォーマー、大道芸人で溢れている。しかし、時計を見てみると、もう夜の21時になろうとしていた。よくよく考えれば、ここまで日が長い場所を歩くのは初めてで、本当に不思議な気持ちにさせられる。夜がやってこない。あるいは昼でもあり夜でもある時間。そんな時間が、一見ごちゃごちゃとして、無秩序に見える世界の美しさを教えてくれているようだ。この気持ちを何か形にしたいと思い、しきりに一眼レフのシャッターを押す。写真は記憶や感覚そのものではないかもしれないが、自分はこの瞬間を永遠にしたいと思う。
2026.8.14|Fringe touring/プレゼン大会|石田聖也
●作品情報
作品名:Fringe touring
観劇日時:2026年8月14日(金)10:30〜12:00
会場:Edinburgh Fringe Central
料金:無料
ジャンル:世界各地のフリンジフェスティバル主催者プレゼン大会
制作団体:Edinburgh Fringe Central
制作国:scotland
上演時間:90分

(2026年8月14日の旅行記より抜粋)
朝はフリンジの本部へ。会場では、様々な国の演劇祭のプロデューサーたちが自分たちのフェスティバルや取り組みについてのプレゼンを行なっている。当然全て英語なので、chatGPTに音声を読み込ませながら、要約してもらいつつ内容をざっくりと把握していく。
確かに、ここは自分たちが主催するイベントのアピール、そして交流の場としては絶好の機会となっているのだろう。一人一人登壇しながら様々なトピックについてしゃべっている。
いくつか、この場で語られたトピックを紹介すると
(AIの翻訳なので厳密な情報であるかは定かではないが)
●オーストラリアのAdelaide Fringeを中心としたツアー/フェスティバル展開について
このフェスティバルはアデレード中心部を舞台にかなり広い範囲で行われていて、前後の時期に地域を回るツアーを組む人が多いこと。時期はだいたい1~3月末、4月頃までを視野に入れられる。他のフェスと組み合わせやすく、特にコメディ作品なら連続して回れる。9月8日に公式登録が開始され、約1,500公演があり、世界で二番目に多いフリンジという位置付け。チケットマーケティング関連の助成金や、もう一つ助成金制度があり、まだ応募が間に合うものもある。
●Liverpoolを拠点に活動する障害のあるアーティストのための芸術団体の紹介
この団体は、障害のあるアーティストが演劇やダンス、美術、映像などの芸術活動に参加し、作品を作り、発表できる環境を作る団体で、ブラジルやインドネシアの団体とのパートナーシップもある。この団体の特徴は、障害を医学モデルではなく、社会モデルから考えること。例えば車椅子の人が劇場に入れない場合、「車椅子だから入れない」のではなく、「階段しかない劇場という環境が障壁になっている」と考え、障害者向けのイベントを作るというより、芸術そのもののアクセシビリティを変えていくことを目指している。支援だけが目的なのではなく、アーティストとして育て、仕事を発生させるというところまで踏み込んでいるようだ。
●Perth Fringe Worldを運営するArtist Producerの紹介
Perth Fringe Worldはオーストラリア最大級のフリンジで、今年は600以上のイベント、約50万人の観客、100以上の会場、西オーストラリアを中心とした多数の独立系アーティストが参加。開催は1月20~2月14日頃なので、公演が終わって飛行機で移動し、Adelaide Fringe(2~3月)という国際ツアーの流れが作れる。つまり、単独で公演するのではなく、複数フェスを一つのツアーとして組める。
最後の方のプレゼンで印象に残ったのは、
「fringeは単に作品を上演する場所ではなく、アーティストが成長し、世界中のフェスやディレクターと繋がるためのジムだ」といった趣旨の発言だった。
他にも色々あるのだが、ひとまずこの辺で。とにかく、ここでしか聞けないような話が聞けてとても勉強になった。思い起こせば、自分が初めて国際交流事業に携わったのは、福岡の久留米シティプラザで開催した「アジア青空劇場フェスティバル」だった。当時は、福岡で街頭演劇を中心としたアジアの新しい演劇祭を目指して開催したのだが、予算や運営など様々な現実問題に直面し、結局思うように続けることができなくなってしまった。
こうして海外のフェスティバルに参加し、様々な話に触れると、当時の気持ちがまたムクムクと自分の中に沸き起こってくるような気がする。いずれにせよ、世界には演劇が根付いた、演劇によって栄えた街がまだまだあるのだ。
2026.8.14|Museum Late/ダンス|石田聖也
●作品情報
作品名:Museum Late
観劇日時:2026年8月14日(金)19:30〜22:30
会場:エディンバラ国立博物館
料金:28£
ジャンル:ダンス
制作団体:スコットランド国立博物館機構
制作国:Scotland
上演時間:3時間

(2026年8月14日の旅行記より抜粋)
夜の博物館でスコットランドの民俗舞踊を観に行く。と思いきや、まさかの体験するらしい。踊りは自分が人生で最も苦手とするものの一つ。震える。
(中略)時間となったので、博物館へと向かう。
スコットランド国立博物館について、AIに聞いてみると、ここは単なるスコットランドの歴史博物館なのではなく、自然史→科学技術→世界の文化→スコットランド史→現代文化までが一気に入っていて、エディンバラという都市が世界とどう接続してきたのかが見える場所なのだそう。何を展示するかというより、どういう物語としてスコットランドを世界に見せるか、これはある意味で演劇的な施設でもあるんだよ、とAIが教えてくれるが、そもそもなんでも演劇に結びつけて語ろうとしてくるこのAI様はだいぶ自分に毒されているのでは?むしろ自分がAIに毒されているのか?まぁいいや。
ただ今回のこのイベントは夜に開催されるということもあり、展示のほとんどは終わってしまっており、一階に常設されている一部の展示だけが閲覧可能となっていた。中に入り受付を済ませると印として手の甲にスタンプが押された。洒落ている。みんなは荷物を預けて階段を上がる。正直この後何が待っているのかわからないが、鞄に撮影機材一式入っているので預けるのはやめておこう。
階段を登っていくと、割と爆音でスピーカー越しに賑やかな音楽が聴こえてくる。吹き抜けのホールにガラス張りの天井。すごい人混みだ。まさかみんな踊りに来ているのか。どうやら本当に盆踊りみたいなものなのかもしれない。民俗衣装のレンタルコーナー、ドリンク配布コーナーなども設置され、中央の演題には3人組のバンドの姿。みんな恋人や友人と参加しに来ている雰囲気。まあ流石に自分もここに単独で乗り込む勇気はない。
とりあえず、ホールの奥に生き物の剥製などが数多く展示してあるコーナーがあり、そこに吸い込まれてみる。するとホールの方から、何やらバンドマンの声が音楽に乗って聴こえてくる。引き返してのぞいてみると、人々がグループを作り小さな輪になって、今にも踊り出しそうだ。とりあえずみんなを探すと、知らない人たちと愉快に踊る俳優たちの姿を発見。すごいエネルギーだ。言わずもがな、自分はというと、若干このノリに引いている…。とりあえず、みんなが踊っている姿を動画に収める。楽しそうでなにより。さて、先ほどの展示室に避難するか。
全然話は変わるが、自分は剥製が大好きだ。自分の演出する時に俳優に剥製になってもらうくらいには好きだ。勿論動く生き物を眺めるのも好きだが、人工と自然の狭間で、動かなくなった物の中に動いている物を探すことに惹かれる。そこに内在する人間の暴力性も含めて。だからというわけではないが、美術館や博物館をゆっくりと回るのが自分にとっては、自分の中の何かを調律する時間となっている。
というわけで、ゆっくりと展示室を楽しんだ後、再びホールに戻ると、みんなまだ踊っていた。だ、大丈夫なのか…。横の階段から二階に上がってみられということで、横の階段から二階へ。次々と踊る人を入れ替えながらはしゃぐ人々の姿。ただ音楽自体は割と現代的だったりして、不思議な感じ。というか、ここ国立博物館だよな。夏に福岡の市役所前広場でビール飲みながら、真ん中で盆踊りを踊ってる人を眺めている気分だ。ただ、これだけ大勢の、様々な人種の人が、ホールで一緒になってごった返しながら踊る姿を上から眺める機会なんて、そうそうあるものでもないだろう。まるで蜷川幸雄の舞台演出のようだなぁと思いながら、ぼんやりと眺める。
それにしても、延々と続くこのダンスは一体いつ終わりを迎えるのだろう。それにしてもみんな本当に元気だ。カメラを回していると、僕を見つけたリカさんが寄ってきて、
「一緒に踊りますか?せっかくのスコットランドの文化を体験できた方が」と誘ってくれた。ついにきたか。
自分は非常に素早く、そして明確に首を振った。
流石に21時を回っている。
「盆踊りみたいなもんだよー」と聞かされていた割に、かなりハードなその様子にとても元気に踊れる気がしない。数日石畳の上をあちこち歩き続けて、ふくらはぎと足の裏が修羅場を迎えている。おそらくここで踊っていたら、色々な場所にトドメを刺すことになっていたかもしれない。と、とってつけたような言い訳をしておくことにしよう。
そして、まだまだ続く夜を横目に、床に座り込んで壁にもたれかかっていると、クワイ(葵さん)からマッシュルームと言われる。そう、私は今国立博物館の壁に生えるキノコとなったのだ。
ベンチで瞼を閉じる。これだけ騒々しい場所でも眠れるとは、我ながら呆れる。一応みんなの荷物番なのだが、自分が意識を失っている間にみんなの荷物が取られては大変なので気合いで目を開けようとするが、やはり瞼が重い。結局山田さんから一緒に先に帰ろうと言われ、お言葉に甘え離脱することにした。
2026.8.14|Museum Late/ダンス|五味伸之
●作品情報
作品名:Museum Late
観劇日時:2026年8月14日(金)19:30〜22:30
会場:エディンバラ国立博物館
料金:28£
ジャンル:ダンス
制作団体:スコットランド国立博物館機構
制作国:Scotland
上演時間:3時間

●鑑賞理由
スコットランドダンスに参加しました。
このイベントは、プロデューサーのリカが昨年エディンバラに下見に来た時に参加してとっても気に入ったダンスイベントということ。「博物館を夜に貸し切って行われるダンスだよ、絶対行こう!」と言ってくれました。博物館でダンスか、どんなものが見れるのかな。と思っていました。
上演時間は、19:30〜22:30。ん?22:30?3時間あるな。長い作品なんだなー。歴史的なものを全体描くのかな?と思いきや、違いました。このイベントはダンスをするイベントだったのです。
スコットランドダンスは日本でいう盆踊りのようなものらしいです。その日集まった人、その瞬間出会った人とペアを組みながら、次から次に入れ替わり立ち替わり踊っていくらしい。
●イベント説明
スコットランド国立博物館が開催する「Museum Late」は、普段の静かな雰囲気とは一線を画す、18歳以上の大人を対象とした特別な夜間限定イベントです。閉館後の館内を舞台に、音楽やアート、そして歴史的な展示品が融合する華やかな空間へと姿を変えます。
イベントの最大の魅力は、お酒や軽食を手にしながら夜の博物館を自由に巡れる点にあります。館内では本格的な音楽ライブやDJパフォーマンス、さらにはスコットランド伝統の踊りであるケイリーやサイレントディスコなど、賑やかなエンターテインメントが繰り広げられます。また、開催ごとに「バーンズ・ナイト」や「科学フェスティバル」、あるいはその時期の特別展に応じたテーマが設定され、それに合わせたトークショーや体験型ワークショップも充実しています。
歴史的な建築美と最新のカルチャーが交差する「Museum Late」は、単なる展示鑑賞にとどまらず、大人が夜の時間を知的かつアクティブに楽しむための特別なエンターテインメントイベントとして高い人気を集めています。
●感想
博物館に入場すると、圧倒的な音圧で演奏されるエディンバラ音楽(多分)が気分と会場を盛り上げていきます。
最初はTSURUチームと踊り始めていても、あれよあれよと違う人と踊ることになります。
とっても楽しい!
そして、こんなにたくさんの人の肌に短時間で触れたのは初めてでした。人によって、人種によって、こんなにも肌の感触が違うのだと改めて驚きました。
リズムに乗れる人、乗りにくい人、肌を合わせたその瞬間から相手の一部がわかるような感じがして、それが楽しい。
こういう時間が、生きていくのに必要だったんだろう。
しかし・・・疲れる!
踊りはじめはミュージシャンのMCでレクチャーもありつつ、スローテンポで始まるのだけど、少しすると超ハイスピードになって叫びながらぐるぐると踊り回る。この《回る》というのは、言葉通りで、相手と腕を絡めながらぐるんぐるん体全体を回すんです。時には相手と腕を組んで、相手を振り回すような人もいるし、あっという間に汗だく。
映画でよくみるような、人が作った輪の中を走っていく場面は美しいんだけど、総勢数百名くらいの道を駆け抜けるんだから、とっても大変。いやーすごいすごい。
スコットランド、エディンバラに行くことがあれば、ぜひ参加してください。
2026.8.15|BURN/演劇|リカ
●作品情報
作品名:BURN
観劇日時:2026年8月15日(土)15:55
会場:PARADISE IN THE VAULT
料金:13£(同劇場利用のため無料)
ジャンル:演劇
制作団体:Burnt Flamingo Productions
制作国:England
上演時間:1時間

――「Bloody Maryブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)」は誰がつくったのか
自分たちの公演と同じ会場だったため、劇場の下見も兼ねて、ほとんど予備知識なしで観た『BURN』。正直なところ、演技や演出そのものに強く驚かされた作品というわけではなく、舞台作品としては比較的オーソドックスな印象だった。
それでも面白く観られた最大の理由は、内容そのものにある。
「Bloody Mary」という名前は知っていても、メアリー1世がどのような人生を送り、なぜそう呼ばれるようになったのか、私はほとんど知らなかった。そのため、観劇しながら歴史上の人物や出来事を一つずつ知っていく感覚があり、どこかドキュメンタリーを観ているような知的な面白さがあった。
メアリーはヘンリー8世と最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンの娘だった。しかし父がアン・ブーリンとの再婚を進める中で両親の結婚は無効とされ、メアリーも王女としての地位を失う。母とも引き離され、キャサリンが死を迎える際にも、父ヘンリー8世はメアリーが母を訪ねることを許さなかった。
その後、紆余曲折を経て1553年に王位につき、イングランドで初めて自らの権利で国を統治する女王となる。カトリックへの復帰を進め、その治世では300人近いプロテスタントが火刑に処されたことが、後世の「Bloody Mary」というイメージにつながっていく。
『BURN』は、こうした歴史的事実を見せながら、さらに「私たちが知っている歴史は、誰の視点から書かれたものなのか」という問いを加えていく。
特に興味深いのは、男性が権力を握ることが当然だった時代に王位に立った女性として、メアリーを捉え直していることだ。彼女が行った宗教弾圧を正当化するのではなく、「残酷な女王」というイメージが、後世の歴史の中でどのようにつくられ、語り継がれてきたのかを考えさせる。
観劇後にカンパニーについて調べてみると、本作は女性のクリエイターが中心となってつくられた、明確にフェミニズムの視点を持つ作品だった。それを知ると、なぜこの作品が「Bloody Mary」を単なる悪女として描くのではなく、男性中心の歴史の中で、一人の女性がどのように語られ、記憶されてきたのかを問い直そうとしているのかが、より腑に落ちた。
もう一つ、個人的に楽しめたのがチェスの使い方だった。ちょうど最近チェスを習い始め、駒の動きが分かるようになったこともあり、二人の会話と同時に、盤上で何が起きているのかを見る楽しみがあった。
女王とクランマーの駆け引きがチェスのゲームと重なり、最後にはQueenの駒がKingを倒す。男性中心の権力構造の中で王位に立ったメアリーという存在を考えると、この盤上の動きにも意味が見えてくる。チェスを知らなくても物語は理解できるが、知っていることで、もう一層違った見方ができる仕掛けだった。
2026.8.15|BURN/演劇|二宮
●作品情報
作品名:BURN
観劇日時:2026年8月15日(土)15:55
会場:PARADISE IN THE VAULT
料金:13£(同劇場利用のため無料)
ジャンル:演劇
制作団体:Burnt Flamingo Productions
制作国:England
上演時間:1時間

歴史もの。2人の出演者が所々、異なった役を演じながら有名なブラッディーマリーが生まれるまでが語られている。
残念ながらその存在は知っていても詳しい史実までは知らなかったので、劇の内容も正確にはつかめずでした…(現地についたその日に見る、ということで疲労困憊でもあったので)。
「ちゃんとしたお芝居」という感じだけは受け取りました。
2026.8.16|Space In Between/ダンス|五味伸之
●作品情報
作品名:Space In Between
観劇日時:2026年8月16日(日)15:30〜16:20
会場:DANCE BOX
料金:15£
ジャンル:ダンス
制作団体:Cosmic Dance
制作国:Scotland
上演時間:50分

●パンフレット内容
意図と結果、そして自己と社会の間に生じる緊張感を探求する、南アジアの3部作公演。バラタナティヤム、カタック(ともにインドの伝統舞踊)、そしてコンテンポラリーダンスの動きを融合させた相互に関連する3つの作品が、後悔、葛藤、そしてズレを考察します。アイデンティティ、人間関係、そして選択を形作る目に見えない力を解き明かしていきます。
●鑑賞理由
最初は同じ劇場でやっているCommon Groundという作品を見たいと思っていた。その作品は、14歳〜21歳のグループと、60歳以上のグループの2つが出演するダンス作品らしい。コミュニティダンス的な側面があるのか、また年代で区切っていることから感じられる物も見えるか、と楽しみにしていた。
アプリで観劇のチケットを買うのだけど、操作をしてもエラーが出る。しかたないので、劇場の窓口で直接買うことにした。自分たちの公演会場からは歩いて15分のところにあり、また宿舎の方向でもあるので都合もちょうど良かった。出演者のフーちゃんと一緒に歩きながら、劇場に向かった。フリンジ専門のアプリで会場の場所をチェックして、そのままgoogle mapで調べながら街を歩く。dance boxという劇場。ダンス中心の劇場らしく、1階の入り口からたくさんのダンス作品のポスター・フライヤーが壁一面に貼られている。建物の作りも清潔感があり、ヨーロッパの劇場に来ているんだなという期待感も出てきた。受付のある2階に上がり窓口に目的のチケットを尋ねると「sold out=売り切れ」と言われた。アプリで購入表示があるのになんでー?となったが、リアルタイムで反映していないのかもしれない。困った。フーちゃんと劇場の外に出て、今から見れる作品をチェックする。幸い、同じ劇場でやっている別のダンス作品があるらしい。それを見ましょう!となり急いで戻る。開演まであと1分だった。慌ててチケットを購入し、劇場に入る。そこで見た作品が「Space In Between」でした。
●感想
劇場に入ると、清潔でフラットな舞台空間があり、舞台装置や道具は置かれておらず、舞台左側の端におそらく使うであろう椅子が数客置かれていました。
舞台に向かって対面型の客席。客席は4段組80人程度の客席が用意されていました。開演ギリギリに飛び込んだので空いている席に急いで座る。4段目の一番上。といっても、舞台空間から離れている印象はなく、身近に見える環境。
3つの短いダンスから構成されていました。
それぞれのダンス前にイントロとして流れるアナウンスがあり、瞑想的な雰囲気。
この作品は、サウスアジア(インド系?)のダンス作品で、アジア的思想を伝え、各作品のイントロになるようなアナウンスが流れていたようです。
ちなみにですが、会場は暗転をしていても完全には暗くならず客席もほんのり明るかったので、アナウンスの最中はgoogle 翻訳のリアルタイム翻訳機能を使用して、テキスト表示して内容を理解していました。周りにも影響が少なかったので、こういう環境で問題が少なそうであればこの後もこうやって少しでも文字情報を入手しながら観劇をしたいと思った。便利。
1つ目の作品
2人組:デュオ
内なる自己との対話を促すアナウンスが流れてから始まる。
2人のダンサーが腕を交錯させたり、互いを突き放したり、関係性を示すような身振りや動作が行われる。1人が床に倒れ、もう1人がその足元に立ち、若干お互いの存在が実像と影のような関係を作る。その後、2人は立ち上がり、腕が複数本あるようないわゆるインド神的なモチーフの形態ができ、その形態的技巧を使った動きが行われて終わる。
形態的表現が中心になっていたように感じ、ダンスにそういった華美的なものを求めていない自分には楽しめる箇所が少なかった。これまで出会ってきた素敵なダンス作品には今目の前で行われていることから、全然別の世界のイメージが広がっていく楽しみを感じていた。からだで表す形の美しさ的なものが中心なものには、なかなか心が動かなかったようだ。
15分程度踊って終了。
2つ目の作品
2人組:デュオ作品
先ほどと1人が違うダンサー。
アナウンスでは誤った選択をした時にもしその選択を直すことができたら、私たちはその選択をどう捉えるか。というようなアナウンスが流れる。
2人のダンサーが2つの椅子を持ち込み座る。舞台の左側、客席にやや近い位置に2つの椅子が並ぶ。2人のダンサーは椅子に座りながらやや気だるそうな印象を表している。若干の沈黙の後、1人のダンサーが話し始める。「タタター、タカタカター、タタタタタータカティカター」もう1人のダンサーが答え「タカティカタタタ、タカティカティカカ、タカティカタタタ」英語、もしくはインド地方の言葉で話しているのかなー?と思ったが、その後も2人のダンサーはリズミカルに先ほどの音に似た言葉を話す。出鱈目言葉で会話をしているらしいとわかる。そのリズムがインド音楽のタブラを演奏しているようなものに感じ、楽しい。また、1つ目の作品のように直接的な身体接触で見せるダンス演劇的な関係性の現れでもなく、音で感じながら作品を楽しめるかも、と期待がふくらんだ。少しすると、2人が険悪な雰囲気になり、椅子から立ち上がり舞台中央付近でお互いを押し合ったり握手をしようとしてしなかったり、といった不仲・不信頼の状況が描かれる。少しすると、なぜかPOP SONGがかかり2人が音楽に合わせて踊る。歌詞の内容は家に帰れない、もう戻れない、などの安息の場所を失ったことが語られている。もしかしたら、この2人のダンサーは親子の役だったのかもしれない。そう言われたら、確かにそうも見えなくないが、年齢差もなさそうに見え、そこら辺は不明だった。おそらくどう見てもいいのだろうとは思うけど。完全に2人の仲が交流不可になったところで照明が暗くなり、タイムワープのような効果音が流れる。2人のダンサーはくるくると回転しながら最初の椅子の位置に戻り座る。どうやら選択のやり直しを描く様子。やはり先ほど話されていた「タタター、タカティカター」などのタブラ的会話が始まる。微妙な違いのためはっきりしなかったが、最初の動きとは違うことがなされているが、一瞬正常な交流が行われるような雰囲気が生まれるも、またも不仲になりPOP SONGで踊り、タイムワープし最初の椅子に座る。3回目もタブラ的会話が始まり、先ほどよりも強く互いが信頼を持っている様子が描かれる。4回目(だったと思う)になって、互いが信頼を獲得して喜びの踊りを踊る。
1作品目に出演していなかったアジア系のダンサーの動きが良かった。手の動きや切り返し、足を伸ばして低くなめらかな体勢からの伸び上がりなどが動きのキレもよく楽しめた。特に、両手首を合わせて手のひらは花が開くように5本指を伸ばしながら、クルクルクルクルと両手を回転させながら腕全体で円を描く動きは素早い技巧を楽しむことができた。
POP SONGとSF的タイムワープが違和感だったが、そんなことは関係ない。
3つ目の作品
トリオ:3人組
1作品目、2作品目に出たダンサー全員が出演する。
舞台奥に3つの椅子が横並びに並ぶ。椅子同士の間隔は人2人通れるくらいの距離が空いている。同じ空間のようでもあるし、もしかしたら別の空間が隣り合わせに置かれているだけかもしれない。椅子はリラックスしやすいように若干リクライニングされている。
そんな椅子のところに3人のダンサーが座る。ダンサーの服装はレトロな映画の中のお嬢さんが着るような白地に紺色の水玉が模様されている。レトロな60’s映画でヒロインが避暑地で来ているような、そんな清潔さというかオシャレを楽しんでいるような風に見える。
3人のダンサーは最初それぞれで椅子に座りながらリラックスしているような動きが行われる。だんだんと動きのシンクロが行われ、3つの椅子が近づき、3人の動きもよりシンクロしてくる。3つの椅子が客席側から奥に向かって並ぶ。それぞれの椅子は舞台右、舞台左に向かって座れるようになり3人のダンサーが座るとベンチに互い違いに座っているようになる。寝椅子のように使ったり、相手の体を椅子の背もたれにしたり、終始リラックスを求めるような、そんな印象が続く。3つの椅子の上を1人のダンサーが歩き、他の2人が椅子をダンサーの歩く先に置き直しながら進む。
最後、3人が並んで座っている真向かいに空白の椅子が置かれる。その誰も座っていない椅子を眺めているとこの作品は終わった。
この作品の始まりにもアナウンスがあったのだけど、今回はあえてアナウンスを文字化しないで鑑賞してみた。
3つの作品が終わってカーテンコールが行われる。
観客の拍手は暖かくスタンディングで迎える人もいた。
終演後はすぐさま退場の時間になる。アンケート用紙などもないので、全員すぐに出ていく。退場口に側に出演者がおり、交流できるようになっていた。「ありがとう」と声をかけて劇場をあとにしました。
身体について感じたこと
ダンサーが入場した時から、体の動きや重心の位置が高く感じました。アジアダンスの動きや形と、体の状態がミスマッチなのではないかな、という印象があり、それは最後まで変わらなかった。
このことは、以前香港でコンテンポラリーダンスを見た時にも感じたものでした。その時のダンスはバレエを基調とした動きの多い内容で、アジア人の中に西洋人と見られる人もいました。彼女の手足の広がりと直線性がバレエを土台にした動きに適しているように感じました。もちろん彼女自身の努力の結果見事な動きが生まれているのだとは思いますが、それでも生活習慣・身体が元々持っている情報や身体感覚なんかを動員するダンス作品において、体の使い方って大事なんだなと、強く感じました。
もちろんあらゆる民族があらゆる文化・芸術を表現することは否定されるものではないと思います。
この作品を見る前にもいくつかのダンス、演劇作品を見ていたのだけど、それらでも記号的な身体操作・演技・観客との関係性が示されていたように感じた。舞台作品には、記号でわかることよりも、体感的に理解できるものに出会いたいと思っている自分にとっては、やや頭を使いながら鑑賞するものが多かった。
もしかしたら言葉がないことで、微妙な機微的なものが感じ取れていない、ということも十分考えられるけど。
今回のダンス観劇は体の使い方、そして情報を伝え方・表現の仕方について考えさせてくれる時間になりました。
2026.8.16|Whale Fall or Song to Dance With My Death/演劇・音楽・ダンス|リカ
●作品情報
作品名:Whale Fall or Song to Dance With My Death
観劇日時:2026年8月16日(日)20:00〜21:10
会場:St Cuthbert’s Church
料金:10£
ジャンル:演劇・音楽・ダンス
制作団体:Bruna Longo
制作国:Brazil
上演時間:1時間10分

――自分自身の葬式に立ち会う
本来観る予定だった公演が休演だったため、宿泊先の近くを歩きながら偶然見つけたのが『Whale Fall or Song to Dance With My Death』だった。
会場は墓地に囲まれた歴史あるSt Cuthbert’s Church。夜、墓地を抜けて教会へ向かうという体験そのものが、すでにこの作品の一部のようだった。
特に印象的だったのは冒頭。観客が教会の横?入口に集まると、一人の女性が現れ、今日は自分の葬式であり、私たちはその参列者なのだと告げる。
死者本人に自分の葬式へ招待される。
この始まり方はとても面白く、墓地と教会という場所とも完璧に合っていた。最高!!!と思って、更に期待感を高めた。
タイトルの「Whale Fall」とは、死んだ鯨が深海へ沈み、その巨大な死骸が長い時間をかけてさまざまな生物の命を支える生態系を生み出す現象を指す。「死」が単なる終わりではなく、別の生命へとつながっていく。ポスターのイメージ自体がとても美しく、詩的だと思った。
実際の作品は、Bruna Longo自身の父親の死をきっかけにつくられたもので、独白、音楽、歌、身体表現を組み合わせながら、死や喪失、そして現代社会が死を遠ざけていることについて考えていく作品だった。(エジンバラフェスティバルフリンジ)
空間と音楽はとても良かった。教会の奥へ進み、階段を上がった先に現れる静かで神聖な空間も、このテーマに非常によく合っている。
一方で、作品そのものには入りきれなかった。なぜか最初から、演者は「死んだ自分」を演じながら、時折そこから抜け出し、「もちろん私は実際にはまだ死んでいない」と作者本人の視点に戻る。この虚構と現実の往復に意図があることは分かるが、私にはむしろそのたびに作品世界から引き戻される感覚があった。
また途中、コロナで身近な人を亡くした観客に手を挙げてもらう場面があった。その問い自体重いものだと思う。しかし、その後の展開とのつながりを十分に感じられず、よくないだろう…?!と思った。
自分が死んだ後、自分自身の死を悼むことはできない。だから、生きているうちに自分の葬式を想像してみる。 その出発点はとても興味深いし、墓地、教会、音楽、そしてWhale Fallという美しいメタファー。個々の要素にはとても惹かれたので、残念と思った。でも、自分ならこうするとか、考えながら観てたので、いつなこのセッティングで舞台作りたいと思うきっかけをくれたのは感謝。
2026.8.17|The breakfast club/コメディ|リカ
●作品情報
作品名:The breakfast club – Free fringe
観劇日時:2026年8月17日(月)10:40〜11:35
会場:The City Cafe
料金:無料(投げ銭)
ジャンル:コメディ
制作団体:Ben Ashurst
制作国:England
上演時間:55分

朝10時40分、City Gateの小さなカラオケボックス部屋で観たPay What You Canのコメディ・ショーケース。
ホスト+4人のコメディアンが、それぞれ10分ほどの持ち時間で次々と登場する。人種や自分のルーツ、セクシュアリティをネタにしたスタンドアップから、最後は自作の曲を歌うミュージカル・コメディまで、短時間ながらかなりバラエティ豊か。
特に印象に残ったのはホスト。開演前から観客に出身地などを気軽に聞き、その会話を自然に自分のネタにつなげていく。最大30人という(本当に30人入れるのか疑いたくなるほど)小さな空間だからこそ、観客との距離の近さがうまく活きていた。
みなさんのネタあんまり覚えていないが、最後の女性によるミュージカル・コメディも強烈で、最初の曲からテーマは「女性はウンコをしない」は意外とノリが良いいい曲でした。
軽い気持ちで入った朝の一本だったが、客席の反応もよかった。Pay What You Canなので最初は£5〜10くらいと思っていたものの、5人のパフォーマーを観たことを考えて、葵は£20だと…
2026.8.18|Ihsan/ダンス|二宮聡
●作品情報
作品名:Ihsan
観劇日時:2026年8月18日(火)19:30〜21:10
会場:エディンバラ・フェスティバル・シアター
料金:10£(TENONTHEDAY=当日券割引)
ジャンル:ダンス
制作団体:Ballet du Grand Théâtre de Genève
制作国:スイス
上演時間:約1時間40分

この作品を見ている間、私たち観客も喪に服しているのだろうか。
地球上様々な場所が戦時下である今(世界中至る所が平和である時代など、これまでもこれからもあるのか怪しいとも思うが)、一個人の死は小事として扱われることも少なくない。恥ずかしながら、本作のタイトルになっている方のことを私は存じ上げなかった。それでも、一人の死が作品化され観客に問われ、劇場全体――社会の中の決して少なくはない人々――が「喪に服す」ことが、こうした作品によって可能になるのだと知り、深く感動した。
殺害されるシーンのダンスは、暴力的・残虐なシーンが注釈付きで放映されるドキュメンタリーと同じように、痛みと悲しみを私の中に充満させた。
以降、舞台はずっと美しさと静けさに満ちた一定のテンションを保ち続ける。これが「喪の作業」なのだろう。かの宗教・文化における儀礼がどのようなものか私は知らないが、苛烈に泣き叫ぶようなものとは違うのだろうと想像している。
カーテンコールでのスタンディングオベーションと万雷の拍手によって喪が明けたわけでもない。この作品を、そして「作品の名」という場所が捧げられたその人を、思い返すたびに少しの間喪に服すことが、これからもしばらく続くのだろう。そう思うと、本作品の力強さを改めて感じる。
2026.8.18|Ihsan/ダンス|FU JUNG
●作品情報
作品名:Ihsan
観劇日時:2026年8月18日(火)19:30〜21:10
会場:エディンバラ・フェスティバル・シアター
料金:10£(TENONTHEDAY=当日券割引)
ジャンル:ダンス
制作団体:Ballet du Grand Théâtre de Genève
制作国:スイス
上演時間:約1時間40分

現代コンテンポラリーダンス界の重鎮振付家、シディ・ラルビ・シェルカウイ(Sidi Larbi Cherkaoui)による2024年の作品。「Ihsane」はアラビア語で「善意」「慈悲」「美德」を意味し、イスラム文化においては宇宙との調和的なつながりを表す理想的な状態も指します。
このダンス作品は、まさにマジックリアリズムそのものでした。ダンサーの身体表現に加え、舞台装置、照明、生歌、生演奏が一体となり、五感で感じる空間や時空のすべてが変容していくようでした。まるで歪められ、凝縮され、蒸発し、拡大し、縮小していく感覚です。目の前にあるのは間違いなく物理的な現実世界なのに、身体的な感覚としてはSFのようでした。タイムトンネルやワームホールに入り込んで歪み伸び縮みし、元の場所に戻ってきたようでありながら、実は以前とはまったく違う世界になっている——そんな日常の経験を超えた不思議な感覚に包まれました。
観客と同じ空間でアラビア語の発音を教えるところから始まり、身体が言語の記号となって、まるで巨大なスクリーンのように文字が一つひとつ目の前で躍動します。そして扉が開いた瞬間、完全に別の国へと引き込まれました。舞台の後方から響くアラビア語の吟誦と音楽が、客席と魔幻的な舞台を挟んで向かい合い、まるで大きな川を隔てて遠く見つめ合っているようでした。
変化し続ける舞台美術は一瞬で映画のワンシーンのように切り替わり、しかも映画以上にリアルな存在感をもって目の前に迫ります。ダンサーたちが手元でお茶を注ぎ合う茶器やトレーは、床に置かれてスポットライトを浴びた瞬間、黄金に輝く照明器具へと変貌します。幾何学模様のじゅうたんは、ダンサーがその下に潜り込むと幾重もの砂丘となり、巻き上げられて運ばれる時には物言わぬ遺体へと姿を変えます。ゆったりとした長いフリンジの衣装の下には、ダンサー一人ひとりの肌の色にぴったりと合わせたタイツが仕込まれており、誰もが全裸以上に純粋な肉体を現出させていました。身体を乗せた巨大な白い立方体が上空へと昇っていく様は、死からの再生を思わせます。立方体から流れる砂のように刻一刻と時間が過ぎ去り、人間の肉体もまた最後には塵へと帰っていくのです。
言葉は極めて少なく、動きによる説明や解説も一切ありません。それなのに、感情やメッセージがストレートに伝わり、心に響いてきました。前半ではアラビア文化の豊かさが色鮮やかに描かれ、後半では失われた生命を悼む儀式のような時間が紡がれます。休憩なしの1時間半、想像を遥かに超える幻想的な旅をフルに体感しました。土地や文化、アイデンティティ、そして生者と死者への深く切実な想いが胸に迫り、この作品に出会えたことに心から感謝の気持ちでいっぱいです。
2026.8.18|Ihsan/ダンス|山田恵理香
●作品情報
作品名:Ihsan
観劇日時:2026年8月18日(火)19:30〜21:10
会場:エディンバラ・フェスティバル・シアター
料金:10£(TENONTHEDAY=当日券割引)
ジャンル:ダンス
制作団体:Ballet du Grand Théâtre de Genève
制作国:スイス
上演時間:約1時間40分

重厚で歴史を感じる劇場で観劇した。観劇や行いやすい良い設計の空間。ビールやスナックを片手に幅広い人種の観客が集まっている。
冒頭は、教室のようなセットに自由でラフな服装の15名程度のダンサーがいる。
ダンス作品のオープンングとしては珍しいラフな演出で、観客との掛け合いも楽しい。
作品は徐々に追い詰められていう人間の様子がダンスで描かれて行く。
映像の使い方もよく、観客の想像力を程度にサポートいている。
映像の使い方、照明の使い方、舞台セットなど、全てにおいて、格好つけすぎておらず、微妙なラインでの選択に演出の新しさを感じた。
カーペットの使い方が面白かったし、大劇場の空間演出が秀逸。
ラストの場面で上空から降らせているものが、前列座った観客から砂であると聞いて、作品内で砂が象徴的モチーフで使われて履いたが、水ではなく砂を降らせることができる、スタッフワークのレベルの高さや芸術に対する懐の深さ、表現の自由さを支える劇場の思想にヨーロッパの現代舞台芸術の歴史の長さを目の当たりにした。
2026.8.18|Ihsan/ダンス|石田聖也
●作品情報
作品名:Ihsan
観劇日時:2026年8月18日(火)19:30〜21:10
会場:エディンバラ・フェスティバル・シアター
料金:10£(TENONTHEDAY=当日券割引)
ジャンル:ダンス
制作団体:Ballet du Grand Théâtre de Genève
制作国:スイス
上演時間:約1時間40分

(8月18日の旅行記より抜粋)
今日の夜はついに、エディンバラ演劇祭の総本山、Edinburgh Theatreにてダンス作品の観劇。この時期、エディンバラで行われている演劇祭にはいくつか種類がある。一つはEdinburgh International Festival。いわゆる世界から招聘された一流の舞台芸術作品が観れる演劇祭だ。そして我々が参加しているFringe Festival。これは世界中から誰でもエントリーして参加することができる演劇祭。エディンバラの中で三千演目以上が参加する。これはinternationalの方に対抗して、自分たちにもやらせろ、といった具合で始まったのだそうだ。そしてもう一つが、フリーと呼ばれるもの。これはさらに、フリンジへの参加ハードルが高まったことで生まれたものらしい。カウンター的に始まった演劇祭へのさらなるカウンターとして始まった演劇祭があるというのも、かなり興味深い。
というわけで、その中で恐らくもっとも注目されているであろう演目の一つ、「IHSANE」をこれから観劇。振付はSidi Larbi Cherkaoui、北アフリカ・中東の世界観をベースに、ベルギーで殺害されたゲイのモロッコ人男性の実話を元に、暴力と迫害の連鎖に立ち向かう繋がりの物語を、ダンスと名前演奏で立ち上げる。
当然劇場は超満員。伝統と格式の高さを感じさせる劇場空間。入り口では持ち物チェックも入る徹底ぶり。これほどの期待感を持って客席に座るのはいつぶりだろうか。影アナが入り、客電が落ちていく。やがて緞帳が上がり開演。
OPはこちらの高まった期待感とは裏腹に、とある学校での外国語のリラックスした授業風景から始まる。適度に観客との絡みもありながら、時より笑いに包まれる。ダンサーたちは文字を振付とした踊り踊っている。それにしても訓練された身体表現、無駄がなくしなやかだ。その後セットは解体され、世界は奥行きを持ち広がっていく。
本作全体として印象に残ったのは、演出的な道具の捌き、スタッフワークのなめらかさであった。モチーフ(或いは象徴物)として登場する銀の皿、絨毯、砂、花、映像、白幕など、どれをとっても無駄が少なく、見事空間的なイメージの広がりを持っている。しかもそれらに頑張って見せようとしている感がまるでない。日本でこのキャパの商業作品を見る時に感じる、なんとか風景を変えようとしている演出家の手つきをまるで感じないのだ。勿論これは良い意味だ。やたら忙しくなくセットを転換させ、映像を多様し、音楽を鳴らし、技術を魅せんと体は騒々しく動き続ける。そういった努力は時に、かえって劇場という箱の存在感を強調していることがあるように思う。しかしこの作品は違う。劇場の壁は透過し、境界が溶け、空間はどこまでも奥行きを持って広がって行く。世界はいつの間にかそこにある。作り手のエゴが消え、観客とのシンプルな関係が想像力という魔法を持つ。
初めの具象的かつ局所的な場面から、気がつけば、現実空間と精神世界があまりにも当たり前に共存する秩序を目の当たりにし、異国の風景と死後の世界の中で、観客はお決まりのヒューマニズム、疲れ切ったリベラリズムにはない、世界の本当の姿を発見するのである。
あえて言葉にしておくならば、この舞台は論理と感性の先にある真の世界の姿を表現する、傑作である。
2026.8.18|Ihsan/ダンス|五味伸之
●作品情報
作品名:Ihsan
観劇日時:2026年8月18日(火)19:30〜21:10
会場:エディンバラ・フェスティバル・シアター
料金:10£(TENONTHEDAY=当日券割引)
ジャンル:ダンス
制作団体:Ballet du Grand Théâtre de Genève
制作国:スイス
上演時間:約1時間40分

冒頭。宗教施設。穏やかな雰囲気。いや、若干威圧的か。談笑している人たちのところに、ひとりやってくる。棒を持っていて、壁に文字を書く。文字を書いた人が指示を出すと人々が秩序を持ってその文字の方に向かう。文字を声にする。復唱するに促す。全員が復唱する。それらの繰り返しの中で、客席へも復唱を促す。なごやかな雰囲気。コンテンポラリーダンスでこんなにおだやかで、会話をするようにはじまるなんて。(いや、実際に復唱しているので会話的交流があるのだけど、それよりもこの空気感がすごい)
それら言葉の繰り返しの中で、ひとりだけ発音が適切ではないということで棒で体を突かれる。笑いが生まれるが少しの違和感。その繰り返しと増幅。
いつのまにか、全員が綺麗に整列し客席に向かう。腕と手が複雑な文字を描くように綺麗に動く。美しい。
少しして一人を残して全員が退場する。
ここから幾人かのソロパートが行われる。踊りながら彼らの物語が徐々に浮かび上がってくる。
2人で行われた拷問の場面は美しく仕上がっているが、強烈な身体の硬直が凄まじい。決して肉体の接触はない中で激しく素速く縛り上げたり、投げられたり、蹴飛ばされたり。
いつの間にか場面が展開していく。
振り付けとはこういうことなのか。と、舞台を観ながら驚いた。腑に落ちた。目が覚めるようだった。
沈黙、躊躇い、支え合い、といった抽象的なことから、水を汲むといった日常的動作も1人、2人、複数人とさまざまなバリエーションで描く。踊りで描くテーマが動きによって多様な広がりを持って浮かび上がってくる。
ラストシーンでは、小さな箱のような(宗教的葬送儀式が行われる箱が上空から降りてくる。その箱の中心に光が揺らいでいる。その中にひとりの死者を横たえるために、ダンサーたちが螺旋状に列になりながら入っていく。中心の光で照らされた人々の影が何人もの揺らぎとなって現れてくる。やがて儀式の箱が空中に浮かんでいくのと同時に死者が砂に変わって舞台に落下していく演出は美しく息をのんだ。
個人的に好きだったのは、羊役のダンサーを皿に乗せて動く場面。皿に手足が乗って浮かび上がったり、皿の向きが変わって視点が動かされたりとユニークで引き込まれた。最後羊の首が切られ血が噴き出るところまであるのだが、美しさと合わさって実に印象的だった。
Edinburgh International Festivalで上演された作品。
なんと当日券なら10£で鑑賞できた。すごい。お得だ。
2026.8.19|Peregrinations/人形劇・仮面劇|五味伸之
●作品情報
作品名:Peregrinations
観劇日時:2026年8月19日(水)11:25〜12:25
会場:Central
料金:14£
ジャンル:人形劇・仮面劇
制作団体:Dutch Kills Theater Company
制作国:United States
上演時間:1時間

舞台を彩る「白い紙」と、そこに込められた『可能性』
●観劇の理由
渡航前にメンバーそれぞれが気になる演目を共有していました。そして、「特にこれを見たい!」というものは事前に連絡をして、みんなで見にいきましょう。と話していました。
この作品は僕が見てみたいと思っていた作品です。
演目のメインビジュアルはジャック・ルコックの詩を生む身体の抽象仮面の様子や色彩の幻想的な感じが質の高い繊細な人形劇・仮面劇が見れるんじゃないかなと期待を持っていました。
チケットは前日にみんなで劇場受付に行き直接購入しました。会場も確認し準備万端。
当日の客席は7割ほど埋まっており、観客の温かい雰囲気に包まれながら開演を迎えました。
●作品内容
オリジナルの楽曲に乗せて届ける、仮面・身体表現・人形劇による力強いノンバーバル(言葉のない)舞台作品。アメリカにおける立ち退きや移民危機の問題に迫ります。
国境を越えて集まったキャストたちのインタビューや実体験から生まれた本作は、仮面や人形、そして詩的な動きを駆使し、国境越え、亡命、自分の居場所を探す旅、そして他者によって作られる壁を鮮やかに描き出します。
移民への風当たりが強まる今、この圧倒的なビジュアルパフォーマンスは単なるニュースの枠を超え、勇気や喪失、そして力強く生き抜く人々の深いドラマを浮き彫りにします。切実でありながらも寄り添うような視点で、移民によって作られてきたこの国における「移住」「記憶」「思いやり」について、観客に静かな問いを投げかけています。
●感想
舞台は、出演者たちが両手に持った「折りたたまれた白い紙」から始まります。その紙は白い鳥のようにワッサー、ワッサーと舞い、重なり合い、離れながら、詩的な空間を作り出していきます。
作品の中では主に3つの人生ドラマが平行して描かれていきます。
・シングルファザーの苦悩と仕事
・国を脱出しようとする移民のシングルマザー
・部屋に閉じこもり、勉強や絵に没頭する少年
全体を通して「白い紙」という素材がキーアイテムとして使われており、シングルファザーの場面ではビジネスのトランクに、移民の場面ではトラックに、そして少年の場面では様々な表情に変幻自在に変化していきます。
観ながら深く感じたのは、「白い紙」は彼らにとっての『可能性』の象徴ではないか、ということです。
登場人物は概ね仮面をかぶっているのですが、メインの人物の物語を描くパートに入ると、メインキャラクターだけが仮面を外して素顔を晒します。
素顔と人形たちが交流を持ちながら物語が展開していきます。
特に心が強く揺さぶられたのは、部屋に閉じこもる少年のシーンでした。
床には3×3の「9枚のパネル」が敷かれ、その中心に少年がいます。物語が進むにつれて、そのパネルが1枚、また1枚と取り去られていき、最終的に少年が立つ場所は「たった1枚のパネル」になりました。少年の世界がどんどん狭まっていく切なさが、視覚的に鮮烈に表現されていました。
その窮地の中で、母親が外を見ると、かつて宙を舞っていた「可能性の象徴である白い鳥」が飛んでいる。母親がそれを掴み取り、自分たちに残された唯一の可能性として少年へと手渡します。そして、それを受け取った少年が外の世界へと一歩を踏み出し、お母さんは静かに姿を消していく——。
この一連の流れと感情のドラマには、思わずぐっと引き込まれるものがありました。
作品全体としては、手作りのフィリップ・ジャンティのような、人生の陰影や喜びを表現しようとする手作り感のあるアプローチでした。モノの扱いや表現の精度という面では、少しゆるやかで発展途上の部分も感じられましたが、遊び心も満載で、最後まで楽しく観賞しました。
2026.8.19|Brrr/体験型演劇|五味伸之
●作品情報
作品名:Brrr
観劇日時:2026年8月19日(水)10:30〜11:30
会場:Great Hall at Nicolson Square Venues
料金:20£(大人2人+1こども1人)
ジャンル:体験型演劇
制作団体:Hayley Earlam(個人・ダンサー)
制作国:Scotland
上演時間:約1時間

とってもよかった。
繊細で優しく、安全を作り上げる空間。
舞台はかまくらのような、雪で包まれた会場。
と書いていますが、実際に建物の中に空気で膨らませているやわらかな感触のドームを作り、その中に観客が入場します。
劇場内にはソファが周縁に置かれていて観客は全員そのソファに座って鑑賞する。鑑賞するというか、さまざまな感覚刺激を受ける。
「CHILDREN’S SHOWS=こども向け作品」とあるが、十分大人でも楽しめるのはもちろん、子供を連れてきている親も大満足するだろうと思う。
自分はこの日、会場に間に合わなかった。
エディンバラフリンジフェスティバルはアプリで各公演を調べ、チケットの購入まで行うことができる。この公演もアプリで調べて地図アプリに連携して会場を目指した。徒歩で30分。バスだと15分。歩いても間に合うけど、今日は余裕を持ってバスで行くことにした。バスに乗って少しして感じた。「明らかに遅れている」このままいくと歩いていくよりも遅れる。エディンバラのバス停の感覚は結構広く、1つ1つの間が7分程度ある。そのため、途中で降りようにも降りれない。また、途中で降りてから歩いたのでは決して間に合わない。バスの遅れが改善されることを願いながら座席に座る。歩くのと同じくらいの時間で会場周辺に着いた。しかし、アプリで指示している場所は全てしまっており、どこに行ったらいいのか周りを行き交う人にさまざま尋ねた。清掃員のおじさんが「地図で示しているのはここだよ」と伝えてくれ、そのまま周辺を探したが会場が見つからない。その後も何人もの人に声をかけて探した。雨も強く降ってきて、行き先もわからないし、なんとも悲しい気持ちになってきた。
それを見かねた最初の清掃員が詳しく地図アプリを見てくれて、「この公演はこっちかもね」と言ってくれた。進んでいくと確かにあった。会場の外に朗らかな笑顔が特徴的な受付スタッフが2名おり、遅刻したことを伝え、またチケットはまだ入手していないことを伝えた。今から見ることができるだろうか。
答えはNOだった。「今すでに大人が8名入っています。今からは入場できません。」見れない、そうか、残念。バスも遅れ、雨にうたれ、うくく、、悲しい。少しして彼女が「ライブビデオを見ることができます。」と伝えてくれた。「5分待ってください」ありがとう!ありったけの笑顔で感謝を伝え会場外で待った。幸い雨も上がってきた。彼女は建物の中に入って行った。それについて建物の中に入り、劇場のあたりに進む。「ここで見てください」と席を用意してくれた。会場の上空か撮影している様子がライブ映像で見ることができた。
この作品はディスアビリティのあるこども向けの体験型演劇だ。建物外のライブ映像も、きっと中に入ることが困難な時を想定して準備していたんだろう。
映像を見ながら、感じたことをメモしながら見る。案外、劇場の中で体験するのよりも別の刺激が多く得られたんじゃないだろうか。
白い空間、雪、かまくらのような場所。
上から地面に向かってプロジェクターから映像が投影されている。映像は色とりどりのグラデーションが絶えずゆっくりと変化している。その光と色彩の刺激もここちよい。
ボールをコロコロ触っている。ボールは雪玉のようだ。その場にいる人はボールの存在を知る。ボール=雪玉は観客の肌にも触れながら、コロコロと転がる。
やがて1人のパフォーマーが四つん這いで歩き出す。その背中に雪玉が乗っていく。まるで幻想的な生き物の背びれのような形態へと変わっていく。
少しするとベルの音が響く。ベルの響きが身体化されたようにパフォーマー3人が動く。音の感覚を視覚的に空間的にあらわされている。
光が変わる。青く、白く。
蛇腹型の両手で動かすことのできるライトが登場する。観客の目の前で閉じた光が蛇腹が開くのと同時に広がっていく。目の前に闇と光が現れる。
音がふくらみ、光がひろがる。
だんだんと薄闇に変わる。
巨大なホースが登場する。
3人のパフォーマーが体に巻き付ける。時に止まり、そのホースが伸び縮みする。3人のうち1人がホースを全身に巻き付けて退場する。
その時!
かまくらの会場から外に出てきたパフォーマーがライブ映像の前を通りました。
彼はとても優しい笑顔でこちらに挨拶してくれました。幸せな気持ち。パフォーマンスを作品というよりも、共におだやかに過ごす時間を作り上げているんだと感じた。
その後彼がかまくらに戻り、色彩が大きく変化する。
ボール=雪玉が再び登場し、壁には雪玉の落下映像が出てきた。空間に再び雪の寒さが訪れる。同時に、毛皮を着たパフォーマーが現れる。その毛皮の感触を観客にも体験してもらう。なでてもらったり、時に毛皮でやわらかくなでたりする。
コードレス・両手で持てる扇風機が登場し、風が巻き起こる。銀の紙吹雪も現れ、かまくらの中全部が吹雪になる。
ボール、雪、紙吹雪、ひとつずつを集めながら、2色の空間へ変化する。2つの色が追いかけっこするように回り始める。
最後、3人のパフォーマーが横になる。その上に静かな雪が降ってくる。
終演後、会場の中に案内してくれた。
自分が感じた喜びと感謝を最大限伝えた。
そして振付・演出のHayley Earlamさんと話すことができた。「なぜ雪を選んだんですか?」と尋ねると、エディンバラは雪がよく降る。そして、その雪の時期にはクリスマスや新年やさまざまなイベントごとがある。その時期は、リラックスして、そしてパワフルな時間を過ごすことができる。と話した。
この作品はまさしくイメージしたように、リラックスして、パワフルな時間を過ごすことができる素晴らしい体験だった。
日本での上演の話もきている。と言っていたので、いつか日本でも体験できるかもしれない。
2026.8.19|YOAH/ダンス・サーカス|Misato
●作品情報
作品名:YOAH
観劇日時:2026年8月19日(水)20:40〜21:40
会場:The Lafayette at Underbelly’s Circus Hub on the Meadows
料金:19.5£
ジャンル:ダンス・サーカス
制作団体:Underbelly, Cirquework and Cluster Arts
制作国:Japan
上演時間:1時間

久しぶりのサーカス。10年ぶりくらいかもしれない。
前日の領事館イベント「The Fringe Japan」の共同楽屋で仲良くなったアーティストさんが、サーカスと何かを融合させた新しいショーを作りたいと思って活動していますというような話をされていたので、サーカスと呼んでいいのか分からないが、何か人並み外れたパフォーマンスが目の前で繰り広げられることになるのは間違いなさそうだと、少しワクワクしながら会場へ向かった。
大きなテントの中に客席が組まれていて、舞台エリアを囲むように、正面、右、左、と三方に客席ブロックが配置されている。プロジェクションマッピングは正面からが一番観やすいと聞いて、正面のブロックに座った。
始まりは、光や布の動きと覆面のパフォーマーさんたちの無言の演技で、ストーリーの序章のようなものが伝わってくる。エアリアル・パフォーマーさんの美しい動きから眼が離せない。柔軟性がすごい。
そして、プロジェクションマッピングと独楽回し(ディアボロ)で幻想的なシーンの後に、空中ブランコが始まった。それまでの演目と違い、「危ないからやらなくていいよ」という気持ちが大きくなり、なぜ自分はサーカスをあまり観に行かないかを思い出した。緊張感が得意ではないのだ。でも無事にパフォーマンスが終わり、次の演目へと続いた。
サーカスにピエロは付きものなようだ。笑いを誘う表情のパフォーマーが出てきて、観客席を歩き回って観客いじりをして会場を笑わせた。面白かったのは、ピエロ役だと思っていたそのパフォーマーが、その後舞台の方に進んで、ジャグリングを始めたことだ。ボールを何個も上手にジャグリングする様子に拍手が止まらない。
その後、椅子を何脚も積み上げていった上で逆立ちをしたり、複数人で独楽回し(ディアボロ)をしたりと、たくさんの芸が繰り広げられていく。独楽回し(ディアボロ)は4個を同時に回すパフォーマンスが失敗したようで、何度も「もう一回!」とチャレンジしていたが、私の目にはそれすら失敗には見えなかった。常人が簡単にできることではない。うまくいけ!…あー、ざんねんッ!と、会場全体に広がった応援の空気を味わえるのも、舞台鑑賞の醍醐味である。
それにしても印象的だったのは、エアリアルや床でのパフォーマンスをしていた女性パフォーマーさんのすごい柔軟性だ。人の身体の可動域の広さを知った。私も帰国したら柔軟性をもっと高めよう、、、そんなことを考えながら会場を後にした。
2026.8.20|Peregrinations/人形劇・仮面劇|五味伸之
●作品情報
作品名:Peregrinations
観劇日時:2026年8月20日(木)11:25〜12:25
会場:Central
料金:14£
ジャンル:人形劇・仮面劇
制作団体:Dutch Kills Theater Company
制作国:United States
上演時間:1時間

舞台を彩る「白い紙」と、そこに込められた『可能性』
●観劇の理由
渡航前にメンバーそれぞれが気になる演目を共有していました。そして、「特にこれを見たい!」というものは事前に連絡をして、みんなで見にいきましょう。と話していました。
この作品は僕が見てみたいと思っていた作品です。
演目のメインビジュアルはジャック・ルコックの詩を生む身体の抽象仮面の様子や色彩の幻想的な感じが質の高い繊細な人形劇・仮面劇が見れるんじゃないかなと期待を持っていました。
チケットは前日にみんなで劇場受付に行き直接購入しました。会場も確認し準備万端。
当日の客席は7割ほど埋まっており、観客の温かい雰囲気に包まれながら開演を迎えました。
●作品内容
オリジナルの楽曲に乗せて届ける、仮面・身体表現・人形劇による力強いノンバーバル(言葉のない)舞台作品。アメリカにおける立ち退きや移民危機の問題に迫ります。
国境を越えて集まったキャストたちのインタビューや実体験から生まれた本作は、仮面や人形、そして詩的な動きを駆使し、国境越え、亡命、自分の居場所を探す旅、そして他者によって作られる壁を鮮やかに描き出します。
移民への風当たりが強まる今、この圧倒的なビジュアルパフォーマンスは単なるニュースの枠を超え、勇気や喪失、そして力強く生き抜く人々の深いドラマを浮き彫りにします。切実でありながらも寄り添うような視点で、移民によって作られてきたこの国における「移住」「記憶」「思いやり」について、観客に静かな問いを投げかけています。
●感想
舞台は、出演者たちが両手に持った「折りたたまれた白い紙」から始まります。その紙は白い鳥のようにワッサー、ワッサーと舞い、重なり合い、離れながら、詩的な空間を作り出していきます。
作品の中では主に3つの人生ドラマが平行して描かれていきます。
・シングルファザーの苦悩と仕事
・国を脱出しようとする移民のシングルマザー
・部屋に閉じこもり、勉強や絵に没頭する少年
全体を通して「白い紙」という素材がキーアイテムとして使われており、シングルファザーの場面ではビジネスのトランクに、移民の場面ではトラックに、そして少年の場面では様々な表情に変幻自在に変化していきます。
観ながら深く感じたのは、「白い紙」は彼らにとっての『可能性』の象徴ではないか、ということです。
登場人物は概ね仮面をかぶっているのですが、メインの人物の物語を描くパートに入ると、メインキャラクターだけが仮面を外して素顔を晒します。
素顔と人形たちが交流を持ちながら物語が展開していきます。
特に心が強く揺さぶられたのは、部屋に閉じこもる少年のシーンでした。
床には3×3の「9枚のパネル」が敷かれ、その中心に少年がいます。物語が進むにつれて、そのパネルが1枚、また1枚と取り去られていき、最終的に少年が立つ場所は「たった1枚のパネル」になりました。少年の世界がどんどん狭まっていく切なさが、視覚的に鮮烈に表現されていました。
その窮地の中で、母親が外を見ると、かつて宙を舞っていた「可能性の象徴である白い鳥」が飛んでいる。母親がそれを掴み取り、自分たちに残された唯一の可能性として少年へと手渡します。そして、それを受け取った少年が外の世界へと一歩を踏み出し、お母さんは静かに姿を消していく——。
この一連の流れと感情のドラマには、思わずぐっと引き込まれるものがありました。
作品全体としては、手作りのフィリップ・ジャンティのような、人生の陰影や喜びを表現しようとする手作り感のあるアプローチでした。モノの扱いや表現の精度という面では、少しゆるやかで発展途上の部分も感じられましたが、遊び心も満載で、最後まで楽しく観賞しました。
2026.8.20|Peregrinations/人形劇・仮面劇|石田聖也
●作品情報
作品名:Peregrinations
観劇日時:2026年8月20日(木)11:25〜12:25
会場:Central
料金:14£
ジャンル:人形劇・仮面劇
制作団体:Dutch Kills Theater Company
制作国:United States
上演時間:1時間

(8月20日の旅行記より抜粋)
劇場に到着するとすでに列ができており、まさきちが既に並んでいる。自分も後ろに並ぶと、スタッフのお姉さんがQRコードを読み取ってくれる。QRは購入した段階でfringeのHPでも表示できるし、登録したメールアドレスにも送られてくるシステムになっていて、慣れれば便利。体感として、福岡の小劇場などでは未だにフォームに予約を入れて当日精算現金のみ、みたいなのが多い。かくいう自分のカンパニーもそうである。これを機にシステムを見直すのも良いだろう。
中はやはり横に広いというよりは、縦に長い空間となっていて、客席がずっと後ろまで続いている。客席は前方の方に集中している。こちらの劇場が縦に長いのが多いのは、おそらく普段は協会として使用されているからだと思う。現にここの劇場の後方にも、大きな絵画が飾られていたりもする。舞台上手の奥にはオペブースが剥き出しの状態で置かれていて、おそらく音響の女性が一人座っていた。
開演。パフォーマーたちが白い紙を鳥に見立てて登場する。鳥たちは隊列をなして飛んでいる。本作では基本的な美術は白い紙や板である。それらを鳥に見立てたり、鞄として使ったり、折り紙にしてみたり、文字を書いたり、人形にしたりと、様々な表現を展開していく。良い意味で手作り感のある演出。疑問点としては、なぜ演出家はこのようなスタイルを選んだのか今一つ見えてこないところかもしれない。ツアーや旅公演であることも考えると、当然の選択なのだろうし、そういった表現の可能性を信じているのだとも思う。
後でみんなの感想を聞く限り、どうも物語の主題は移民問題のようである。アメリカから来たカンパニーなので、そういった問題と近距離で接しているのもわかる。勿論、台詞はなくサイレントなので、観客はそこから言葉や感情を読み取ろうとする。ただ、この作品の方法意識と作品が内包する思想性、そのどれもが密接であるとはあまり思わない、というのが私の正直な感想だった。演劇を総合芸術として考えた時、一つの音、一つの明かり、一つの体、それらを関係性の中で舞台上に置く時、そこには必然性や着地するための足並みのようなものが必要だ。そういった劇全体の、表現全体に対する無自覚な領域がまだ残されていると思った。厳しい言い方をすれば、パフォーマーの身体も、ダンサーとしては弱く、俳優としては内面や関係に希薄だったと感じる。
とはいえ、決して退屈だったというわけでもなく、終始観客を楽しませる工夫に満ちており、最後までしっかり鑑賞することができたように思う。
2026.8.20|Apples in winter/演劇|リカ
●作品情報
作品名:Apples in winter
観劇日時:2026年8月20日(木)10:30〜11:40
会場:paradise in the vault
料金:14£(同劇場使用割引で無料)
ジャンル:演劇
制作団体:LynchPin Theatre
制作国:England
上演時間:約1時間10分

―—母は、息子の罪をどこまで背負うのか
何の予備知識も持たず、タイトルだけを知って劇場に入った。台本と役者がよかった。
舞台にあるのはキッチン。そして、一人の女性。約90分の一人芝居『Apples in Winter』。女性はアップルパイを作りながら、材料を揃え、生地を作り、その手順を私たちに語っていく。細かいところ、例えばプラスチックのナイフ気になるが後々理由わかるようになる。
その何気ない言葉の間に、少しずつ何かあったか分かってくる。夫のこと、親戚や友人のこと、そして息子のこと。
彼女の息子は二人の若者を殺した。死刑囚として長い年月を過ごし、まもなく刑が執行される。そして母親がいま作っているアップルパイは、息子が望んだ「最後の食事」なのだ。
そして、この作品が突きつけてくるのは、単純な「母の無条件の愛」だけではないように思う。
彼女の息子が犯した罪は消えない。二人の命が奪われたという事実も変わらない。母親自身も、それを否定しているわけではない。それでも、死刑になる人間は彼女にとって自分の息子であり続ける。
愛していることと、許すことは同じなのか。
息子を失うことを悲しむことと、息子の罪を認めることは両立するのか。
印象に残ったのは、犯罪によって傷つく人間を「被害者」と「加害者」という二つのカテゴリーだけでは捉えられないということだった。
加害者には家族がいる。
彼らは犯罪を犯していない。それでも、その瞬間から人生を変えられてしまう。愛する人間が誰かの命を奪ったという事実を抱えながら、その人間を愛し続けることになる。
本作が見つめるのは、そうした犯罪の「もう一つの被害者」の存在である。
そして観ながら、もう一つの問いが頭から離れなかった。
子どもが取り返しのつかないことをしたとき、親はどこまで責任を負うのだろう。
人がどのような人間になるかを考えるとき、私たちはしばしば家庭環境や親の教育に理由を求める。本作を観ていても、父親を含めた家庭のあり方が息子に与えた影響について考えずにはいられない。
しかし同時に、一人の人間の人生を家庭だけで説明することもできない。
親の影響、本人の選択、周囲の人間、社会、そして無数の偶然。人生はそれらが複雑に重なった結果であり、「あのとき、こうしていれば」という一つの原因に還元することはできない。
親は子どもの人生に大きな影響を与える。しかし、子どもの人生のすべてを決定することはできない。
その当たり前でありながら残酷な事実が、この母親がアップルパイを作り続ける姿から浮かび上がってくる。
演技は、この複雑さを90分間ほぼ一人で支える力を持っていた。大掛かりな仕掛けに頼らず、料理という具体的な行為を続けながら、何気ない会話や記憶の断片から徐々に物語の深部へ観客を連れていく。途中から涙を抑えられなかった(感動しやすい体質であるが)
一方、照明はよくないなーと思った。
場面や心理の変化に合わせて色や状態を変える意図は理解できるものの、明確ではないし、その変化の必然性が十分には感じられなかった。普通に何もしなくてもよいかもです。
また、客席から舞台床面が見えにくく、俳優が床に倒れ込むなど低い位置で演技する場面がほとんど見えなかったことも惜しい。
彼女には息子の犯した罪を消すことはできない。死刑を止めることもできない。
過去に戻って息子を育て直すこともできない。
そして、最後に息子に会うことさえできない。
それでも、彼女にはまだできることが一つある。
息子のために、アップルパイを焼くことだ。
2026.8.20|Waiting for the Match (Duet Version)/演劇|リカ
●作品情報
作品名:Waiting For The Match (Duet Version)
観劇日時:2026年8月20日(木)13:10〜14:10
会場:Paradise in Augustines
料金:13£(同劇場使用割引で無料)
ジャンル:演劇
制作団体:iStage Theatre Limited
制作国:香港
上演時間:約1時間

『Waiting for the Match』― 20人ぐらい観客
香港のカンパニーによる二人芝居『Waiting for the Match』。男女それぞれ別々に存在していたバージョンを一つの作品に組み合わせたという構成が面白い。
特にうまく機能していたのが空間の使い方だ。舞台中央にある、一見扱いにくそうな柱を逆に利用し、左右を男女それぞれの空間として分ける。二人が同じ舞台にいながら異なる場所に存在することが視覚的にすぐ理解でき、この会場を選んだこと自体が演出の一部になっていた。
物語にも意外な展開があり、最後まで興味を保つ工夫がある。一方で、作品世界のルールには少し入り込みにくかった。現実とファンタジーの中間にある設定自体は問題ではないが、「なぜそうなるのか」が疑問を持つところが多かった。
演技についても、特に男性俳優にはもう少し期待したかった。どこか黄子華を思わせる独特の話し方を連想させる。
出来事の大きさに対してリアクションが過剰に感じられる場面もあり、それがかえって人物への感情移入を難しくしていた。
アイデアや空間構成、物語のツイストには魅力があるだけに、作品世界のルールと人物の反応にもう少し説得力があれば、より深く入り込める作品になったと思う。
字幕は見やすかった!
2026.8.20|FLIGHT/体験型演劇|五味伸之
●作品情報
作品名:FLIGHT
観劇日時:2026年8月20日(木)20:30〜21:00
会場:Darkfield FLIGHT
料金:15£
ジャンル:体験型演劇
制作団体:DARKFIELD
制作国:England
上演時間:30分

観賞ではなく「体験」する演劇
●観劇の理由
体験型演劇を味わいたいなと思っていました。
短い時間で体験できるのが良いし、当日は本番も終わり、野外パフォーマンスも終わり一息ついていました。時間をチェックするとちょうど間に合う!よし行こう。ビジュアル画像を見ると、ヘッドホンをしているなぁ。。たぶん音声で進行するんじゃないかなーと不安な気持ちになりました。劇場の受付で「英語の理解がちょっと難しいんだけど、体験は楽しめますか?」と聞きました。すると「楽しめると思うよ」と笑顔で伝えてもらいました。よし行こう!と決めて、早速会場に向かいました。
会場に着くと、そこにはFLIGHTと書かれた大きなコンテナがありました。このコンテナの中で体験するんだな。と思っていると、ゴゴゴゴ・・・とコンテナが地響きを上げている。なるほど、揺れたりもするんだな。と鑑賞の予習を始める。まもなく時間になり簡易的な説明を受ける。旅を楽しんでください。と言われ、航空券のようなチケットを受け取って入場する。
●作品内容
『FLIGHT』は、実物大の客席機内をリアルに再現した貨物コンテナ内の「完全な暗闇」で体験する、没入型オーディオ体験作品です。
量子力学における「多世界解釈(パラレルワールド)」をテーマに、ひとつの旅から生じる2つの並行現実と、2つの異なる結末が描かれます。
「現在のバージョンはひとつだけではないかもしれない」という不穏な思考を掘り下げる本作——この飛行機が無事に着陸する世界線も、どこかに存在しているのです。
●感想
機内を舞台にした『FLIGHT』
「観賞した」と言うよりも、「体験した」という表現が圧倒的にしっくりくる、アミューズメントやエンターテインメントの要素を強く持った体感型作品でした。
会場に足を進めると、そこには実際の飛行機で使われている座席がずらりと並んでいました。座席上の荷物棚まで忠実に再現されていて、足を踏み入れた瞬間から「飛行機に乗り込む」感覚になりました。
エディンバラ・フリンジ・フェスティバルには各地・各国から参加している方がいるので、この舞台設定は親和性が高いだろうなぁって思いました。
指定された座席に座って手元の荷物を荷物棚に入れて手ぶらで体験します。さすがにパスポートの入ったポシェットを荷物棚に入れる気にはならなかったので、それだけは身につけたままの鑑賞体験。
目の前にはヘッドフォンが用意されており、装着の指示を受けます。
「レフト、ライト、レフト、ライト……」と左右の耳から交互に音が流れ、立体音響の確認が行われると、いよいよ機内が暗転。まさに少しの光も入り込まない本当の暗闇です。
目をつぶっているのとは全く違う、空間そのものが闇に呑まれたような感覚。その中で手を動かしてみると、「手は確かに動いているのに、視覚情報が一切存在しない」という、普段の生活では味わえない不思議で面白い感覚に包まれました。
役者のいない舞台、音と演出が紡ぐ不穏な世界
モニターに映し出される客室乗務員の怪しげな説明や、カットオフされる機長の挨拶。
暗闇の中、ヘッドフォンからは子どもたちの泣き声、ティーサービスや食事の音、そしてどこか別の場所へ連れていかれるような音響効果が、耳元でリアルに響き渡ります。
この作品には生身の俳優が一人も登場しません。
登場するのは機材、客席シート、荷物棚、ヘッドフォン、そしてモニター。
離陸時には床がドドドド…と振動したり、展開に合わせて座席がガコン!と揺れたりと、五感全体を揺さぶる仕掛けで物語が進んでいきます。
個人的に最もゾクッとした場面があります。
入場した際、会場の左側はすべてカーテンで仕切られており、「なるほど、右側のこのスペースだけを使うコンパクトなサイズ感なんだな」と思っていました。
しかし、物語が進行し、暗闇からパッと明かりがついた瞬間——
なんと、仕切られていたカーテンがすべて取り払われていました。
左側には、自分たちが座っているのとまったく同じ飛行機の座席が広がっていました。そこには「誰も座っていない」空席の景色が象徴的に浮かび上がりました。
「私たちはここに存在しているけれど、実はもう存在していないのではないか」
「死者の国へ向かっているのではないか」
そんな不穏で不気味な物語の広がりを視覚的に一瞬で突きつけられる、鮮烈で素晴らしい効果を生み出していました。
現地で体感したからこその学びと、これからの糧
観劇の体験自体はヘッドホンからの音声で進行していくため、英語理解が必須の体験でした。なので、物語の言語展開の部分に関してはほとんど理解しきれていないちんぷんかんぷんな部分もありました。
それでも、言葉を超えた演出の組み立てや空間の作り込み、客席を巻き込む体験設計に大いに刺激を受けました。
「言葉が完全に理解できたらもっと面白かっただろうな〜」という悔しい気持ちもありますが、だからこそ「もっと英語を学んで理解したい」という新たなモチベーションにもなりました。
2026.8.21|Arcana/演劇・音楽|二宮
●作品情報
作品名:Arcana
観劇日時:2026年8月21日(金)10:00〜10:55
会場:Assembly Roxy – Central
料金:16.5£
ジャンル:体験型演劇
制作団体:Fay Guiffo(出演者個人)
制作国:Scotland
上演時間:55分

音楽を主題にしたファンタジー。出演者自身がステージ上でバイオリンを奏でる。音楽の道を志す人が直面するさまざまな思いが寓話の主人公の体験として語られる。「ステージでストーリーが演じられる」ことでより深く感情が共有できたような体験だった。コールアンドレスポンスで客席が一緒にハミングをするような場面もあり。
私の好みとしては、音楽がより芝居と拮抗した形で立ち現れて欲しかったかなぁ(音楽が演劇に対して少し従属的すぎるように感じられた)。
ちょっと子ども向けな感じだったかも。
2026.8.21|Lucy Best: Unbelievable/演劇|石田聖也
●作品情報
作品名:Lucy Best: Unbelievable
観劇日時:2026年8月21日(金)17:40〜18:35
会場:Snug at Paradise in Augustines
料金:12.5£(同劇場使用割引で無料)
ジャンル:演劇
制作団体:Best Productions
制作国:Australia
上演時間:55分

本番が終わり、山田さんは外でお客さんにつかまっている模様。一応今日はこれで解散フリーの予定だが、みんななんとなく溜まっていたり、観にいく人は行ったりする様子。
自分は特に予定はないが、残り期間も短くなってきて、もうちょっと色々観たほうが良いのではないか?という思いから、そのまま劇場でやってる芝居に潜り込んでみることにする。楽屋の方から上に上がる途中に、本当に小さなスペースがあり、そこで何やら本番が予定されているとのことなので、後先考えずノリで入ってみる。そして、これが地獄の始まりだった。 入ったのはルーシーショーなるもので、女性コメディアンが一人で50分以上喋り続けるという、英語がわからない自分にはかなり厳しい内容だったのだ。しかもコメディということもあり、当然ことあるごとにまわりのお客さんがクスクスしたり、爆笑したりする。かくいう自分は90%が聞き取れず、一人作り笑いすら作れず、かといってこの近距離で50分真顔でいるというのはあまりに迷惑だよなぁと思いながら、ただ居心地の悪さを感じていた。いったい自分はどんな顔をしていたのだろうか。時々コメディアンがこちらを一瞥したりもしてくるが、ドギマギしてしまう。完全に場違いな場所に来てしまった。
途中退出すれば良かったのだろうが、それはそれでこの狭いスペースでは逆に目立ってしまい、まるであなたのトークは面白くありませんよ、と言っているようなものだ。結局、トータルで55分以上はわからない英語のリスニングを聴いているような状態で、下手なリアクションなども混ぜつつ、この時間を乗り切ることになった。
ショーが終わると、ルーシーが来てくれたお礼にオリジナルのステッカーを配り始めた。自分はテンキューと一言絞り出すと、足早に劇場を後にした。
2026.8.21|Trainspotting Live/演劇|二宮
●作品情報
作品名:Trainspotting Live
観劇日時:2026年8月21日(金)18:30〜19:50
会場:Cromdale Tunnel at Pleasance at EICC
料金:29.5£
ジャンル:演劇
制作団体:King’s Head and In Your Face presented by Seabright Live
制作国:Scotland
上演時間:1時間20分

あのトレインスポッティングがほとんど映画そのままに眼前で繰り広げられる、というまさに「Live」。舞台は中央に幅3m長さ15mほどのアクティングエリアがあり、その長手方向に沿って階段上の客席が設けられている。
客入れの時からレイブパーティーのような演出でガンガンに大きな音楽がかけられ(入り待ちの列では「自由にとっていいよ」という感じでボールにいっぱいの耳栓が置かれていた)、キャストに「こっち!こっち!」と席に案内(というか乱雑に座ら)される。
映画や原作をご存知の方であれば、あれがそのまま目の前で、生身の人間たちによって繰り広げられる「ヒドさ」は想像に難くないだろうが、実際に体験するとその想像の数十倍は「ヒドい」。 F**Kばかりのセリフ、全裸で客席にまで入って来て、糞便や汚物が飛び交う・・・USJのアトラクションのような臨場感(USJには行ったことがありませんが)。観客に普通に絡んでくるし、途中あまりの「ヒドさ」に我慢の限界だったのか、品の良さそうなご婦人が席を立ち退場するに及んではその女性に「どこにいくの?もう帰るの?」と問いかける始末(もしかしてこれも演出か?)。
そういった狂乱が演じられるだけではなくちゃんと、どこにも行きつかない悲壮感も情感たっぷりに演じられた。見ていて痛々しく、どうしてそんなことになってしまうのかというのが数十年経って振り返るに、「Choose life」のセリフに集約されるんだろうな、と思います(選んでいるのか、選ばされているのか、選ぶことができるのか、そもそも選ぶことなどできないのではないか…などなど)。
客層も4,50代が中心のようで、懐古的にあの世代に刺さる出し物なのかと思ったが、私の隣席は20代前半の学生風の男性でした。生まれる前の世界(の一部)を覆っていた空気を前にどのような感想を持ったのだろう?”
2026.8.21|Stop Playing Jacob’s Ladder With My Spine/演劇・ダンス|二宮
●作品情報
作品名:Stop Playing Jacob’s Ladder With My Spine
観劇日時:2026年8月21日(金)21:35〜22:25
会場:Studio at ZOO Southside
料金:14.5£
ジャンル:演劇・ダンス
制作団体:HotCat Collective
制作国:England
上演時間:50分

4人の出演者によるダンスとお芝居。
会場は日頃は教室や会議室のような場所なのだろう、天井も低め。壁沿いの3〜4m四方のアクティングエリアを三方より2、3列の階段状の観客席が囲んでいる。電子レンジなどの生活感のある道具類がアクティングエリア上に置かれ、3人の日常生活を見るようにパフォーマンスは進む(1人はダンスパフォーマンスに終始し、具体的なキャラクターなどは与えられていないようでセリフなどはなかった)。セリフは字幕でも出演者の背面の壁に投影され、アニメーションなども伴うもので、演出的な表現となっていた。
作品のテーマはトラウマやオブセッション。摂食障害、自傷行為などが表現され、感じやすい人によっては目を背けたくなるような表現も出てくる。ダンスはセリフのあるパートと絡むように踊られ(芝居の表現するシーンの日常的な動作からダンスが立ち上がってきたり)、不安や焦燥などのネガティブな感情が煽られる。
若い出演者による自分たちに近しいテーマの表現はその分リアリティがある。当事者の独白を見ているようだ。さまざまなトラウマやオブセッションが世にあるがーマイナーと言っては語弊があると思うので憚れるがー共有されづらいものも、ダンスのような身体表現で、言語や文化の壁を越えた表現として受け取ることができるのだろうか、そうであればどのような表現になるのだろうか、と考える時間になった。
終演後、客席横のオペ席と思しき場所から出てきたテクニカルの人が、そこはかとなく我らがクルーの石田聖也君に見た目も雰囲気も似ていて、やっぱりこういう風に関わる人もいるのだなぁと思った。多分、照明も音響も字幕も彼がオペしていたのだろう、お疲れ様です。
2026.8.22|Absolute Bus Stop/コメディ|リカ
●作品情報
作品名:Absolute Bus Stop
観劇日時:2026年8月22日(土)13:50〜14:40
会場:Paradise in Augustines
料金:10£(同劇場使用割引で無料)
ジャンル:コメディ
制作団体:Jim Judges(個人)
制作国:England
上演時間:約1時間

ポスターには正直あまり惹かれず、時間が合ったから選んだ公演。ところが会場に着くと長蛇の列で、まずその人気に驚いた。
さらに驚いたのは、公演が始まると俳優?がPowerPointを開き、「これは演劇ではなく、バス停についてのプレゼンテーションです」と始めたこと。
自称「世界で最も多くのバス停を見てきた男」が、世界各地の変わったバス停を写真で紹介し、独自の採点方法を解説する。実際にバス停を紹介するウェブサイトも運営していることも紹介してた。
最初の20〜30分は特に新鮮で、「バス停のPPTプレゼンテーションがFringeのショーになるのか!」という発見自体が面白かった。後半になると構成に慣れて少し単調にはなり、常に眠い自分は所々寝落ちしてしまう。最後は「バスの歌」をみんなで歌って終了。
10歳くらいの子どもから年配の観客まで会場全体が楽しんでいた。去年から大好評で、基本満席。軽く笑えて、妙に知識も増える作品も多く求めているのだなーと思いました。これの日本の寿司とか風俗とかマンガとかテーマでPPTプレゼンテーションしたらいい商売になるでは?と思いました笑
2026.8.22|OWL AT HOME/演劇・こども向け|五味伸之
●作品情報
作品名:OWL AT HOME
観劇日時:8月22日(土)10:30〜11:15
会場:Gilded Balloon Teviot – Dining Room
料金:12£
ジャンル:演劇・こども向け
制作団体:原作:アーノルド・ローベル / 翻案:リナ・ヴェルガーノ
制作国:Wales
上演時間:45分

●観に行った理由
前日に選んでいました。edfringeのアプリで気になる作品をリストアップする。リストアップの方法はまずジャンルで絞った。今回見た中でBrrrがかなり関心が高かった。こども向け作品が自分は好きなのかもしれない。そう思って、《children show》でジャンルを絞る。気になる作品が数作品あった。それらをアプリの中でカレンダーに仮登録をして、どうやったら1日で何作品をスムーズに見ることができるかを考える。こんなにパズルのように観劇予定を立てることができるなんて、本当に充実している。もちろん自分が選んだものは全体の中のほんの一部。このエディンバラフリンジに来ていると、自分自身の興味関心の輪郭がはっきりしてくようにも感じる。それと同時に、幅広い作品を観ることで興味関心の拡張も行われた。
このOWL AT HOMEはひとり芝居、こども向け、原作の『ふくろうくん』がどのように劇になるかも気になった。
●作品紹介
フクロウは、居心地の良い小さな家で一人で暮らしています。話し相手もいないため、自分で歌をうたいながら時間を潰す方法を探す日々。そんなある日、配慮のない目覚まし時計に無礼に起こされ、計画していた穏やかな一日は台無しになってしまいます。想像力がどんどん膨らんでいくにつれ、ごく普通の日常の品々がまるで命を宿したかのように動き出し、フクロウは思いがけない友達を見つけることになります。
アーノルド・ローベルの絵本を原作とした、音楽彩るこの機知に富んだ物語は、思い通りにいかない時でさえも、人生をどのように受け入れ楽しむかを教えてくれます。
●感想
1人の男がベッドで寝ている。
エディンバラフリンジでは5分前に入場させるのがスタンダードな様子。5分前までは入り口前のロビーに集合し、一斉に入場していく。
5分の入場時間はこのように、事前スタンバイの負担が少ないのもいい。
ふくろうさん。
目覚まし時計がなると、止める。が何度もなる。
それを繰り返し止める。段々とエスカレートしてくる。この段々とエスカレートしてくる。というのは、こどもが喜ぶものだと思う。変わらずこちらでも喜んでいた。歯止めが効かなくなる。というのは、みんな体験の経験があることなんだろう。
ふくろうさんが目覚めると鳥の声が外から聞こえる。
家の骨組みの上部に登る。屋根を開けて「ミルクをありがとう」と伝える。
カゴにあったミルクを持ち帰る。
ストーブに薪をくべ、夜間でお湯を沸かす。コーヒーを入れ、眠っていたソファに座り込む。穏やかな、充実している時間。この時間が共有される心地よさ。
気分がよくなったのか脇に置いてある楽器を演奏しながら歌う。この家にあるものたちの名前を呼び慈しむ時間。
このあと、罠にかかったネズミを部屋の中で干したり、すでに干してあったネズミをチュルチュル食べたり、パンケーキを鳥が食べるように汚らしく食べたり、落ちた汚れを掃除しようと掃除機を使うけど逆に操られてしまったり、いわゆるドタバタ軽演劇が繰り広げられる。
特に胸にグッときたのは、ふくろうさんが涙を流したところ。
水も、薪も、メガネのレンズも何もかもなくなって途方に暮れて涙を流す。この涙を溜めてお茶を作ろうという場面。もっと涙を流すために歌いだす。「おうおうおおう」などの声にならない歌で歌い、ポトリポトリと涙の雫がポットに溜まっていく。最後の薪をストーブに入れお湯を沸かしお茶を飲んだ。「塩っ辛い」「少し塩っからい、、、」とぽつりとこぼす。
涙は塩っ辛い。生きている中で塩っ辛さが訪れる瞬間があるかもしれない。劇場に少ししんみりした空気が流れた。
その後、眠りにつこうとしたら、布団の足が自分の足ではないように感じた一人二役や、ドアをノックしてきた冬を家に招いて家の中がしっちゃかめっちゃかになる。
全編通して人生のちょっとした瞬間を詩的遊び心をふんだんに入れてに描いていた。こどもも大人も楽しめる優しい作品だった。
演じる俳優も上品さがあり、マイムの動きや道具の操作も丁寧。
舞台美術や道具の装飾も質が高く満足。
2026.8.22|Tongue Twister/演劇・人形劇・こども向け|五味伸之
●作品情報
作品名:Tongue Twister
観劇日時:2026年8月22日(土)11:30〜12:20
会場:Cromdale Theatre
料金:14£
ジャンル:演劇・人形劇・こども向け
制作団体:Greg Sinclair and Scottish Theatre Producers
制作国:Scotland
上演時間:50分

●観劇の理由
チラシのビジュアル、宣伝の色使いのポップさが明るくて好きだった。
また、8月13日に観たThe Hollowed Man5.0の入場待合室で一緒になった人が本作品のビデオ制作を担当していたらしく、「おすすめだよ」と言ってくれたのもあり観に行った。当初は8月21日二いく予定にしていたけど、リハーサルの時間もありみに行くことができなかった。そのため、この作品の前にOWL AT HOMEを観て急いでレンタルサイクルVOIを使って移動をして観に行きました。
●作品紹介
できるだけ多くの言語で早口言葉を言う、ある男の挑戦。ダンスに挑み、音楽を作り、ステージを降りずにすべての衣裳替えを行いながら。受賞歴のあるパフォーマンスアーティストでありミュージシャンのグレッグ・シンクレアが創作・出演し、眩い衣裳と革新的なビジュアルデザインをフィーチャーした、目と耳を楽しませる一作。ユーモラスでカラフル、リズムカルでちょっと奇妙な『Tongue Twister』は、言語が持つ音楽的な美しさを祝福する舞台です。
●感想
世界各国の早口言葉を言うパフォーマンス。
早口言葉から想起されるビジュアルパフォーマンスを行う。衣装や人形やかぶりものなどを使ってファニーに仕上げる。
入場して、舞台装置が清潔ミニマルで作られていて期待が膨らんだ。
色彩もカラフルで、日本で目指されているこども+大人観劇作品ってこういうのを目指しているようなものが多い気がする。
パフォーマンスは、早口言葉を言ったあとに「それの意味は〜」というような感じで説明があるため、そこがわからなかったのもあると思うけど、ひとつひとつの早口言葉とパフォーマンスが全体を通して重なっていくことがなく、やや散漫に感じた。
動きや、道具の感じなどはこどもが喜びそうな雰囲気があるけど、はたしてどうだろう。
この作品は星がたくさんついていたが、劇場にいるその時間を楽しませるだけで、そのあとの人生やふとした瞬間に今日の体験が呼び戻ってくるような劇的な体験になるかは少しあやしい。
途中舞台上にこどもが出演者になる場面もあった。その子は少しおめかししているようだったので、今日を楽しみに来ていたんだろう。客席にも家族連れの人、単純にパフォーマンスを楽しみにしている人が多くいて、言葉の内容に笑いが生まれる場面もたくさんあり、自分も楽しみながら最後まで観劇できた。
●移動について
ちょっと話は逸れるけど、エディンバラ滞在中に簡便に移動をしたい場合、VOIはかなり有効でした。電動自転車の馬力も強く20km程度で走行可能。自転車道も整備されているので、走りやすい。しかし、駐輪する時は結構満車の状況があるので、多少時間の余裕を持って移動するのが便利だと思いました。
2026.8.22|Good enough?/ダンス|石田聖也
●作品情報
作品名:Good enough?
観劇日時:8月22日(土)13:30〜14:30
会場:Summerhall
料金:17£
ジャンル:ダンス
制作団体:HIMHERANDIT Production / Part of #DANISH
制作国:デンマーク
上演時間:1時間

(8月22日の旅行記より抜粋)
お昼に予約したのは、「Good enough?」というダンス作品で、男性二人、女性一人の作品だ。
この作品、実は毎日劇場に通う道の途中にポスターが貼り出されていて、ずっと視界に入っていたのだ。存在は知っていたがどんなダンス作品を踊るのかは良く知らなかったので、予約サイトからインスタグラムへと飛んでみる。
なるほど、どうやらコンテンポラリーダンスなのかもわからないが、どうにもユニークというか、他にはない個性の主張の仕方をしている。当たるか外れるかわからないけれど、もうここは直感で観にいくことにしよう(ちなみにこの公演のチラシは、三名のダンサーが下着姿で踊っている写真である)。
ただ、これはチケット購入後に発覚したことだが、この作品、サブジャンルとして観客参加的な要素が含まれるとのこと。ちょっと、どういうタイプの観客参加になるのかはわからないが、流石に英語がわからない人間にとっては恐怖しかない。なので、ちょうど朝一緒に宿にいた美里さんを道連れ(実際には一緒に行こうか?と快く言ってくれた)に劇場へと向かうこととなった。
会場となるSUMMER HALLは、いつも拠点としているfringe本部よりもさらに向こうへと進まなければならない。そのため、今日は余裕を持ってバスで向かう。途中日本語で「焼き肉」と書かれた看板を見つけた。久しく観ていなかった文字。日本に帰ってから最初に食べる食事は何にしようかとここ数日考えている。
(中略)
そうこうしている間に、開演10分前。会場には既に列ができている。コーヒーのコップをゴミ箱に入れて、お手洗いに向かう。お手洗いはまさかの男女兼用でそこにも列ができていて、なかなか進まない。
開演5分前。だんだん焦ってくる。余裕を持って出た時に限って、思わぬ道草でギリギリになってしまったりする。バタバタと用を済ませてスタッフの人にQRを提示する。後から追ってきた美里さんを、自分の後ろに並んでいた女性が入れてくれる。優しい。そして階段を上がりいよいよ会場へと足を踏み入れる。
舞台床面には白のリノリウム。奥には白幕が吊ってあり、その手前には少し大きめのパネルが何枚も並べられ、プリントされた人の顔が貼り付けてある。客席は舞台正面、上手、下手と三方向に組まれていて、そこそこお客さんが入っている印象。
そこでは稽古着のようなラフな服装の出演者たちが歩きまわりながら、客席の方にまでやってきては一人一人と握手して挨拶を交わす。座っていると、結構客席の奥の方までズンズンやってきていて、これはかなり客席とのコンタクトがありそうだなと勝手に警戒心を強くする。だが大丈夫、こちらには美里さんがいる。
やがて開演。出演者三人はそれぞれ椅子とスタンドマイクを持ってきて舞台上に配置、腰掛けると何やら喋り始める。いや、喋り始めたかのように見えたが実は、これはスピーカーから流れている事前録音された音声で、本人たちはどうやら口パクで喋ってる風である。何を喋っているのかはわからないが、どうやらこれから始まるパフォーマンスについて、そして自己紹介、あるいは他己紹介的な内容のようだ。やがて音楽が流れ、三人は舞台上を音に合わせて動き回りながら並べられたパネルを持ち出して、ラウンドガールのようにそれを観客に見せびらかす。踊っているといえば踊っている。そのパネルにプリントされた顔は本人たちの子供時代、若い頃とかだったりしている。音声もおそらくそういった生い立ちや、ダンスを始めるようになった経緯のようなものだろう。時折笑いも起こる。おそらく絶妙に今とギャップがある写真をチョイスしていたり、ナレーションもユニークな内容なのだろう。
全体としてはユニークというか、滑稽な形で進行していくが、肉体と精神は消費していくような方向性で使われていく印象。確かに事前告知でもあった通り、美しく洗練されたダンスが見れるというわけではなく、どちらかというとコンセプチュアルアートとして、構造そのものが作品として提示される。自分たちのこれまでの生い立ちなどを話す流れで、何度もカーテンコールをリフレインしたり、マイクパフォーマンスでは各自が椅子の上に立ち、競うように観客へアピールを繰り返したり。
そして大体予想はついていたが、三人は稽古着のような衣装を脱ぎ、下着姿になって舞台を動きまわっていた。しかしここからは予想外、マイクパフォーマンス中に、一人の男性が下着まで脱ぎ出して開脚までしだした。すると他の二人も全裸になっていき、そのままパフォーマンスを続けるのだった。なかなか目のやり場に困りはする。横で美里さんが拍手をしながら、すごーいと呟く。確かにすごい。もちろん脱ぐから凄いとかそういう話ではないし、脱ごうが一発芸できようが、舞台上で嘔吐しようが、覚悟のない人間は覚悟がないことに代わりはない。脱ぐことがその表現者の覚悟の現れでも何かの指標でも、本物の証明になりはしないだろう。ただ変わった人たち、ってことで片付けてしまえることだってある。
ただ、今回の作品はある意味でセルフポートレート。真っ白の舞台に今の自分たちの自画像を描く、或いはフィルムには映らない歴史を内包した今の自分たちを写真的に表現しようとする。まさにヌードなのだ。さらけ出すというのはただ脱ぐということではない、自分の精神まで含めての話である。だから美里さんのいう通り凄いのだ。
後で聞いた話、三人はそれぞれセクシャリティの問題や、生まれ育った家庭の宗教上の厳しさなどで、表現者として本来の自分として生きられなかったという過去を吐露していたようだ。
最後は演者が観客席までやってきて、一人、また一人と舞台上に観客を連れていく。舞台上に上げられた観客たち、演者、スタッフ、そして観客席に座っている自分たちも含め、全員が互いに拍手し合い、祝福し合い、幕。
ふと、前の席の男性二人に目をやると、終演後に一人がもう一人の頬にキスをしているのが見える。おそらくそういう作品だったのだろう。
2026.8.22|Mr Bergmann of Deadman’s Point/演劇|石田聖也
●作品情報
作品名:Mr Bergmann of Deadman’s Point
観劇日時:8月22日(土)17:30〜18:30
会場:Paradise in The Vault
料金:15£
ジャンル:演劇
制作団体:Nth Degree Productions
制作国:アイルランド
上演時間:1時間

(8月22日の旅行記より抜粋)
そして、エディンバラにいられるのは今日と明日だ。後悔のないように過ごしたい。まさきちとニノさんが、このまま残って我々の次に劇場で上演される演目を観劇するというので、迷った結果自分もそうすることにする。予算的にはあまり潤沢ではないが、ここなら無料で見られるからだ。
観た芝居は「Mr Bergmann of Deadman’s Point」という演劇作品。正直駆け込みで入ったため、事前にあらすじなどもろくに確認していなかった。ただなんとなく気になっていたのは、いつも自分たちの公演が終わってバラしている時に、次の仕込みのために反対側の出入り口で出演俳優さんが待機していて、目が合うと微笑み返してくれていて、この人はどんな芝居をするのかな? と心の片隅で気になっていたからだと思う。
席に着くと、上手で仮面(或いは御面)を被った男がぬるぬると動いている。下手にはベットにシーツが被せられていて、膨らみから察するに人間の遺体だろう。その他にも、上手の机の上やベッドの上に劇中に使用する小道具らしき物がチラチラ置かれていた。
開演。役者は面の人物と、それを外した素顔の人物で二役を兼ねる、一人芝居。序盤にベッドの方のシーツを外すと、そこにも同じ面を被った人物が横たわっていたことから、遺体と会話する男と、その遺体となった人物、という過去と現在を往復しているのではなかろうかと思う。遺体の男の方は、誰かと話すわけではなく一人で放浪しているように見える。一方素顔の男はひたすら喜怒哀楽を表出しながら、この遺体との関係の中で言葉を喋る。
とまあ、上演中自分にわかったのはこの程度のことで、実際この作品がスコットランドで起こった実在の事件、人物を下敷きに作られたということは後で知った。
それにしても、これは初日に劇場で観た芝居の時にも思ったことだが、日本語で上演されているストレートプレイの演劇を観た時には気にならないことが、言語がわからない状況で同じようにストレートプレイで観た時にすごく気になる。
それは、その演劇が成立するためのパラメーターのようなものだ。例えば〈意味(物語)〉〈肉体〉〈音〉〈灯り〉〈感覚〉〈印象〉みたいなグラフがあったとして、このうち言葉がわからない場合、意味の部分が削られて音の方にその役割の配分が移ったとする。すると意味を補完するために、その他の感覚的な部分やビジュアルや印象などといったものに何かを求める。すると、いかに演劇というものが、言語情報に、意味に依存しているのかがよくわかるというわけだ。つまりこの意味を剥ぎ取られた時点で、その他の要素が薄いと、あっという間に作品の成立度が落ちる。ここでいう成立度というのは、観客と共に演劇を作るということが前提である。
つまり何が言いたいのかというと、言語がわからない、字幕もない、音声ガイドもないとなると、その他の要素がより際立っていないと、自分はこの作品の観客として想定されていない存在であるということになってしまう。もし世界演劇なるものがあるのだとしたら、やはりその作品がどのような観客を想定しているのか、というところに重要なポイントがあるのではないだろうか。少なくとも今回の体験で自分はそのような想いをより強くした。どこで上演するか、何人動員できたか、よりも先にそこが自分にとってはセンターピンなのかもしれない。勿論、これは誰が観ても意味がわかる必要があると言いたいわけではない。俳優の役割が、意味の伝達のみには終始していては、やっている仕事の量が少なすぎる、といった話だ。
終演間近、時間が気になりだす。予定では1時間5分の予定だがすでに5分オーバーしている。まずい。自分は次にチャペルでのピアノコンサートのチケットを取ってしまっている。しかも劇場からチャペルまでの徒歩での所要時間を事前に調べていなかった。というか、この上演が予定通り終われば問題ないだろうとたかを括っていた。
結果、この作品の上演が終わったのは、予定終演時刻を10分オーバーしたところからだった。とりあえずカーテンコールが終わると即劇場を出る。次の目的地の方角は大体把握しているので早歩きで向かう。
2026.8.22|Book of Shadows/影絵劇|五味伸之
●作品情報
作品名:Book of Shadows
観劇日時:2026年8月22日(土)18:30〜19:30
会場:Big Belly
料金:13.5£
ジャンル:影絵劇
制作団体:Book of Shadowz
制作国:Japan
上演時間:1時間

●観劇の理由
8月18日(火)に出演したジャパン・フリンジの控え室で出会ったBook of Shadowzの方とお話をする機会がありました。
影絵劇、人形劇が好きな自分は話を聞かせてもらいわくわくしました。
また福岡にするんでいる自分は、こども向け以外の人形劇に出会える機会が非常に少ないです。
Book of Shadowzのひとりは、日本の人形劇協会の理事をしているようで、さまざまな情報を教えてくれました。どんな人形劇・影絵劇が行われるか、期待が膨らんだ。
●作品紹介
2人の人形使いが巨大な影を映し出し、爆笑のオカルトミステリーを呼び覚ます。
懐疑的なティーンエイジャーのヴィーは、自分は200歳の神秘主義者でスピリチュアル・グル「マダム・ブラヴァツキー」だと主張する祖母と同居する破目に。ヴィーの友人たちが消え始めると、彼女は乗り気でないまま祖母と組んで、降霊会、狂ったカルト信者、そして怪しいほど関心を示す政府機関の陰謀を暴くことに……。視覚的にインパクトのあるダークコメディ。ほぼ実話(?)に基づくストーリー。本物の魔法を学ぼう。悪魔を召喚しよう。友達を驚かせよう。
懐疑派も大歓迎。霊の同伴は任意です。
『Shunga Alert』や『Space Hippo』を手掛けた、受賞歴のある日本のカンパニーによる最新作。
★★★★★(ThreeWeeks誌)
●感想
暗いドーム状の会場。バンド会場やクラブ会場のような少し怪しい雰囲気が会場に充満している。
舞台を見て右側に影絵を行うらしい台がみえる。
舞台中央にはプロジェクターが床に置かれ、スクリーンが大きく準備されている。
舞台が始まるとすぐに暗闇。
少しすると明かりがつき、舞台中央に、オレンジ色のカエルの人形が登場する。影絵劇の前説のようなものをそのカエルが行う。カエルを操演しているのは大柄の男性。Book of Shadowzの2人のうちの1人。ジャパン・フリンジであった時は無口だった彼が非常に饒舌に、また声色も複数使い分けながら演じている。
そうそう、2人のパフォーマーはTシャツがブラックサバスとスレイヤーだった。メタルが好きなんだろう。ストーリーもダークサイドをメインとしたものらしいので、そういった嗜好性が見事にわかりやすく表現されていた。
カエルの前説が終わると、2人のパフォーマーが机に置いている影絵を展開する場所に移動する。
プロジェクターから映像が投影される。
今回の作品では、1つのプロジェクターに対して2つの映像系統を入力し、チャンネルを切り替えながら影絵を展開するというユニークな手法が使われていました。
このアプローチにより、通常の影絵では難しいカットイン/カットアウト、さらにはフェードイン/フェードアウトといった映像効果が非常にスムーズに実現されていました。映像表現としての精度を上げる試みとして、とても面白い工夫でした。
これを実現するためには相当な準備が必要なことも感じられる。どの手順でどの人形をどこにどのように配置・準備し、切り替えの操作、演じ分け、相手が人形を操作しているときに声で演じつつ次の準備をする・・・などなど。2台のカメラを使い分けながら展開することにはそれだけの準備とそれを実現するための技術的課題がある。そして、それらを見事にクリアしている作品だった。
劇場内は登場人物たちの動きや喋り、また外国カートゥーンによく見られるような過剰なリアクション+暴力演技などが行われるとより一層盛り上がっていた。
英語がよくわからない自分でもなんとなくのニュアンスでストーリーと展開を感じ取りながら鑑賞を楽しんだ。
10分、20分、30分、と劇が進行していくにつれ、段々と気分の変化量が小さくなってきた。
理由は画面の構図変化が少ないことだった。
影絵劇は人形劇とは違って、最終的な発表空間が投影されたスクリーンにある。2次元的な空間になり、また画面のカットチェンジも非常に映像的な処理であることから、途中からこれは影絵劇を見ているというよりも、リアルタイムのアニメ制作を見ているようなそんな気持ちがした。
画面の構図が海外コミックスによくある引きの画角で見せているようなものが多かった。状況を説明するのには有効だけど、だれか一人の内面を表現するのにはやや弱く感じた。アニメ作品は最近どんどんとアニメーターそれぞれのイマジネーションを発揮させるような、画面の変容・色彩の変容を伝える表現が増えてきている。
それに対して、舞台の影絵劇でありながら、まるで映像作品的に仕上がっているからこそ、客観的画角が続いていることに物足りなさを感じました。
これは、自分が英語がわからないため、ストーリーのちょっとした言葉のギャグ(おそらく皮肉や風刺などさまざまあったと感じる)がわからなかったためだと思う。
物語は、黒魔術やカルト的宗教団体を巡るストーリー展開だったこともあり、物語の推進力だけでは没入しきれず、想像力を広げる余白が少なかった印象です。
・映像作品として見た場合: 展開の波が少なく、やや単調に感じられる。
・舞台芸術として見た場合: 劇場空間全体を使った刺激や、感性を揺さぶる演出の仕掛けが乏しい。
映像としての面白さと、空間体験としての刺激。そのどちらのベクトルにおいても、少し消化不良さを感じてしまう部分がありました。
5年連続満席という事実と、自分が求める演劇像
ただ、何より素晴らしいのは、この団体が5年連続でエディンバラフリンジフェスティバルで公演を行っており、今回見た回も満員で客席大満足だったという事実です。
5年かけて認知と人気を着実に広げ、評価を得て観客をしっかり楽しませる。その実績と劇場を満たす熱気には、素直に深い敬意を感じました。
そして今回の体験を経て、自分が舞台に何を求めているのかがよりクリアになりました。
僕が惹かれるのは、単に「影絵」や「人形劇」というジャンルそのものではなく、「つくり手の創意工夫によって観客の想像力が刺激され、その空間に詩的なイメージ=描かれていない余白が立ち現れる瞬間」なのだということです。
映像の技術や物語の筋書きだけに頼るのではなく、表現者の工夫と観客のイマジネーションが重なり合ったときに生まれる、あの舞台特有の詩的な時間。それこそが自分にとっての演劇の醍醐味なのだと、改めて実感した観劇となりました。
●余白の少なさについて
今回エディンバラ演劇祭で観劇していた作品たちには、描かれていない余白を構成する要素が少ないように感じました。
これって、アジア的感覚なのかもしれないなーと思いました。
2026.8.22|Cirque du Piano/音楽|石田聖也
●作品情報
作品名:Cirque du Piano
観劇日時:8月22日(土)19:15〜20:15
会場:The Chapel at St Vincent’s
料金:19.5£
ジャンル:音楽
制作団体:Fringe Classics
制作国:Scotland
上演時間:1時間

(8月22日の旅行記より抜粋)
チャペルの中へ案内されると、運よく通路側のピアノが見える席を確保することに成功。通路の先にはピアノが一台、その奥にスクリーン。三名の奏者が登場すると、男性が演台に立ち挨拶を済ませる。コンサートの始まりである。
基本的な選曲は西洋音楽を中心とされている。バッハやモーツァルト、ベートーヴェンといったクラシックである。ただ少しこのコンサートがユニークなのが、三人の奏者による連弾であることだ。実は私自身、これまで2人の奏者による連弾は聴いたことも弾いたこともあったが、三名による演奏は見たことがなかった。しかも今回は、その手元の様子が後ろのスクリーンに映像としても映し出されている。
ただ、なぜこの選曲で、三人の奏者なのかについては正直わからない。もしかしたらトークやWEB上のイベント紹介ページで説明されていたのかもしれない。
バタバタと来てしまったことで、コンサートに集中できないかもしれないなぁと、多少の不安を抱きつつも、始まる頃にはすっかりと落ち着きを取り戻していた。基本的に、三名の奏者は一曲終わるごとに変わるがわる演台でスピーチを行い、そして席へ戻り、演奏を始めるという流れだ。時折一定時間カメラの操作をしないとスクリーンの画面が設定画面に切り替わってしまい、客席の笑いを誘う。本人たちはそれを知ってか知らずか演奏を続け、毎度直しに行く(変わらないように設定できなかったのだろうか)。
また途中、奏者が颯爽と手前に被さった布を取ると、そこにはトイピアノの姿。その後演奏中にトイピアノで演奏する場面もあった。その時の勿体ぶった様子というか、ドヤと言わんばかりの所作に思わず笑いが込み上げる。本気でやっているのか笑いを誘っているのか、はたまたそういう演出なのか、よくわからない。その男性奏者の衣装も含めて謎である。
そして肝心の演奏がどうだったのかについて書かなければ、さすがにこの話題は終われないだろう。正直なところ、自分にとってはあまり満足の行く演奏会にはならなかった。勿論、私は音楽の素人であるし、三人の奏者が個々にコンサートを開催できるだけのある一定の技術を持ち合わせていることを疑うつもりもない。ただ、三人で一つの音楽を成立させ、聴衆の心を惹きつけるような関係がここに生まれていたのかと問われると疑問が残るものであった。細かな音抜けのような断続的な違和、チャペルの音の響き方や観客への音の届き方の失速感(音響)、ガチャガチャとした余白のなさ、曲の解釈、奏者同士の関係性の薄さ、など気になるポイントを挙げていくとかなり出てきてしまう。
個々では練習していても、三人での合わせての時間や深さ、コミュニケーションが不足しているのでは? と素人ながらも生意気にも思ってしまう。そんな感じであった。ただ物静かで、響きが消えるのをゆっくりと味わうような感覚にさせる曲も中にはあって、そういった曲の時には、聴衆がついつい天井を見上げたり、目を瞑ったりしながら音を味わおうとしてしまう。そんな時間も確かにあり、曲の終わりには、横の紳士が思わず唸るといった場面もあったのだった。
2026.8.22|HANG TIME/演劇|二宮
●作品情報
作品名:HANG TIME
観劇日時:2026年8月22日(土)20:00〜21:00
会場:Royal Lyceum theatre
料金:10£
ジャンル:演劇
制作団体:The Flea Theater
制作国:United States
上演時間:1時間

舞台上に3人の男性、たわいもない内容の会話が続く会話劇。特徴的なのは3人が吊るされていること。舞台中央に据えられた装置の上に伸びる3本の棒に、1人ずつが吊るされている。そんな体勢なので舞台の上を動き回るわけではなく、身じろぐような動きや手振りだけで会話と演技が展開される(字幕付きだったので理解するのにとても助かりました)。
どんな女性がタイプか、どのブルースミュージシャンが好きか、など、さまざまな主題での会話(一つの会話は5〜10分程度)が展開し、会話の間にはインターバルがある。
そのインターバルでは、吊るされていることを強く印象付ける、苦痛を伴った演出がつけられていた。反対に、会話中には吊るされているということが感じられないような自然な雰囲気が流れる。このコントラストが舞台上で続く奇妙な光景から目を離せなくさせる。
最後の会話の主題が、もしも自分が使えるお金があったならどうする、というものだったのが印象的だった。
2026.8.22|B*tch Eat Dog/人形劇|五味伸之
●作品情報
作品名:B*tch Eat Dog
観劇日時:2026年8月22日(土)22:00〜22:50
会場:Jade Studio
料金:15£
ジャンル:人形劇
制作団体:Melissa Carter
制作国:United States
上演時間:50分

●観劇の理由
かなり衝撃的なビジュアル。
過激な作品が見れるんじゃないかと期待した。
やはり外国、裸、血、暴力、性、そういったものが日常的に舞台で見れるんじゃないかと期待があった。
宣伝のInstagramの映像でも下品+下劣な感じがあって、これまで観ていた作品たちとは違う体験があるんじゃないかと期待した。
●作品紹介
子宮内避妊器具(IUD)の新提案から、子宮頸部にラットが押し込まれる事態へ。パンチとジュディ(※伝統的な人形劇キャラ)は『白鯨』の性別を逆転させた翻案劇を演じる。伝統的主婦(トラッドワイフ)は怪しげな生乳製品を売り歩き、最終的には麻袋で作られた無数の垂れ乳の一つで観客に授乳する——。
『B*tch Eat Dog』は、古典テキスト、フェミニズム理論、そして歌うおちんちんを駆使して、追求行為にまつわるジェンダー化された倫理観を問う、パペット満載のコントショーです。
当日のホストを務めるのは、良心的な白人男性。しかし、アライ(理解者・支援者)となろうとする彼の見当違いな試みが痛烈な現実へとつながり、彼は激しく取り乱すことになります。
●感想
楽しく最後まで嬉しい気持ちで観劇できた。
手作りが好きだ。手作りには製作者の手跡がしっかりと見える。その手跡に製作者が何をしようとしていたかがはっきりと感じられる。制作物の質・クオリティとしては低く見える部分もあるかもしれないが、それでも、彼女たちが何を面白いと思って舞台を作っていたかが感じられた。その気持ちが嬉しかった。
舞台上には額縁を模した印象的なフレームが設置されている。額縁人形劇舞台であり、テレビ画面や読んでいる書物の中の世界であったり、さまざまな場所に変容しながら物語が展開していく。
人形劇、影絵、変装劇、さらにはコマーシャル風の演出まで、多様な表現手法が巧みに組み合わされていた。
舞台上手側には生演奏席があり、ミュージシャンが1人で複数の楽器を使って演奏している。
全体として若い。おそらく大学を卒業してすぐぐらいの団体なんじゃないだろうか。InstagramやSNSなどの情報が少ないことから勝手にそう推察している。
舞台上の俳優陣からは「表現することの喜び」や「観客を楽しませたい」という強い情熱が全身から溢れ出ており、その熱量に深く心を動かされました。
中でも中心となって演じていた女優の方のパフォーマンスは素晴らしかった。作品全体のトーンやテンポを鮮やかにコントロールする見事なリードが強い印象を残しています。歌にセリフに人形操作に、全てを本作品の内容をリードし続けていた。
特に彼女の人形操演に関しては、今回エディンバラで見た操演の中でも一番良かったと感じる。その部分は、動かすときの人形を支える体の部位:腕・手首の使い方だった。ものを操作するとき、日常ではかなり手首を固定させていると思う。マウス、スマホ、ペン、食器類、大体のものが手首のコントロールを強く意識して動かしている。そうすると、物は手首の支配下で動くことが可能になる。その使い方は人形劇ではしない方がいいと感じた。当然人形劇は人形そのものに命があり、その人形自身の動きを感じることで観客は物語に人物に引き込まれていく。そのためには、人形自体が動いている姿=何かの支配下ではない動きが必要になる。その時に、手首を柔らかく、人形それ自体に動かされる操演者の体がある方が良いのではないかなー、といくつかの人形劇を見て感じていた。
彼女は豊かな身体表現によってそれを可能にしていた。少なくとも、この日見た人形劇の人形たちはハンドパペットも半身人形も全身着ぐるみもどれも素敵に輝いていた。
さらに、伝統的な「パンチ&ジュディ」の手法を現代的な趣向と合わせて体感できたことも大きな喜びでした。
水鉄砲が客席に向かって放たれたり、ホットドッグのパンがちぎられて客席に投げられたりと楽しい交流も生まれていた。
自分の席の隣には、中学生の男子を連れた家族が来ていた。
下品+下劣な場面が続く中で、最初ははにかんでいた男子がどんどんと大きな口を開けて笑っている様子は、客席全体を象徴しているようで嬉しい気持ちになった。
客席全体との交流も生まれ、非常に満足のいく観劇体験でした。
2026.8.23|Tiny Planet/人形劇・こども向け|五味伸之
●作品情報
作品名:Tiny Planet
観劇日時:2026年8月23日(日)12:25〜13:25
会場:King Dome
料金:15.5£
ジャンル:人形劇・こども向け
制作団体:Half a String
制作国:England
上演時間:1時間

●観劇の理由
人形劇が好きなのか、こども向け作品が好きなのか、エディンバラに来て、いろいろな作品を見ていく中でだんだんと自分自身の興味関心について考える機会を得ました。
これまで日本にいる時に、人形劇や仮面劇などのオブジェクトが主体になる作品を見る機会は非常に少なかったです。評価の高い作品を鑑賞しても満足のいくこともあれば、評価のされていない作品でもあの一瞬にものすごく惹きつけられることもありました。
エディンバラにはたくさんの作品があります。その中から直観で自分が見る作品を選ぶ。その作業の繰り返しで、自分はいわゆる人形劇だから好きなのではないんじゃないかなーと思ってきました。こども向け作品の持つ、こどもへ伝えるメッセージに自分は関心があるのかもしれない。と思ってきました。
Instagramでの映像で惑星を360度×360度をぐるぐると回る姿が印象的でワクワクしました。Tiny Planetはこども向け作品でもあり、人形劇作品でもあります。自分の興味関心を見つめるのにぴったりだ。そう思って観劇を決めました。
●作品内容
家ほどの大きさしかなく、ほんの数分で探検できてしまう……それなのに銀河の中心に位置する、そんな惑星を想像してみてください。
息をのむようなパペット表現と、90年代のダイナミックなシンセサイザー音に融合したフォークソングの生演奏とともに、この惑星の謎を解き明かしていきます。
ライブカメラによる映像投影が、この「Tiny Planet(小さな惑星)」に命を吹き込みます。銀河をかける宇宙のパン職人が不時着し、「どんなに小さなものの中にも、もっとも大きな物語が秘められている」ということを学んでいく物語です。
劇団『Breathe』を手がけたカンパニーが贈る、ユニークなパペット演劇作品。私たちが時として「とてつもなくちっぽけ」であり、同時に「無限にでっかい」存在であると感じる、その不思議な感覚をぜひ体感してください。
「圧倒的(Exceptional)」 ★★★★★(Mervyn Stutter’s Pick of the Fringe, 2024)
●感想
『Tiny Planet』は3人のパフォーマーによるこども向け人形劇作品です。
出演者3人のうち1人が音楽を担当し、電子ドラムやアコースティックギター、各種機材を扱いながら人形の操作も行います。
ライブ録音した音源をループ再生してリアルタイムで楽曲を作り上げるルーパーを使って劇が進行します。
1人の演奏者だけでなく、他の2人の演者も口で出す「プルルル…」「ヒュー」「ふわぁ」といった擬音をその場でルーパーに重ねていき、何重もの音の層を作ることで舞台全体の音楽と空間を作り出していました。
主人公は「マルコ」という男の子。
宇宙で配達員をしており、ウェディングケーキを届ける途中で、水も植物もないカラカラに干からびた惑星に不時着してしまいます。
ジャンプしてもその惑星の重力に引っ張られて脱出できず途方に暮れてしまいます。
しかし、途中で雨が降り注ぐと水たまりができ、緑が芽吹き始めます。最終的には、その惑星の一部だった「巨大な亀」が動き出し、酸素が尽きかけていたマルコを救出。無事に宇宙バイクも直り、再び配達へと旅立っていく……というストーリーでした。
演出面でも面白い工夫が見られました。
・回転する球体惑星:舞台中央に大きな球体の惑星が設置され、時間をかけてぐるぐると回転していきます。
・宇宙衛星カメラとモニター:舞台上を周回する「宇宙衛星」に見立てた装置にスマートフォンが装着されており、そこからの映像がリアルタイムで舞台袖のモニターに白黒で映し出されます。助けを求めるマルコの姿や大地の裂け目がクローズアップで表示され、視点を多角化する試みがなされていました。
観客の反応と、「因果関係」の描き方が気になりました。
客席のほとんどは10歳以下の小さなお子さんを連れた親子連れでした。
劇中で、「なぜ急に亀が現れたのか」「なぜ干からびた惑星に急に雨が降ったのか」といった因果関係やストーリーの説得力・論理的な説明はあまり語られません。その部分はもしかしたら、英語のセリフで説明されていたかもしれませんが・・・なんとなく、セリフの中にその内容が含まれていたようには感じ流ことができず、「?」と疑問に感じました。
また、ストーリー全体もハラハラドキドキする内容で観客を引っ張っていくというよりは、ひとつひとつの出来事や音の表現を感覚的に楽しむ構成だったと思います。
そのため、「この後どうなってしまうんだろう?」というワクワク感やストーリーの緊張感はあまり感じませんでした。
今回この作品を観て深く考えさせられたのは、「見えないものを観客が想像で補う『余白』の有無」です。
今回初めてヨーロッパで観劇をする機会がありました。
こちらで観劇をしていく中で気になったのが「作品の中の余白」です。
描かれているもの、聞こえる音、目に見える景色ですべてを構成し切る傾向を感じ、観客自身の想像力が介入して「描かれていない何かを補完する」という楽しみ方がやや少ないように感じることがありました。
言葉や映像ですべてを表現し切るのか、それとも「語られない余白」を残して観客の想像力に委ねるのか。こうした表現の違いは、文化・宗教的背景の違いから、演劇観の違いへと繋がっているのかなとも思いました。
そんなことに思いを馳せる非常に貴重な体験となりました。
2026.8.23|EDINBURGH DUNGEON/アトラクション|五味伸之
●作品情報
作品名:EDINBURGH DUNGEON
観劇日時:2026年8月23日(日)16:00〜17:10
会場:EDINBURGH DUNGEON
料金:20£
ジャンル:アトラクション
制作団体:EDINBURGH DUNGEON
制作国:EDINBURGH
上演時間:70分

「舞台観劇」ではないんですけど、体験型アトラクション「Edinburgh Dungeon」のレビューです。
いわゆるテーマパークのウォークスルー型のアトラクションに近いんですが、シェイクスピアの『マクベス』が演じられる場面もあったりしたので、「体験型観劇」のおまけ編としてレビューを書いてみます。
「エディンバラ・ダンジョン」は、この街の負の歴史や闇の歴史を、体験型のアトラクションとして巡る施設。
約60〜70分ほどで、6〜7つあるお部屋を順番に移動しながらストーリーを体感していきます。
各部屋では役者が登場して、場面に合わせた演技やトークで観客を巻き込んでいきます。
おばけ屋敷が大好きなので、「これは絶対に体験したい!」と思ったのですが、一緒に行こうとしていたメンバーからは「え〜、怖いから遠慮しとく!」とことごとく断られました。結局、1人で参加することになりました。
受付で「英語が全然分からないんですけど楽しめますか……?」と聞いてみると、受付スタッフは少しうーんと考えている様子。「やっぱりやめておこうかな……」と一度は外に出て悩んだのですが、せっかくエディンバラまで来たんだから!と意を決して「やっぱり1人で挑戦します!」と戻りました。
すると受付スタッフは「3つ目の部屋まで進んだら、途中で『分からないから帰りたい』と言われても返金できませんよ、という意味だったんです」と教えてくれ、無事に参加決定!
1回のツアーには最大20〜30人ほどが入れるようですが、僕の回は12人ほど。みんなで細い通路を歩き、少し広い部屋に出ては、役者の熱演を見る……というスタイルで進んでいきます。
民衆裁判や魔女裁判、人体実験の部屋など、暗闇の場面が続くのですが、あんまり怖くはありませんでした。
一番怖いのは、役者たちが客いじりをしていること。「ここにきなさい!」と部屋ごとに1人の観客を呼び出す。「名前は?」「どこ出身?」「昨日は何していたの?」など、矢継ぎ早に問い詰めていきます。
やばい……英語が分からない僕が当てられたら、ちんぷんかんぷんになって・・・おわる・・・
そこからの60分間は、演出の恐怖よりも「頼むから選ばれないでー・・・」と心の中で願い続けていました。ある意味、一番ハラハラドキドキした体験です。
結局最後まで選ばれることはなくホッとしました。おそらく受付の情報を役者に伝えていたのだと思います。
内容自体は過度に恐ろしいというよりは、大きな音や暗転を交えながら子供から大人まで楽しめるエンターテインメントでした。
実際、一緒のグループにいた親子連れの男の子も、少し余裕のある表情で楽しんでいました。
そんな中で一番感心したのが人体実験の部屋での演出です。
役者が、両手で持つ小さなビンの中の「ムカデやイモムシのような這い回る虫」を、観客ひとりひとりの目の前に見せて回ります。
全員に見せ終わったその瞬間、部屋がパッと真っ暗に!
直後、「パリーン!」とビンが割れる音と「ニョロニョロニョロ……」という虫の這い回る音が響き渡ると同時に、座っている椅子の座面がニョロニョロと動いたのです!
「うわあっ!」と思わず声が出ました。
頭の中に「虫が逃げ出して自分のお尻まで這い上がってきた!」という恐怖のイメージが完璧に創り出されていました。
観客の想像力を刺激して恐怖を完成させる手法がとても鮮やかで、想像的な面白いさを感じました。
最後のエリアは劇場のような場所になっていて、『マクベス』を演じると呪われる……といった伝承を交えた暗闇と呪いの演出で締めくくられました。
改めて、イギリスにおいてシェイクスピアや『マクベス』という作品がどれほど文化的に根付いているかを肌で感じることができました。
ヒヤヒヤしっぱなしの70分間でしたが、思い切って1人で飛び込んで大正解でした!
2026.8.23|EXXY/ダンス|真吉
●作品情報
作品名:EXXY
観劇日時:2026年8月23日(日)19:35〜20:45
会場:KING’S THEATRE
料金:10£(TEN ON THE DAY割引)
ジャンル:ダンス
制作団体:DAN DAW CREATIVE PROJECTS
制作国:United Kingdom
上演時間:1時間15分

エディンバラ滞在の最終日、ダン・ドーの舞台を初観劇した。
ダン・ドーはオーストラリア出身で、現在はイギリスを拠点に活動する障害のあるダンサー、キュレーター。「ダン・ドー・クリエイティブ・プロジェクト」のCEOとして、障害者が主導する創作活動を展開し、演劇とダンスの境界を越える作品を生み出している。
会場は1906年にオープンした歴史あるKING’S THEATRE。赤い絨毯や彫刻が施された天井など、劇場そのものの雰囲気にも圧倒された。
会場に入るとノリの良い音楽がかかり、舞台には草むらやビーチチェアが置かれ、ダンが子どもの頃を過ごしたオーストラリアの庭が表現されていた。上演中、上手には手話通訳者がおり言葉や歌を説明していた。ダンを含む4人の障害のあるダンサーが登場し、それぞれの生い立ちや経験を、言葉と身体を使って赤裸々に語っていく。
特に印象に残ったのは、4人がシャッセのような横跳びをしながら、ひとりずつ加わり、舞台を周り続ける場面。社会に合わせること、迎合することの大変さを表しているように感じた。
そしてラスト。4人が絵画のようなポーズを決め、観客は「The Power of Love」を歌う。私も歌っているうちに、舞台上のダンサーたちとの距離が少しずつ縮まり、一体感が生まれていくような不思議な感覚を味わった。
障害とともに生きながら、プロのダンサー、振付家として活動することがどれほど困難なのか、私には想像しきれない。それでも、この舞台からは、自らの身体や経験を表現の力へと変えていく強さが伝わってきた。
エディンバラ滞在の最後に、この作品を観ることができて本当によかった。これからもダン・ドーの活動に注目していきたい。
レビュー
エディンバラの観客からレビューが届きました!
最終更新日:2026年8月26日
『TSURU: My Crane Wife』は素晴らしい公演でした。
第一部では、出演者たちがまるで禅僧のように、声や表情、身体の動きを通して、それぞれの登場人物を体現していました。その表現は観客である私の意識に直接働きかけ、公演全体をひとつの総合的な体験へと導いてくれました。第二部では、ダンサーが手や身体の動きを使って、エネルギーと意識を織り上げていき、身体の奥底にまで響くような体験を生み出していました。
期待をはるかに超える体験であり、観客としてこの作品に参加するすべての人にとっての贈り物だと思います。
深く感情を揺さぶる、力強く濃密な公演でした。
二つのパフォーマンスは、それぞれ物語の異なる側面を描いていましたが、どちらにも言葉を失いそうになるほど圧倒されました。
フリンジのおかげで、このような公演を観る機会に恵まれたことを心からありがたく思います。
日本の伝統的な幻想物語を身体表現によって伝えるという試みは、私にとって新鮮な体験でした。
芸術は、さまざまな視点から捉えることができるのだと感じました。
とても興味深い文化体験でした。クリエイティブで、コンパクトながら魅力的な作品です。
力強さと鍛錬を、大胆かつ勇敢に表現した作品。パフォーマンスアートやバレエ、コンテンポラリーダンスに興味がある人におすすめです。強烈で、惹き込まれました。
3人の素晴らしい俳優による見事なパフォーマンス。観る者を惹きつけ、まるで催眠にかけられたような感覚になる作品です。日本ならではの物語表現がとても本格的で、登場人物や情景も印象的。ダンスとフィジカルシアターも素晴らしかった。最高でした!
最初から最後まで惹き込まれる舞台でした。魅了されました。必見です!
素敵なパフォーマンスでした。
全体の作品の繊細さとシンプルさが好きで、内面がとてもリアルです。男性俳優の声と身体表現が素晴らしく、女性俳優は汗だくでもとても緊張感があります。
出演者全員が、自分たちの表現に並々ならぬ情熱を注いでいることが伝わってきます。あらゆる音や身体の動きを見事に操り、その一つひとつが意味を持って物語を形づくっていました。
日本語が分からないため、物語の一部を理解できなかったようには感じましたが、それでも演技の技術と美しさに最後まで惹きつけられました。
日本語で始まる導入部分もとても気に入りました(いくつか理解の手がかりもありました)。
全体として、とても素敵な作品です。強くおすすめします。
この物語を紹介するパンフレットをいただきましたが、公演を理解するために便利でした。パフォーマンスのジャンルはダンス、マイムであり、舞踏的なものも見られました。行間のスペースのような沈黙の時間があり、観客として解釈するよう誘われているように感じたので、それは詩に似ていると感じました。魅力的なパフォーマンス。
素晴らしいパフォーマンスで、魅惑的で非常に感動的でした。最初から最後まで釘付けになりました。間違いなく星5つです!
この公演は、瞑想的で、魅惑的で、美しいものでした。叙情的な表現力、卓越した技術、そして温かい心で語られた素晴らしい物語でした。ぜひお勧めします。
感動的で(時に衝撃的な)演劇とダンスのスペクタクル。その美しくも奇妙な魅力に引き込まれる。
ライブ配信
滞在中のライブ配信を行います!
2026年8月22日(土)
日本時間:17:30/エディンバラ時間:9:30